人は本来肉食か草食か、他の学者の説がどうであれ、ここに記した多くの視点から導いた道理のすべてを覆せない限り、人は本来肉食だ。
他に木の実を好み、草も食べるが基本は魚介類を含む肉食。
陸の鳥の多くが虫を主食にしながらも時期になれば木の実を食べるのと同じだ。
たまに新芽も食べる鳥が草食になれない理由の一つは空を飛ぶからだ。
鳥は身軽になる為に随時フンをするが、植物を消化する為の長く重い腸も飛ぶ妨げになる。
空を飛ばないニワトリにはギシギシなどの葉っぱをたっぷり食わせてもどうと言うことはないがあまり消化されないだろう、だから鳥は緑のフンをする。
魚以外を食べる海鳥も知らない。
野人は鳥類や人類学の専門学者ではないがジャンルを超えた知識と視点はある。
部分的には少々の定義の間違いはあるだろうが、理論にはあまり影響はなく、人の主食が草類である道理は見当たらなかった。
考古学者や人類学者が、植物の仕組みを学び、その生態と自然界の循環の仕組み、海洋学、数十年に及ぶ体験など、そのような時間もなく同じ視点は難しい。
協生学とは必要なら部門を超えて学び、物理的な道理からはっきりとした答えを導く学問であり、「思い」や「個人説」ではない。
視点が多く難しく感じるだろうが、個々の道理は子供が出してもそこに行き着く簡単な算数のようなもので、それが連立するだけのことだ。
前回の記事で言葉足りず補足、コメントで書いたが、見てない読者もいるだろうからあらためて紹介する。
以下・・野人コメント
本分が長くなったので省略したが・・・
噛まずにすべて呑みこみなさいと言うことではなく、噛まなくても良いものは噛む必要がないと言うことです。
よく噛んで食べると言うのも、しつけも、暮らしから生まれた人の文化、楽しんで味わって食べる会席料理、茶の道しかり・・
急ぐから一気に食べるのか、ゆっくり食べるかはそれぞれが選ぶこと。
野人が変えたい「常識」とはその基本。
基本ベースが「噛まなくてはならない」と、本来は「噛まなくて良い」では天地ほどの差がある。
それを念頭に食材、調理法、体調、時間のゆとりで各自が判断するのが一番良いことだ。
森羅万象の道理
「地球上のすべての生き物は、その食性の理に適った喉を通る食材は必ず無理なく消化出来る。進化の頂点にある人間が例外ではないのは当然のこと。
消化の困難な食材は体の理に適わず、消化が困難な体は自ら招いたこと」
以上
「旨味」と「甘味」を好む舌の味覚は人の主食を示す。
人の体は生の動物性たんぱく質と、生の木の実や草の果実を中心に受け入れるようになっている。
毒性と繊維質を多く持つ植物の葉は「その他の食物」に含まれることは間違いない。
自然界の草や木の葉をそのまま生で食べて美味しいと言う人はほとんどいない。
つまり、生で食べて「不味い」と感じる食材ほど食性の理に適わず、体験から「よく噛まなければ消化に悪い」と言われる食材ほど消化の理には適っていないと言うことだ。
食べて悪いと言うことはなく、それを承知で食べれば良いのだ。
「噛み方」まで指導されるのは人間の子供だけだろう。
そんな基本的なことは生き物なら教えられるまでもなくわかるはずなのだ。
野人は何でも食う・・・噛むのは面倒だが。
続く・・