2007年11月28日、Perfumeファンになってまだ3ヶ月ほどの時点で僕は「Perfumeの歌声」というタイトルの記事を書いています。

http://ameblo.jp/muraki-handsome/entry-10057579901.html


初めてPerfumeのリップシンクについて触れた内容になっていて、結論としてPerfumeは音源と被せてきちんと生歌で歌っている、「口パク」じゃない、と書いています。


この時の結論はある意味現在でも通用する意味で正しく、またある意味正しくはありません。

Perfumeのパフォーマンス上におけるリップリンクというのは、一種類だけではないからです。


もともとリップシンクというものは、テレビ局、テレビ放送が始まったばかりの頃、収録するスタジオの音響状況や設備の不備を補うために行われたのが始まりということのようです。


それが、プロとして歌唱力の未熟な人たちの誤魔化しとして使われるようになったこともある、という経緯から「口パク」=かっこ悪い、インチキみたいなイメージがついてしまったようですね。


僕が一番よく洋楽を聴いていた1980年代前後、洋楽を取り上げるテレビの音楽番組がけっこうありました。

タイトルを覚えているのは「ベストヒットUSA」くらいなんですが、その中で紹介されるVTR映像の中には米国の音楽番組にゲストとして呼ばれた歌手が歌う、というものがありまして、バンド系の人でなければ大抵は口パクで歌ってました。


アバとか、アラベスクとかついこの間紹介したばかりのドゥーリーズ(あの映像は分かりやすく口パクですよね)とかノーランズとか、ソロのディスコサウンド系の歌手とか、生で歌う場合もありましたけど、口パク率は高かったですね。


当時海外、特に欧米の場合日本の歌手のようにとにかくテレビ番組に出ること=主な活動、という状況とは違って、まずアルバムを発売し、ツアーがあり、そのアルバムの出来を分かりやすく知らせるための楽曲のシングルカットがあり、その楽曲のプロモーションに最も影響力があるのはラジオ放送だったんです。


わざわざシングルカットした一曲を歌うためだけにテレビ番組に出るスケジュールを調整して、バンドやバックの楽団を引き連れて何度もリハーサルを重ね、ということはその歌手、バンドが人気者であればあるほど困難になるわけで、音源による演奏を背後に流したリップシンクがもっとも適していたんじゃないか、と思います。


しかも80年代からプロモーションビデオの製作に各歌手、バンド(当時は色々な音楽活動をしている人たちをひっくるめてアーティスト、という習慣はまだありませんでした)が力を入れ始めることによって、音楽番組のありよう自体も変わっていきます。


アーティストのプロモーションビデオを中心にプログラムを組むMTVの影響力が飛躍的に大きくなってきたり。


さて、本来はテレビ放送用に考案された口パク=リップシンクがいつ頃から大きな会場で行われるコンサートに使用されるようになったのか。


おそらくは70年代後半から流行したディスコサウンド系の歌手あたりから始まり、(或いはもっと前から)90年代のダンスミュージック系のアーティストたちの一部によって事前に生歌による歌唱パートを別録りしたものを使う、という現在でも行われている「リップシンク」が完成していったんじゃないか、と思われます。


この「リップシンク=口パク」スタイルに対する拒否反応みたいなものはどこの国、地域でも共通して起こるようで、ブリトニー・スピアーズさんとかKING of POP マイコーさんとか(この2人を一緒に並べちゃいけないかも…)も手厳しい批判を受けてますよね。


ただ、特にマイコーさんなんかもともと歌に関しては天才的な才能を有している人なわけですし(10代~30歳前後までの歌のうまさは神がかり的)、あれほどの激しいダンスパフォーマンスを観る側も期待しながらなお生歌でなきゃ許さない、というのも潔癖に過ぎる反応だ、と思いますが。

ウィキペディアによると、ダンスミュージックが盛んな韓国の場合、テレビの音楽番組の中で画面のはしっこに「Live」と出ていれば「生歌」で、そうでなければリップシンク、というわかりやすい表示の習慣があるようです。


リップシンク、というよりはダンスミュージックに対する理解が成熟しているんでしょうね。

アーティストの皆さんの歌のうまさを前提にしてのことなんでしょうから。


リップシンク=口パクへの拒否反応、嫌悪感というのは「生歌信仰」みたいな聴衆のプロの歌手に対する過度の期待から発生しているように思います。


たしかに生演奏、生歌でなければ表現できない何か、というものはあります。

僕自身、音楽を通じた表現の王道、中心はそこにあってほしい、という思いがあります。


しかし、様々なジャンルミュージックが発生し、育ち、成熟していく中でかえって「生歌」「生演奏」では表現しきれない何か、も確かに存在するようになったのが現在の状況なのではないか、という思いもあるんです。


僕にその状況を気づかせてくれたのが。


我らがPerfumeです。


次回ではぱふゅ→む、広島時代の活動を追ってみたいと思います ▽・w・▽