志と信念 4 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

この木造倉庫で8年間過ごし、デザイナーらと朝まで構想を練り続けた。

彼は企業のチーフデザイナーの職を捨て、真っ先にこの会社に駆けつけ、1年近く失業保険を受けながら無報酬で働いた。

彼もまた世の中を良くしたいという志を持っていた。

そもそも野人は会社など考えた事もなく、一人で山に入り研究するつもりで準備していたのだ。

何の相談もなく勝手に会社を辞めて押し掛けて来たからやむなく会社を興した。

一人でやる方が気楽だが、それもまた良かった。

進む道はどちらも同じなのだ。

社名も事業内容も決まらないうちから2人の他に3人の出資者が集まり皆で登記手続きに入った。

資本金600万の有限会社だが、面倒な野人はカヤの外でただ寝ていただけだった。

半年間の有給休職中で、まだヤマハに籍があるのに彼らが設立日を決めて登記したものだから失業保険とは無縁、「おい・・」と言っても皆知らんぷり。

23年もサラリーマンやったのだから一回くらいはもらってみたかった。

さらに・・設立どころか正式退社していないのに企画コンサル料として毎月5万振り込んで来たツワモノもいた。

やがて元の会社の部下達も数人が同じようにして集まって来た。

初年度無報酬で働いた社員は5人、売り上げもないのに順次転がり込んで来たのだ。

野人は漁師であり、百姓であり、社長であり、地球物理学者であり・・詩人?・・だった。

物を持たず、食べ物に不自由しなければそれほどお金も必要としない。

すべて吐き出したので貯金も資産もないが、会社のお金は10円たりとも私物化したり、無理に経費処理したこともない。

一般社会の常識から見れば利益をもって社会に貢献出来ない存在価値もない会社だろう。

社員にも希望一つ与えられず、野人に夢を託した株主や支援者達にも応えられなかった。

何年間も目的には近づけなかったが、貧しいと感じた事もなく辛くもなかった。

ただ、資金難ゆえ設立当初から野人について来た社員を去らせた時は本当に辛かった。

東シナ海でどのような危機が来ようが辛いと感じた事などなかったが、この時人生で初めて自らを責めた。

優秀なデザイナー、料理長、彼らは自力でも立派にやって行ける技術を持っていた。

すくわれたことは、辞めても時々訪ねて来て今も一緒に夢を追おうとしていること。

野人もそのつもりでいる、いつかきっとまた一緒にやれるだろう。


続く・・


2008 3月

思いやり

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2008 10月

ピーターの寿司の食い方

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