グランドデザイン① | さまようブログ

グランドデザイン①

 思えば、人類が歴史を文字にして記録できるようになってから、わずか数千年しか経過していません。

 地震が周期的に起きる環太平洋地域に限定するなら、日本が最も古くからの文献史料を持っていますが、それでもわずか千数百年。つい忘れがちになるのですが、人類はこの規模-千年に一度とも称される規模-の地震の「記憶」を、あまり持たないのです。

 もちろん、文献以外の情報から、私たちは少しずつ過去の地震のことを理解し始めています。貞観地震 が認知され始めたのはここ10年ほどのことですし、これまで巨大地震の存在が知られていなかった北米太平洋岸でもマグニチュード9クラスの地震が起きてきた ことが明らかになりつあります。

 さらには、東海・東南海・南海の連動地震を上回り、琉球海溝にまで震源域が連なるマグニチュード9クラスの地震が、千数百年の1度の頻度で起きている可能性も指摘されはじめているのです。

http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou78/11_07.pdf

 環太平洋地域では、どこでも、千年に一度ほどの頻度でマグニチュード9クラスの地震が起きうる。そう認識するほうがいいのではないかと考えています。

 以後、この仮定を念頭に置いて話を進めることをご了承ください。


 超巨大地震はどこででも起きうるとした上で、今後の復興をどうしていくか。また、今後の社会をどのようなものにしていくのか。非常に難しい問題です。

 今回の地震の被災地では、高台に移住や街全体の嵩上げ(高床式市街地とでも言いますか)などによる根本的対策は、相当な困難は伴うものの可能かもしれません。私は、政府の復興試案(たとえばこれ )は、叩き台としてはまず評価できるものだと考えています。少なくとも、巨大防潮堤を作るなどといった案よりははるかにいいです。

 しかし、まだ地震が起きていない関東以西の太平洋岸はどうなのでしょう?今後のことを考えるなら、こちらの対策のほうがより重要です。なにしろ、東北地方では今回のクラスの地震は当分おきない可能性が高いのですから(大規模な復興案は余震が発生する期間内に完成することはないので、ここでは巨大余震については考慮しません)。

 巨大地震がまだ起きてもいない西日本地域で、「千年に一度の地震に備えるため、街を挙げて移住しましょう」などと言われて、どれだけの人が納得するでしょうか?移住のための財源は?そもそも、例えば関東地方などでは巨大な移住人口を受け入れる土地が確保できるのか?課題は尽きません。

 一つ明らかなのは、千年に一度の危機に備えるのであれば、東京を初めとする太平洋ベルトへの人口集積は絶対に考え直すべきで、首都機能の分散・本社機能の東京からの分散などは最優先に推し進めるべきことでしょう(本当は、千年どころか百年に一度の災害に備える意味ですら重要なのですが)。

 

 しかし、これらの対策を取ることは、当然ながらリスクを伴います。日本の経済力の源泉の一つは非常に進んだ効率化・集積化ですが、このメリットがある程度失われることは避けられません。長い時間をかけて一度作り上げたインフラを根本から再構築する必要も生じますが、これも当然ながら経済力の低下に繋がりうるものです(繋がり「うる」であり、やりようによってはかえって経済活動活発化に繋がるかもしれません)。たいした問題ではないと感じる人も多いかもしれませんが、これまで築き上げてきた景観が失われるのももったいない話です。

 いずれにせよ、千年に一度に備えるのであれば、私たちの生活は激変せざるをえません。抵抗は大きいでしょう。「生き残るのは変化できるものである」とはダーウィンの有名な言い回し(実際には言ってないらしい)ですが、これは間違いなく正しい結論です。正しいですが、昔からの生活を維持したい、変化を望まない人を見捨てることは、断じて許されません。


 などと考えてくると、根本的な「千年に一度の災害にどこまで備えることが望ましいのか」という疑問が生じます。さらには、これを上回る「数千年に一度」「数万年に一度」といった災害(火山の破局的噴火、天体衝突など)にはどこまで備えればいいのでしょうか。

 そして、これらの「突発的な災害」への対策と、気候変動のような「ゆるやかな災害」への対策を、どのように両立させていけばよいのでしょうか。

 

 この話はまだまだ続きます。