野菜の必要量? 2 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

人の手で養殖された植物を大地の恵み、自然のもの、環境健康に優しいと言うのなら、その理由を聞いてみたい。

聞いたり読んだりしたことをそのまま覚え、大地や循環の仕組みや植物を自ら徹底研究した人はいないはずだ。

それは今の農学とも無縁のことだから農学者も知らない。

生ごみや家畜の糞を完熟の名の元に土中に埋め、それを自然循環と呼ぶ道理も聞きたい。

そのような土壌は自然界に存在しない。

土も野菜も人が作るものであり、加工食品と位置付けるなら問題ない。

美味しいか美味しくないか、新鮮か新鮮でないか、有機肥料か化学肥料かなど、植物の本質とは全く関係がなく人の好みであり、肥料を工夫すれば味はどのようにも変わる。

それらの野菜しか食べていなければ、植物としての本質を持つ野菜本来の味も、そのパワーも知ることは出来ない。

科学医学の進歩に比例した野菜の過剰供給、にもかかわらずそれに比例した世界中での健康悪化。

原因は野菜そのものにあると考える人はいないのだろうか。

人間が土づくりをしなければならないほど土壌は不健全で不完全なものなのか。

自然界の動植物は病むことはなく人間だけが病んでいる。

動物は植物なくして生きてはいけない。

有機肥料であれ化学肥料であれ、完熟堆肥であれ、人が作った土で養殖された野菜は食用植物としての本質を保つことは出来ず加工食品とも言える。

その明確な違いは何度もこのブログに書いてきた。

それらを元素に戻すのは虫達の仕事であり、草食哺乳類が食べる本来の食ではない。

牛は自らの糞で立派に育った牧草を避けてあえて食べようとしない。

しかし人は農業が始まった数千年前からそれを好んで食べて来た。

食べてどうと言うことはないが、長年食べ続けて植物が不足すれば細胞や代謝は維持出来るはずもなく、精神さえも病むだろう。

人類が寿命を全う出来ない理由はそこにある。

正常な植物なら種類や成分などまったく関係なく草でも何でも良い。

コアラもパンダも好きな葉っぱばかり食べて偏食で生きている。

成分やカロリー計算して規則正しく無理に食べようとするのは人間しかいない。

野菜嫌いにしては心身共に健康な野人から見れば、無駄なこととしか思えないのだ。

そうまでして体を管理しなければならなくなった代謝不調の主因は今の野菜と塩と水だ。

それでガンや他の病気が防げるなら病院や薬も必要ないはずなのだが不足が加速している。

今の野菜ではなく、植物の本質を持った正常な野菜を食べ続ければ体は元に戻る。

自然治癒力が低下したから病になるのであって、それを元に戻せば良い。

目の前が畑で、毎日大量に新鮮な無農薬有機野菜を食べたとしてもガンやアトピーは防げない。

この単純明瞭な道理は賛否を論ずる前にやってみればすぐにわかるはずだ。