ローリングストーン誌2009年9月号に掲載された矢沢永吉のCDのレビュー記事は以前紹介しました。
前回は紙面の記事を真面目にテキストで起こしたのですがホームページに掲載されてることに気がつきました。
いまさらですが改めて紹介します。
ローリングストーン誌ホームページ
http://xbrand.yahoo.co.jp/category/entertainment/3743/2.html
――今回は矢沢さんにビートルズを語ってもらおうって企画なんですけど。
「あ、そう。ビートルズは僕を引っ張り出してくれた人たちだね。だって僕、高校出たら板金工になろうと思ってましたから。
大学に行くような余裕はウチにはなかったし、まさか自分がロック・シンガーになろうとは思ってなかったから。でも、今振り返ってみると、やっぱり上に行きたいって気持ちはあったんでしょうね。
『板金って、あの車のですか?』って皆さん言うけど、あの時代ってちょうど、自動車の時代がえらい勢いでくるぞって時代だったから。板金は僕が中学校2年の子供なりに見ると『これは来るぞ。当たったら凄いんじゃない?』と思って」
――矢沢さん、いつでもそういう発想をしますよね(笑)。
「僕、そういう発想だから。板金工はこれからの時代の職業だと信じたんですね。そんな時にラジオの番組で『今週、流星のごとく突如現れたイギリスのバンドで、ビートルズっていうのが出てきました。
ちょっとトピックスですから紹介しましょう』って流してね。『アメリカでは、今えらい勢いです。“アイ・ウォナ・ホールド・ユア・ハンド”』。
それでバッて流れたのよ。『♪ジャジャジャーン、アイウォナホージュハーン!』って聴いた時、何がいいのか全然わかんなかったの」
――あ、そうだったんですか。
「最初は『それがどうした? それよりコニー・フランシスのほうがいいんじゃない?』『何がいいの? やかましいなあ』とか思いましたよ。
それで次の週もまた聴いてたら、『今週もアメリカのトピックスで、先週紹介したビートルズはまだ1位です』ってジャジャジャーンってかけてて、『こういうのが1位とか騒いで、どうするつもりよ?』と思って」
――まだダメだった(笑)。
「僕はピンとこなかった、2作目ぐらいまで。だけど、『じゃあ、ビートルズの新しい曲を紹介します。“プリーズ・ミスター・ポストマン”』。
あれでぶっ飛んだね。バコーンといったもん。頭の中で音が聞こえましたよ、ブチッて。……それは嘘だけど(笑)。
でも、そんな音が聞こえるぐらいショックを受けたの。それからはラジオで『ビートルズ』って言うとカッとなるし切なくなるし、まだ中3とかでいちばん感じる時だからカッコよかったね。それで板金はやめた」
――これからはロックだ、と。
「だから、今度はロック・バンドを作ろうかと思って。歌手、これは儲かるかもしんないな、と。それで僕は友人に『俺、東京に行って歌手になる』って打ち明けたの。そしたら『お前、頭は大丈夫か?』みたいな感じでしたよ」
ローリングストーン誌ホームページ
http://xbrand.yahoo.co.jp/category/entertainment/3743/3.html
――矢沢さん、4年ぶりの新譜『ROCK'N'ROLL』を出されたわけですが、すごいよかったですよ。何年も聴けるアルバムが出たって感じがしましたね。
「ホントにうれしいね! 今回、『矢沢さん、聴きやすかったです』って皆さん言ってくれるんですよ。うれしいね。やっぱり僕らは作り手だから、『矢沢さん、これは何回も聴きたくなりますよ』って言われたらうれしいじゃん」
――今回、『ROCK'N'ROLL』というものすごいシンプルなタイトルで、えらいシンプルな音作りのニュー・アルバムを自分のレーベル(GARURU RECORDS)からリリースするにいたったのには、いったい何があったのかって単純に思うんですけど。
「皆さんも、『矢沢、結構長くやってるな』っていうふうに見てますよね。で、自分なりに言わせてもらうと、こう見えても結構まじめなんですよ、僕。
我々が音楽のスタートを切った時は、海の向こうのザ・ローリング・ストーンズにぶっ飛んだり、エアロスミスに泣いたり、ビートルズは神だとか、それで俺も歌手になるっていう矢沢みたいなヤツが多かったんですよ。
それでバンド作ったら、僕はこう見えても結構真っすぐだから、だったらアメリカとかイギリス行っちゃおうってことで、誰よりも早くそれを実行に移したの。即やっちゃう」
――確かにキャロル解散後、すぐアメリカに行きましたからね。
「行きました。行って、作り手として、同じメロディでもアレンジひとつでこんなに違ったものに聴こえるものかと思ってね。
海の向こうに行くと、日本なんてまだちっちぇえじゃん、って。 向こうに行ったら世界的なヤツら、アンビリーバブルなドラマーとかギターとか、腐るぐらいいるわけ。
演奏のレベルがもう、ちょっと勘弁してよ、ぐらい違うのを目の当たりにした時、日本の矢沢って鼻クソにもなりゃしねえじゃねえかってショックを受けましたよ。
『ワーオ! 世界にはすげえヤツばっかりじゃん!』と。それを感じるだけでもアメリカに出てよかった。そしたら、ますます僕の中の真っすぐさに拍車がかかったね。
すげえな、と。だから僕は日本に目なんて行ってませんでしたよ。その時は海の向こうに目が行ってました」
ローリングストーン誌ホームページ
http://xbrand.yahoo.co.jp/category/entertainment/3743/4.html
――音も変わりましたよね。
「それがいいか悪いかはわかりません。ただ、憧れです。作り手としてね。それでもう必要があればニューヨークに行くし、ロンドンに行くし、パリに行くしで。
でもある時、『あれ? 俺は作り手としてガーッといってるけど、聴き手はどのへんで聴いてるんだろう?』ってある日ふと思ったんですね。
たとえばこのジャパニーズ・マーケットを見た時に、矢沢は世界発売しただのなんだかんだいっても、ベーシックは日本だから。
それをふと思った時に、僕は作り手というものと聴き手っていうのにものすごい温度差があることに気づいたんですよ」
――どう考えても今年60歳のサウンドじゃないですもんね、これ。
「それ言われると、たまんなくうれしい! 『矢沢さん、60歳の声してませんね』って言われたらもう……『今日、ドライマティーニ飲みに行こうか』って(笑)」
――一杯おごりますか(笑)。
「それぐらい最高にうれしいです。60歳でこういう音楽にしたいと思ってるんです。狙って作っただけじゃなくて、僕自身もすごく出したかったサウンドだし、これをやりたかった。
で、作品ができました。アルバムのタイトルは後からついたんですよ。メインのタイトルは直球ど真ん中、『ROCK'N'ROLL』でいっちゃおうと。
そしたら友達が、『日本でロックンロールっていけしゃあしゃあと言い切るのは矢沢ぐらいだろう』って友達が言ったの。そう言われたら、余計『だよね? よし、言い切っちゃおう』と」
矢沢永吉 マスターピース