ムスカの歴史講釈「真田幸村」 幸村個人編
今回は真田幸村の最終回
幸村個人についてUPします^^
いつもの貴重な解説は
ムスカ のブログ:私釈☆歴史夜話
ムスカの歴史講釈「真田幸村」 幸村個人編
解説者:ムスカ@経理
では、最後に幸村個人のプロフィール。
まずは容姿。
質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
創作物なんかだとえらく美形ですけど…
大坂の陣の頃は、チビで頭や髭は白髪混じり。
歯も病気のせいで抜けており、おせいじにも美形とは言えないな。
イメージ大崩壊ですね。
源義経とか沖田総司とかもそうらしいけど・・・まぁ世の中そんなもんだよね。性格のほうだが兄曰く「極めて温厚でどんなことを言われてもいつもニコニコしており、怒ったことをみたことがない。物静かで口数が少ない」らしいとのことだ。
どっかのゲームではうるさいくらいの熱血漢ですが・・・これまたイメージ崩壊ですね。
上記の容姿とあいまって「とても武将には見えない」と言うことで大阪が他の将兵からはいろいろ言われていたそうだ。
例えば幸村が親戚に送った手紙に「外のみんなから結構きつく言われていますが、ただ、秀頼様にはよくしてもらっています」とか言ういじめを受けてるようなことを書いたり。
有名な「関東勢百万候…」の台詞を言った後「お前だけ目立つんじゃねぇ!!」とか同僚に文句をいわれたとかしていたらしい。
大阪方の筆頭武将とかいわれていますけど、その点でもイメージ崩壊ですね。
実家が敵方でしかも徳川家とは親戚関係(兄信之の妻は家康の養女)だから、しょうがないとは言えばしょうがない。
ただ兄の方は「普段は武将に見えないがいざと言うときに活躍してこそ本当の武将だ。
よって弟こそ真の武将である」とべた褒めはしているけどね。
兄は弟のことをちゃんと理解していたということでしょうか。
もっとも、その兄の評価が乗っている資料は件の「幸村」とか書いてある意味世間に流され、神格化した資料だから、その信憑性はわりと薄いよね。
(また余計なことを・・・)
~*~*~*~*~*~*~*~
おしまい
ご愛読ありがとうございます^^
漫画「上田・佐久 幸村500年の夢の跡 」もどうぞ^^
田舎暮らしの別荘・住宅は日本マウント株式会社
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解説者:ムスカ@経理
では、最後に幸村個人のプロフィール。
まずは容姿。
質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
創作物なんかだとえらく美形ですけど…
大坂の陣の頃は、チビで頭や髭は白髪混じり。
歯も病気のせいで抜けており、おせいじにも美形とは言えないな。
イメージ大崩壊ですね。
源義経とか沖田総司とかもそうらしいけど・・・まぁ世の中そんなもんだよね。性格のほうだが兄曰く「極めて温厚でどんなことを言われてもいつもニコニコしており、怒ったことをみたことがない。物静かで口数が少ない」らしいとのことだ。
どっかのゲームではうるさいくらいの熱血漢ですが・・・これまたイメージ崩壊ですね。
上記の容姿とあいまって「とても武将には見えない」と言うことで大阪が他の将兵からはいろいろ言われていたそうだ。
例えば幸村が親戚に送った手紙に「外のみんなから結構きつく言われていますが、ただ、秀頼様にはよくしてもらっています」とか言ういじめを受けてるようなことを書いたり。
有名な「関東勢百万候…」の台詞を言った後「お前だけ目立つんじゃねぇ!!」とか同僚に文句をいわれたとかしていたらしい。
大阪方の筆頭武将とかいわれていますけど、その点でもイメージ崩壊ですね。
実家が敵方でしかも徳川家とは親戚関係(兄信之の妻は家康の養女)だから、しょうがないとは言えばしょうがない。
ただ兄の方は「普段は武将に見えないがいざと言うときに活躍してこそ本当の武将だ。
よって弟こそ真の武将である」とべた褒めはしているけどね。
兄は弟のことをちゃんと理解していたということでしょうか。
もっとも、その兄の評価が乗っている資料は件の「幸村」とか書いてある意味世間に流され、神格化した資料だから、その信憑性はわりと薄いよね。
(また余計なことを・・・)
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ムスカの歴史講釈「真田幸村」 家族編
第3回 ムスカの歴史講釈「真田幸村」
今回は家族編ですよ^^
いつも
貴重な解説をくれているのは
ムスカ のブログ:私釈☆歴史夜話
ムスカの歴史講釈「真田幸村」 家族編
解説者:ムスカ@経理
あずにゃん、今度は真田幸村の家族構成についての話だけど・・・
質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
幸村は、真田昌幸の次男ですよね。
面白い話で長男と言う説もあった。
何ですかそれは!?
