何故生命が存在するのか、それは誰にもわからないことだが、確かに生命は存在し個々の意思を持っている。
生命力とは命の持つ力のことで、その力によって命は育まれる。
その力が最も凝縮された食べものが木の実なのだ。
今月初旬の記事「「フランス原人 ドイツ庭人からの便り」の野生のリンゴに始まり、「「当たり前の食べ物とは」「重要な古代食シバグリ」「草と木の仕組みの違い」など木の実関連の記事は、すべてこの目的の為に編集して書いてきた。
草から進化して繁栄、豊かな森の形成に欠かせず、最も長寿を誇るのがシイやブナやクリなどのナッツ類。
その方向で比較するなら、国内でその頂点に立つのは生きた化石とも言われる銀杏。
小粒のシバグリや銀杏なら日に1個か2個を生で食べれば十分だろう。
今月は生シバグリにサルナシ、数日前から生銀杏を日に2個食べてはいるが、子供の頃から野生の木の実を毎年のように生で食べ続け、元々生命力絶倫の野人には効果はよくわからない。
脳ミソも年々進化を続けて冴えわたり、100歳以上生きたら先が思いやられるから程ほどにするか。
心とは何か、魂とは何かがわからなければ心の病も当然修復出来ない。
氾濫する症状に対して人知は手も足も出ず、少しでもその症状を抑えることしか出来ないのは他の病気にも共通することだ。
地球の他の生き物と異なり、これだけ人類だけが精神を患うと言うことは個々の心の在り方にはあまり関係ないと言うことだ。
生き物はその歴史から現在が完全であり、人間だけ例外と言うことなどあり得ない。
「心」「魂」を維持する為の基本的な食べ物が欠けているからであり、最も重要な食べ物が木の実に他ならない。
体の細胞に必要なものは完全な仕組みの食べ物、水であり、ハードである脳の機能を使いこなすソフトが心であり魂なのだ。
耕すこと、肥料を与えることから「完全な仕組みの食べ物」が生まれることは絶対にない。
自然界と比べれば誰にでもわかるようにそれらは人間独特の食品加工技術に過ぎない。
「早く大きく量産」と言う目的は果たしているが、常識に縛られず自らの頭で判断した方が良い。
魂の個々の中身は知る術もないが、その存在と物理的な仕組みについては次回、「魂の行方」シリーズで書くとしよう。
順序は逆になったが、野人方程式から出たこの問題の答えは木の実であり、人が関与しない放任した果物だ。
単純に季節の木の実を毎日一粒か二粒づつ食べ続ければやがてわかることで医学実験室は必要ない。
そもそも医療とは体を壊してからが出番であり、健康維持は個人の責任範囲、健康食品に頼ることでもない。
当たり前とは何か、自然界を見て考えれば誰にでもわかるはず。
成分養分に固執する限りその答えは出ない。
それはここ数十年の歴史からわかっているはずなのだが・・
抽出加工成分に命はなく、またそのようなものも存在しない。
体の細胞も小さな命であり、心もまた同じ命なのだ。
大いなる力
http://ameblo.jp/muu8/entry-10308576877.html
気の科学35 植物の意識と知恵
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テーマ タネ!の陰謀 タネ・・
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