野人愛用のハンテン 「貫徹」 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

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野人愛用のこのハンテンは、はるか昔に母からもらったもので、もう何年使っているかわからない。冬の夜はいつもこのハンテンで過ごしているが快適だ。野人はもう何十年も冬でも窓を開けている。綺麗な空気が入って来ないと窒息死してしまうからだ。風で頭上の電灯の紐が揺れるような日でもこれで寒くはなく、このままソファーで毛布かけて寝てしまう。ただ、窓が開いているとさすがに毛布一枚では明け方は非常に寒い(笑)

背中で吼える「貫徹」の文字。貫徹って・・何だ? 今日はそう思って調べたら真っ先に百科事典で「貫徹力=戦車などの対象物に当たった砲弾などが装甲の中まで突入出きる力のこと」と出た。こりゃ違う。まあ一般的には「最初に掲げた目標を最後まで貫き通すこと」だろうが、これもまた気に入らない。一見大和魂みたいでご立派に聞こえるが、あまりにも融通がきかない。諸行無常、世の中は常に動いている。時も環境も。それに合わせて臨機応変に動くべしと兵法書も説いている。「風林火山」などその最たるものだろう。いつまでも、「動かざること山の如し」では眠くなってしまう。過去の意識も常識も今とは異なるだろう。人の知能は前に進み、判断のレベルも進む。掲げた目標が間違っていたらあっさりと変えれば良い。人は過ちも冒す。その時は素直に頭を下げて改めれば済む事だ。

野人の「貫徹」の哲学は「人間」としてもっとも大切な生き方。ああしたい、こうしたい、この職業に就きたい、財を成したいというのももっともなのだが、それは個人の願望、欲望の類に過ぎずキリのないことだろう。「こんな人になりたい」というのは大人になるにつれて陰を潜めて来るようだ。小学生の頃は「パイロットになりたい」というのも人気があったが、「リンカーン」「ヘレンケラー」「野口英世」「マザーテレサ」など、そのような人になりたいと言うのも多かった。我が身を投げ打ってでも世の中の為に尽くすということに子供心に感動したからだ。今もその心を持ち続け世界へ出てゆく人もいる。家庭の責任を果たしながら出来ることをやっている人も多い。命を捨てて線路に落ちた人を救った青年もいる。人間がそんな心を失わなければ世の中はそう悪くはならない。最近の世の中は希望と絶望が交差しながらもどちらかと言えば殺伐としてきた。そんな中で野人は自分の出来ることをやりたいと考えている。やらなければならないことをやろうと決めている。それが野人の貫徹だ。何をどうするかは手段でありたいしたことでもない。それこそ臨機応変の自然体で良い。たいしてお呼びでなくなれば、海で黒鯛を追いかけ、山でメス猪を追いかけておれば良い。そのほうが野人にとってははるかに快適だ。