えー 首相が秋祭りに神社参拝なんていうほのぼのした話題が、極めて限定的な国々でそれこそ反人類的な行動だと話題になっているようなのでなんか書いてみます。
この問題に関する私のスタンスは以前書いた通りなので 、その部分については割愛します。


昨日ラジオ(FM東京)で、小泉首相の靖国参拝についてどう思いますか?てなお題でメールを募集してたです。
寄せられた投稿の中で、さまざまな意見(多数派とかではなく)が寄せられてました。
私みたいにかなり尖がった人の意見は最初からないのかそもそも読まれなかったのか知りませんが、概ね以下の感じでした。
 ・首相の私人としての参拝は中途半端な感がある。
 ・日本の償いや今の考え方をきちんと外国に理解してもらっていない。
 ・理解が得られない段階で参拝に行くことには消極的。
 ・話し合いをもっと行って相互理解を図るべき。

うむ。これが日本人のコモンセンスなんでしょうね。
日本人ていい人達だなあっと思いました。


た・だ・ね


これを聞いて私としては疑問を思った訳ですよ。


・あなた方は、自国の内部について理解を進めているのですか?
  戦中派の人の話に耳を傾けたことがあるのか?
  靖国神社を色眼鏡でみていないか?


・あなた方は、利害が真っ向対決する話し合いを経験したことがありますか?


かく言う私は、戦中派の人の話なんか、祖父の話し(片方は日華事変に従軍 片方は徴兵免除…)か聞いた事ないです。もっと自分の耳で聞くべきなんだろうな。

それ以外は実際にこの目で見て、学んで、理解しているつもり。(もちろん永遠に未完成)


特によく気になるのは、「もっとよく話し合うべき!」というオールマイティな言葉。


もちろん、理性的な解決方法としてはこれが一番重要なのですが、問題なのは相手に「聞く耳」があるのかどうかです。
おそらく「話し合うべき」と言う人ほど、恐ろしいまでに利害が真っ向から対立し合い、それこそ相手の命を取ってやろうくらいの勢いでやり合う討議ってのを経験も認識もしていないのではないか?と思います。
こう言う場の話し合いっていうのはひどいものです。相手方が客観的で合理的な意見を言っても、絶対に理解しようとしない。他人の意見の本質ではなく、それ以外の枝葉末節を拡大濃縮してどんどん議論をすりかえるんです。
日本人一般は、「恥」の意識がDNAとして刻まれているので「こんなこと言ったらバカだと思われるんじゃないか」と言うのがブレーキとなるので、比較的話し合いで何かを生み出すことができるのですが、世界の価値観を見ると、日本人のそういう価値観が異質なようです。
ディベート技術に優れた人間から見れば、一番付け込み易い相手になるんでしょう。


逆にディベートに最も強いのは「バカ」…もしくはバカを装える策士です。
相手の意見の本質を巧みに理解せず、その部分を論点の中心から次々外していく。正しかろうがなんだろうが、絶対に相手の主張には納得しない!
そんな相手に話し合いで何かを生み出せるのかなあ~ などと最初から諦念しております。


政治討論番組などで、勇気ある韓中コメンテイター(出るだけでもスゴイ)が語られている論法を見ると大抵これです。
凄かったのはチベット占領に関しての議論。
日本人コメンテイター(櫻井淑子さん )が「チベットで600万人の人が虐殺されたというのに、中国はこれを平和的解放と喧伝している。これはどう見てもおかしなことではないか。」
中国人コメンテイター(日本の大学で教えている大学教授 名前失念)「平和的解放とは、その民族に毛沢東主義を根付かせることだから、おかしいことでもなんでもない!」



(・◇・ ) ナニソレ

んじゃあよー 民族虐殺が地球環境維持運動だ!とかって言ったら正当化されるとでも言うの!?

こんなのは一例で困ると直ぐ話を変えようとして、違う論点で「日本は悪い!」の一点張りでした。

ウウ、ナンテ頭ワルイヒトタチなんだ Orz
いや別に我々が100%正しいなんて思ってないですよ。でもね、何かを生み出す話合いってのは相手の良いところを認め合い、自分の悪いところを直して行くっていう器の大きさがないと成り立たないでしょってことです。


「話し合い」を声高に叫ぶ皆様よ!我々の隣人は、そういう感覚の持ち主だということを十分理解して、大切なものを侵されないように毅然と立ち向かいべし。と私はいいたいです。


一日も早く、中国大陸と朝鮮半島(南北両方だよ)に真の民主化が実現しますように。