偉大な葉っぱの恩恵 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

たかが葉っぱ、されど葉っぱ。人は、葉っぱをどのように認識しているのだろう。子供に「なぜ緑を大切にするの?」と聞かれてどう答えているのだろうか。

近年、森林伐採や炭酸ガスによる地球温暖化問題により植物の役割がクローズアップされて来たが、葉っぱは酸素を作るだけではなく生命を維持する全てを賄っている。葉っぱが無ければ川も地下水も無く、野菜や果物が育つ環境も存在しない。動物は体で認識し、人は頭で認識しようとしているから現在のような歪みが生じるのだろう。大自然の中で気持が休まるのは、そこが本来、生き物の生息する所だと感ずる本能が残っているからだ。食べ物としてだけでなく、大昔より葉っぱは生活文化に最も重要な役割を果たして来た。家、紙、薬、道具と、上げればきりがない。子供のころ海だけでなく山で葉っぱともよく遊んだ。夢中で遊ぶ子供に体験などと言う言葉は無かったが、友達や上級生から教わる子供社会の文化の伝承があった。今はその場を無くして、全て大人がセッティングしている。だから体験などと言う言葉がはやるのだろう。

春になると、冬の間活力を貯えた新芽がいっせいに芽をふいてくる。この時期、野山に入ると大地の匂いと言うか、生命の匂いと言うか、独特の匂いがする。この匂いごとまるかじりするのが好きで、代表格がヤマウドだ。山の土手から芽をふいたばかりの短いものの根元からナイフを入れ、土を払って皮を剥き、洗わずに白い部分をそのまま食べる。採ってすぐだと、アクもなく、やや甘くてみずみずしい味と香りがして、思わずほほがゆるむ。同じようにして食べるのがノビルの球根、ヤマウド程ではないが時々食べている、のどが乾いた時、おいしくはないが、イタドリやスイバをかじる。甘いものが欲しくなれば、チガヤの穂や根をかじり、椿やスイカズラの花の蜜を吸う。晩春から秋にかけては木の実が豊富だ。春夏秋冬、山にも海にも生ものは有り、温かいものが食べたければ、手間はかかるがヤマイモを乾かして粉末にし、椿の実をしぼって油を作り、竹を割って器にし、野鳥の卵と山菜を調達して来て火を起こせば、天ぷらだって出来る。古人の知恵を楽しみ、さらに磨きをかけて後世に残したいものだ。