そ・れ・はー

靖国神社

(おいおい またこの手の話題かい・・・)


しかも、8/15の12時頃、60年前に玉音放送 が流された時間帯です。

私自身は生涯3度目の参拝です。

終戦記念日に来たのは初めてです。


今年の初頭、近隣諸国(っても中・韓だけなんですがね)を巻き込んで国内外大論争になった場所なので、さぞかしファシズムと軍国主義の総本山で、非人道的かつ反動的な人倫にもとる恐ろしい施設で、参拝する人間も悪鬼羅刹の如しだろう!っと思って行きましたが・・・


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なんかえらくフツーなんですけど・・・

一見すると初詣が猛暑の中で行われている雰囲気!?

(すみません、敢えて不謹慎な表現で普通さを強調してます)


なかにはコアなソルジャースタイルのコスプレイヤー(意図はようわからん)とか、一見してカタギでない人もごく一部いらさられますが、あとは老若男女すべからく普通の人達です。

報道によると20万人以上の人でだったとか・・・

どれだけこの人数が多いかと言うと、東京大空襲で亡くなられた方と同じくらいで、南京「大」虐殺で死亡したと某国が主張している30万人より少ないくらいです。(後半部分は完全にイヤミ)

ちなみに原爆で投下~数ヶ月間に亡くなられた方は、15~22万人といわれています。


社殿から入口の門から先は、全く人が動かない上、ぎゅーぎゅー詰めの大混雑で、終戦当時青春を過ごされたかと思う方々には、命の危険も伴うのではないかというほどの状況でした。

粛々と列に並び、文句を言う訳でなくただ黙って、遠くを見つめるような老紳士・老婦人のお顔を拝見していると、この場所がどれだけ重要な意味を持つのか少し理解できた気がします。

※私は、第2次世界大戦で近親者を亡くしていないようです(知る限り)が、私、嫁ともに曽祖父を日露戦争の激戦で亡くしております。2人とも本当は徴兵対象じゃなかったらしいんですが、召集令状に異を唱えることもなく、粛々と戦地に赴いたそうです。


しかし! これではある意味、終戦記念日に政治家が参拝することはイイ迷惑かもしれません。

よって、違う意味で小泉首相の8/15参拝はんた~い

靖国神社を分祀して、全国の皆さんに平等で安全な参拝権を認めよ~

※A級戦犯の分祀ぢゃないですよ。本来の「分祀」です。


戦後60年ということで、境内では記念式典が行われていました。

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丁度、「海行かば 」を斉唱されているです。

この歌を歌いながら、60年前の人達が玉砕して行ったそうです。

歌詞の意味も歌を作られた目的も、戦後の教育を受けた私には違和感を感じない訳ではありませんが、歌と結びついた「思い」を否定する資格は、後代に生きる私にあるとは思えませんでした。

まあ、今さら天皇を中心とした八紘一宇を国是とせん!って言うほど日本人の感覚はズレていないでしょうから、「大君」=「天皇を中心に連綿と築かれてきた日本の文化、国民、山河の象徴」と解釈すればいいんぢゃないのっと思う次第です。

だってさ、結局日本の「和」と言う文化や精神は、良い部分も悪い部分も含めてやっと成立するものなんぢゃないんでしょうか。

そりゃより良くする努力は必要ですが、某政党 みたいに国旗と国家を癌に侵された器官のように切り離す議論には、首肯できません。

そう言う意味で、別に「君が代」が軍国主義だとファシズムだのを連想させるという論議には(´Д`) フゥって感じ。


歌の意味で言えば、「ラ・マルセイエーズ 」(フランス国歌)の方が鬼も裸足で逃げ出すほどのコワイ歌だぜぇ~

今の感覚で言えばデスメタルみたいなもん!?


周辺の道路は、職業右翼の宣伝車がちょこっと迷惑駐車してたくらいで静かなものでした。

報道では、絶滅危惧種「ゴクサ」が機動隊の皆さんに無思慮な迷惑行為をしでかしていたようですが、英霊の皆さんの静かな眠りや、参拝される方の思いをかき乱すような様子は感じられませんでした。

周辺をガードするフル装備の機動隊の皆さん(猛暑の中、直立不動ですよ!)のお陰なんでしょうね。

こう言った公共のために尽くす人達に、私達は誠実な感謝と敬意を持つべきだと思うんですが、一般の感覚とはずれてるんでしょうかね。


あ、そうそう。九段下の駅に下りて行く時に、保守なのに電波系議員とか某政党が「ここを国民墓地にせえ」とか言ってる千鳥ケ渕戦没者墓苑 は、だ~れも足を向けていなかったですよ。


何事も、百聞は一見に如かず。新聞は一軒に一部。

マスコミの報道が本当に真実なのか、我が目と耳を用いて感じ取り、頭で考えることが戦後60年を考えるには必要だと思います。


余談 私がなんで靖国神社にこんなにこだわるかと言うと、物心ついた時(幼稚園に上がる前だった)に「死」というものを強烈に印象づけたのが「神風特攻隊」だったことにはじまります。

火を吹きながら敵の軍艦に体当たりするカラー映像を見たとき、恐怖と混乱で「なんでこんなことするの?」とまわりの大人にしつこく聞いてまわった記憶があります。

なんで、自分が死ぬなんてコワイことをしてまで体当たり攻撃なんてするんだろう?

まわりの大人は一生懸命説明してくれたようですが、その時の小さな自分には理解する事ができませんでした。

その後、自分で歴史を学ぶようになり、自分で選んだ家族を得るようになり、近しい知人が若くして亡くなるなどの経験を経て、「生」と「死」というものを考える力が蓄えられてきました。

そんな時に、靖国論争を見聞きし、様々な見解を自分なりに斟酌して行った結果、幼い頃のカミカゼに対する疑問も氷解して行きました。

そう、人間には誰しも自分の身を呈してまでも守りたいものが存在する事。それを守るために発露する純粋な気持ちが多くの人間にあるということ。

それがあの絶望的な戦争で命を落として行った人達の最後の勇気だったんじゃないのでしょうか。


そして、60年前の戦争・・・それに連なる幾多の戦いで命を落とした人の「思い」の糸の先に自分達が存在するということを改めて認識する事が、亡くなられた人達への供養の形なのではないかなどと思います。


そんな人達が、遠い戦地で散華された後に、魂となって故国へ帰るための灯台・・・道標として心に描いた靖国神社を、それこそ使い捨てにしていいんでしょうか。


私は実際に平成17年8月15日の靖国神社を見て、そのように感じました。


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