野菜を太らせる利益とリスク 1 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

以前にも述べたが、農業の歴史は野菜を早く大きく育てることに奔走したと言っても良いくらいそれが常識の基盤になっている。理由は単純で簡単だ。農産物は人間にとって大切な食料で、飢えることのないようにすることが農業の第一の目的だったからだ。農業のおかげで人は狩猟採集の分散した暮らしから集落が生まれ、文化や産業や学問が生まれた。農業の研究に日本人は主食である米を中心に数千年を費やしてきた。農業は全ての産業、学問の始まりだったのだ。飢えるような農業は農業ではないとも思っている。昭和初期までは作る人も食べる人も何とか飢えずにやってきた。寒さの厳しい地方ではそれだけではやって行けず、冬は出稼ぎも盛んに行われ、何とか生計をたてていた。近代農法と肥料を用いる最大の利益は「早く立派な商品、食料が出来る」ことだ。しかし今は作る人にとってはかってないほどの冬の時代だ。何とか頑張っている人もいるのだが、大半は農地を放棄、あるいは減反政策で眠らせ、他に職を持ちながら田畑を維持している人も多い。これでは後継者も育たない。つまり田畑は有り余っているが「業」としては難しくなった。最大の理由は、収益に対して流通させる為のコストと労力がかかり過ぎることにある。機械化量産によって農産物の価格は上がらず、消費者のニーズが昔と変わってきたからだ。地産地消にこだわらず広く流通させるには色や形や大きさに規格が設けられ、清潔な梱包まで農家が負担しなければならなくなった。廃棄される農産物も相当な量だ。大量の肥料や薬物に土壌の仕組みは狂い、病気や害虫に悩まされ、連作障害や土壌消毒などに振り回されている。土壌廃棄も珍しくない。その挙句には土も太陽も必要としない「工場生産野菜」の方向へ政府自ら進もうとしている。農業を根本から見直すことなく行き着くところを知らないとはこのことだろう。この農業を進めた誰もが失敗を認めず、新たな対策を次々に打ち出すが、どれも効果はないし、植物を知らなければそれも当然だろう。自然界は人の意のままにはならないし、人間よりはるかに賢く純粋だ。欲もなく森羅万象の営みを淡々と繰り返し、地上の全生命を養っている。野菜を早く太らせる最大のリスクは作る側だけではなく消費者全体にまで及んだ。

続く・・・