日本の山はさっぱり動かない。これだけ大勢の人が関わり、税金も使っているわりにはウンともスンとも動く気配はない。
採算がとれない杉や檜の植林は荒れ放題、表土には光も当たらず、土がむき出しになり土砂災害を引き起こしている。
大量の花粉は人を悩ませ、手がつけられない状況に陥っている。
政府の植林政策が間違っていたのか、一概にはそうとも言えない。
高度成長期、住宅建材の自給と言う意味では方向性は間違っていなかったと思う。ただその手法が間違っていた。
単純で一方的な手法は今の農業にも言えることだ。
また河川などの建設工事にも同じ事が言える。
学問も行政も分業制の欠陥で、トータルコーディネーターがいないのだ。
オーケストラで言うなら「指揮者」だ。
縦割り行政、縄張り意識の弊害でおかしなことばかりが目についてしまう。
狭い範囲で考えれば理には適っているが、自然界の循環からは逸脱している。
そんな体制が変わらない限り山も動く事などないだろう。
かといって放置すれば大変な事になる。
森林は復元せず悪化の一途をたどり、農業も衰退、過疎化した村は消滅する運命が待っている。
人は通勤に便利な都会へ集中し、生産者がいないと言う何ともバランスの悪い国になってしまう。
野人一人頭を捻り頑張ったところでどうなるものでもないが、今やらなければ明日はないように思う。
一人一人が出来る事をやるのも大事な事だが、画期的な手法が見出せなければ山は復元しない。
ハゲ山に木を植えることはボランティアも出来るが、荒れた植林を動かす事など到底出来るものではない。
国費でやれば税金がいくらあっても足りない。
だから行政も手をこまねいている。そこから思考を進めると「唯一の方法」は、人の欲を動かすしかなく、欲とは意欲も含む。
つまり「杉や檜を切りたくなる」ようにすることだ。
切り株まで持っていってもらえば言うことはない。
今朝のニュースでも問題になっていたが、鉱物マニアが人の山にまで入って滅多やたら掘り起こす。
盆栽マニアも動物マニアも同じ事が言える。
人は良しも悪しも「欲」の為には精力的に「動く」。食欲も物欲も性欲も同じ事、動く事に変わりない。
動くから食べものが手に入り、物が手に入り、子供も・・生まれる。
森林再生もその方向に絞って考えたほうが良い。
膨大な材木や根っこを活用するアイデア、それに跡地の山林の活用がそれに当たる。
人の欲と遊び心のエネルギーは強烈だ。
それともう一つの視点は縦割りを無くし、農業と林業と畜産業と水産業の境界を取り払う事だ。
山も川も平野も海も繋がっている。
その中間点の「農山村こそ理想的な立地条件」にある、そう考えれば良いのだ。
農山村や漁村は人が住むのには理想的な環境であり、そこで十分生計も立てられる。
都会に疲れた若者が希望を持って暮らせる環境にしたい。
そう思いながらこのブログを書いている。
具体的な手法は本一冊分にするくらい頭の中にある。
「農村活性ビジョン 開け村!」と「漁村活性ビジョン 開け海!」で少しづつ紹介して行こう。