養殖牡蠣と天然牡蠣の違い2 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

画像の牡蠣のどちらが養殖か、気になって仕方ないだろうから先に言っておこう。

どちらも養殖であり、どちらも天然と言える。

詐欺師 む~ ・・みたいだが、この記事の主旨は養殖か天然か、言葉や見た目で感じる、思うのではなく物理の講義。

しかし大半の人はどちらが養殖か画像で見分けようとしたことだろう。


1人ぐらい・・
「そんな区分はどちらでもよい、中身はどちらも天然だ」と言う人が出るかと期待していた。

「どちらも養殖」・・・でも正解。

いれば ご褒美・・・あげたんだが


養殖か天然か、ある程度見た目で判断出来るが完全とは言えない。
天然の牡蠣は育つ場所を選べず大半は変形するが条件によっては素直に育つ個体もある。


人が最適な環境を提供、掃除などの手入れをすれば多くは市販されている形になるが、何割かは育つ場所によって変形する。

窮屈であればすくすく育たないのは他の生き物も同じ。

つまり、だいたいは可能でも完全には区別出来ないと言うことになる。


簡単な言葉だけで判断すれば物理ではなく感性であり、道理も見えず判断を誤ることが多い。
言葉の奥行きや高さ深さがわかれば立体になり仕組みを理解出来る。

先に挙げた自然、野菜、健康などまったく同じことが言える。

自然界の仕組み、植物の仕組み、健康の仕組みを理解していなければそれらに関する判断は人任せ、聞いたことをそのまま実行することになる。

歯磨き粉や入浴剤の「常識」もそうして定着した。


仕組みとは何か、言葉とは何かの判別が最も必要になる。
「わかった」・・・と錯覚する事に問題があるのだから。

現実における判断とは物理だと言う道理、理解出来たかな。


自然界の道理に従い間違った事さえしなければ、どれだけ懸命に世話を焼こうが肉質も味も天然とまったく同じで、立派な上に美味しい。

その逆で、ほんの少し世話を焼いても理に合わなければ天然とはまったく異質のものになる。


つまり、丹精込めた度合いではなく、理に沿ったかどうかで180度結果が異なり、その理がわからなければ当然のように間違ったかどうかもわからない。

単位のない「なるべく」「出来るだけ」・・は感性であり使うのは自由だが、森羅万象の理とは関係がない。

道理の答えは○か×かはっきりしている。


今回の牡蠣だけでなく、養殖されている魚類、肉類、野菜類に関して野人の判断を述べよう。

簡単なことだが、理解すれば思考の起点が定まり回路が開け、応用も利くようになるだろう。


ただ・・


オツムが・・天然になっても


責任は持てない。



自然 大地の産物とは何か
http://ameblo.jp/muu8/entry-11259099156.html


自然界の道理 人間の道理

http://ameblo.jp/muu8/entry-10817804621.html


立体思考のお特訓

http://ameblo.jp/muu8/entry-10819786693.html