クビだらけの珍生 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

大学時代は空手部、空手本来の技はすべて反則になる試合に関心はなかったが、仕方なく出場した流派の全日本選手権が代々木の体育館で行われた。

結果は・・組手の出番までウンコしながら考え事していたら順が繰り上がり「不戦敗」となったが特に感じるものもない。

探しに来た後輩達から「先輩、何してたんですか」」と言われたが、「うんこしてた・・」としか答えようがなかった。

帰ってからも、餞別をくれた友人達から「東京まで何しに行ったんだ」となじられたが、その時も・・「うんこ・・しに行って来た」と答えるしかないではないか。



野人は流派の型などほとんど知らない。

いくら聞いても、理もなく役にも立たない動きは頭に入らないのだ。

皆の動きを見ていると無駄な動きが多く「弱点」ばかりが目についてしまう。

全員、上から教わった通りにやっているのだが野人は物理で判断していた。

入部届けを出した覚えもなく、まあヤマハと同じ自由出勤の居候のような扱いだった。

たまに練習に出向き、技も自分で研究、完成すれば誰かが嫌々ながら実験台になる。

本部から師範などが来ると、「何だそれは」「理がない」と無礼な口をきくのでいつも「隔離」、表には出さないようにされていた。

組手の時も、たいして構えず棒立ちのまま容赦なく省エネの一撃を弱点に加えるので先輩から危険物のように忌み嫌われていたのだが、意外と大切にされて卒業までクビにはならなかった。

野人流の「礼」は尽くしていたのだが最後は本部師範により破門にされてしまった・・残念。

つまり、二度と近づいてくれるな・・と言うことだ。

思えば、規律の最も激しい武道団体で野人はやりたい放題だった。

組織にはいても最初から最後まで違う道を歩いていたのだからまあ仕方ないだろう。

しかしプライベートでは今も仲間で交流は続いている。

潜水部も数か月でクビ、空手も、アルバイトも2回クビ、23年間も我慢したヤマハは偉い。

しかしヤマハ空手部ではやり過ぎて初日でクビになった、頼むから来ないでくれ・・と。

クビだらけの人生・・


最初からわかっていたから就職活動したことは一度もない。

ここまで徹底して哲学を貫けば、まあ本望だ。

最初から最後まで不良の野人を大切にしてくれたのはヤマハの川上源一と跡を継いだ社長の2人しかいない、心から感謝している。

この会社は野人が立ちあげたものだが、いつかクビになるような気が・・