子供が野菜を嫌う理由20 終章 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

農業は製造業でもなく、工業製品を作るものではないはず。

ハウスがさらにエスカレートして今は工場でも作る時代になってしまった。

土壌と太陽はなくとも水と液肥と蛍光灯で間に合うと言うことらしい。

大地の仕組み、植物の仕組みさえ知らずして、人は何を作ろうとしているのか。

本質から外れた農法で量産する野菜、健康を前提に世の中も栄養学も、抽出サプリや健康食品産業もそれらの野菜を中心に回っている。

それが世界的な健康悪化の主因とこれまでの道理は示している。

誰もが健康維持に不可欠だと信じる食品が逆の効果をもたらしていると言うことになる。

食品に害があると言うことではなく、それにより体に必要な本来の自然食品を食べる機会がなくなったと言うことだ。

栄養分とは人が決めた言葉であり言われるほど重要なものでもない。

今は栄養失調よりも栄養過多で持て余している。
天然のウナギは半年食べなくてもほとんど痩せることなく元気なことも実験した。
そうでなければ山から海に下りて何も食べずにマリアナ海溝まで泳いで行けるはずがない。

人はウナギとは違うが、食べなくても、人間が常識で決めた限界よりもはるかに長く生きられる。

寿命もまた然り、薬品も医療も今ほど必要とせず1割以下で済むはずだ。

動物は例外なく、動植物からバランスのとれた成分と共に、そこから生まれる「生命力」を摂り入れることで生命を繋ぎ寿命をまっとうする。
いくら言葉で自然界のものから抽出、天然成分、体に優しいと飾ろうがそのようなものは自然界に単体では存在しないもので、体が受け入れた歴史はなく、食の本質とも無縁のもの。

化学物質と言うより科学成分と言う方が適切かも知れない。

人が土壌を作り、植物の成長に直接関われば間違いなく自然の産物ではない。

人もまた自然界のバランスの中で生きている。
加工食品だけで人は生きて行けないことは言うまでもなく、これは「自然」を仕組みではなく言葉で簡単に片づけた人類最大の過ちとも言えるだろう。
 

森羅万象の道理ではなく、言葉が生み出した「人間の道理」とも言える。
この間違いが世界的な環境の悪化だけでなく人々の命をも縮めている。
ムーの理論は自然界の道理をもって常識や今の科学の矛盾を指摘、修正と具体的な方向を提示したものだ。


船の免許を取って船を動かすなら、船が走る海を海に出る前に学び、安全を確保するのが当たり前の道理なのだ。
しかし現状は、免許取得したからと未知の海に出ようとする人が圧倒的に多く、そんな事故ばかり何十年も見続けた。

言葉と仕組みの認識の差はその人の運命をも左右する。

農学や野菜を学び、指導、野菜を作るのを本業にするなら、植物の仕組みも大地の仕組みも生き物の循環の仕組みも物理的に理解しなければ迷走するのは当然だろう。

だから今の農学、農業は根幹から間違っているとはっきり断言した。

農業を研究指導する農学者ですらそれらを明確に語れる人は一人もいないからだ。

それは植物学の世界も同じことで、高校の生物が文系寄りになるのもおかしい。

今の小中学の理科や高校生物の内容は必要な時に参考辞書として使えば済むことばかり。

子供達にはもっと大切なことを教えてあげたい。

文部科学省がやらなければ自らやるしかない。

生き物達の「仕組み」は工学をはるかに超えた複雑な地球生態物理学なのだ。

それらをすべて学びとるには時間がかかる。

思考の起点と組み立て方である道理の基本がわかれば後は自分で学べばよい。

数学も物理も自然界の仕組みも簡単に理解出来るはずだ。
人は、自分の命だけでなく、家族を守り、自らの判断と力量で道を切り開かなければならない。

この学問は森羅万象の護身術でもあり、人々を守る為のものでもあり、広い視野と理論と志をもって諸問題に挑む者が出て来るだろう。

世界の常識の壁となる前に誰かが間違いを正さなければならない。


世界の食糧事情、経済の仕組みから商業製品としての野菜も今は必要、健康野菜との折り合いはこれから人類が決めるしかない。

子供が野菜を嫌う理由は本能から来る単純な道理であり大人への警告。

好き嫌いではなく「食べるべき植物ではない」と拒否しているのだ。

常識で抑え込むか耳を傾けるかは大人次第だろう。




子供が野菜を嫌う理由  終わり