東シナ海流55 硫黄島から屋久島へ | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

夏も終わる頃転勤の辞令が来た。

赴任してまだ半年にも満たない。本当に忙しい会社だ。

次の赴任地は硫黄島からクルーザーで1時間の屋久島だ。

南西諸島のヤマハの施設では一番古く、船舶の基地もある。


マリンの担当者の一人は、沖縄の海洋博覧会でダイバーをやっていた男で、釣りは苦手だが、何でもクストー潜水学校を卒業した凄腕のダイバーらしい。

その男が八重山諸島小浜島の開発に移転、代わりに屋久島に入ることになった。


硫黄島では古い民家を会社が借りて寮として一人で住んでいたが、半年近く一度も掃除をしたことがなかった。

整理整頓、掃除洗濯は苦手だ。

部屋中に散らばった衣類や本など必要なものだけ持って行くことにした。

隣はヤマハの従業員の女の子の実家で、その子に残留物の処分を頼んだ。

港までクルーザーが迎えに来て、荷物を積み込み屋久島へと向かった。

置いてきた荷物は数日後、綺麗に洗濯されて段ボール数個に整理されて屋久島へ届いた。



屋久島は「洋上アルプス」と呼ばれ、九州で一番目と二番目に高い山があり、黒潮本流の深い海から隆起した島だ。

海底から計ればもっと高い山になるだろう

山の上部は亜寒帯中腹は温帯、海岸沿いは亜熱帯と三つの気候を有する島は屋久島だけだ。


雨量は日本一だが年中雨が降るわけではなく、低い雨雲が山にぶつかりどこかで雨が降っているのだ。

しかも半端な量ではなく、バケツをひっくり返したようなスコールで車が走れなくなる事もある。

数隻の大型クルーザーを有する船舶基地は一湊にあったが、宿泊施設は永田の外れにあり、部落の中の一軒家が寮になっていた。

かなり古いが相当広い屋敷だ。


田んぼの田の字型の八畳四間で、土間には古い釜戸が二個あった。

風呂は五右衛門風呂でなかなか風情がある。

庭も広く、ハイビスカスやブーゲンビリアが咲き乱れ、バナナも数本あって実がなっている。

なかなか住み心地が良さそうだ。

仕事内容は硫黄島と同じで、お客様の海への案内だ。

船釣りは一湊からクルーザーでやっていたから磯釣りの案内が中心になる。

海の担当者は3歳年長の小林さんと波崎さんがいてダイバーの波崎さんが八重山へ移動する。

小林さんは海に潜れないがこちらはどちらでもいける。


波崎さんは仕事の引継ぎの為に残っていてくれた。

彼に詳しい海底の状況を聞いていると妙なことを言い出した。

「絶対に小林さんに船の舵を持たせるな」と言うのだ。

小林さんは海に潜れず、船酔いするから船は苦手な事は聞いていた。一湊の船舶基地とは別に、27フィートの船を一隻、永田川の河口に保有していたが、その運転をさせるなと言うことらしい。

乗った瞬間に船酔いして蛇行運転でもするのだろうか。

すぐにその理由がわかることになった。