よそでもたまーにある話なんだが、ほぼ同時期に生まれた場合は母方の身分が優先される…と言うもので、母親の身分が低かった幸村は次男になったというお話。
根拠とかあるんですか?
例の「幸村」とかいう名前。
昌幸の字を貰っているのがその根拠だそうだ。
しかし、前にも言ったけど、幸村が生まれた当時は父昌幸は真田を継ぐ予定はなかったし、そもそも幸村の名前自体フィクションだから学説的には相手にされていないみたいだよ。
そもそも兄信之とは同じ母親ですしね。
一応異説はあるらしいよ。
で、幸村の奥さんだが分かっているだけで5人いる。
特に有名どころで言えば大谷義継の娘で正妻の竹林院。
子どもには真田大助こと幸昌や片倉守信がいる。
片倉?
それは後で説明しよう。
他には豊臣秀次の娘で側室の隆精院。
豊臣英次ってあの殺生関白のですか?
最近では殺生の部分は否定されているらしいけどね。
と言うことで幸村は実は豊臣家と言うロイヤルファミリーの列記とした一員であったりもする。
もっとも結婚したのが九度山に流されて以降=関が原以後なのでなんらご利益がないんだけどね。
そもそも粛清された人の娘さんですからね。
で、子どもの方だが分かっているだけで男4人女7人の合わせて11人ほどいるんだ。
数的に言えば子沢山ですね。
お陰で九度山での生活はかなり苦しく、実家である兄信之やその妻の小松姫に仕送りの催促の手紙が結構ある。
送る側としては事情はあれど奥さんを複数囲いと子沢山のニートは少し自重しろといいたくはあるだろうが。
いや、まぁ・・・そうなんでしょうけど。
幸村の子どもで有名なのは、長男にして大坂の陣では秀頼ともに自害して果てた真田大助こと幸昌だな。
一応夏の陣で敵将を討ち取っているほどの武勇の持ち主だよ。
それなりに将来有望な子どもだったんですかね。
そうかもね。
で、最近有名になったのが例の片倉守信と阿梅と言う側室の女性だ。
片倉といえばあの伊達政宗の片腕とも言うべき片倉小十郎景綱ですけど…。
関連性があるのはその子どもである片倉小十郎重長なんだ。
大阪夏の陣で伊達軍の先鋒を勤め、後藤基次を討ち取った勇将だがそこで真田幸村隊と遭遇。
ボコボコにされた経緯がある。
負けたのに?
で、戦後に自分をボコボコにした幸村に感服したらしい小十郎Jrは、戦後の豊臣家残党狩りにで瀕していた幸村の子どもである片倉守信と阿梅を自分の家でかくまって、
阿梅を後妻。片倉守信を伊達家家臣としている。
一説には小十郎Jrの戦いぶりに感心した幸村が密かに頼んだ・・・ともあるんだ。
幕府に逆らった人物の妻子をかくまって問題はなかったのですか?
流石にあると思ったのか当初は片倉姓で誤魔化していた。
が、彼の次の代で真田に復している。
これを仙台真田家と言う。
因みに本家である兄信之の家である松代藩は途中で養子を迎えているのに対してこちらの真田家は今でも続いているので血筋的に言えばこちらの方が直系となるのかな。
ちなみに、他の家族や奥さんはどうなったのでしょう?
戦後、捕縛されたんだけど、概ね許されて子どもは別の場所で再就職したり穏やかな余生を送ったそうだ。
恐ろしく寛大ですね。
~*~*~*~*~*~*~*~
次回 幸村個人編に続く
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今回は家族編ですよ^^
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ムスカの歴史講釈「真田幸村」 家族編
解説者:ムスカ@経理
あずにゃん、今度は真田幸村の家族構成についての話だけど・・・
質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
幸村は、真田昌幸の次男ですよね。
面白い話で長男と言う説もあった。
何ですかそれは!?
よそでもたまーにある話なんだが、ほぼ同時期に生まれた場合は母方の身分が優先される…と言うもので、母親の身分が低かった幸村は次男になったというお話。
根拠とかあるんですか?
例の「幸村」とかいう名前。
昌幸の字を貰っているのがその根拠だそうだ。
しかし、前にも言ったけど、幸村が生まれた当時は父昌幸は真田を継ぐ予定はなかったし、そもそも幸村の名前自体フィクションだから学説的には相手にされていないみたいだよ。
そもそも兄信之とは同じ母親ですしね。
一応異説はあるらしいよ。
で、幸村の奥さんだが分かっているだけで5人いる。
特に有名どころで言えば大谷義継の娘で正妻の竹林院。
子どもには真田大助こと幸昌や片倉守信がいる。
片倉?
それは後で説明しよう。
他には豊臣秀次の娘で側室の隆精院。
豊臣英次ってあの殺生関白のですか?
最近では殺生の部分は否定されているらしいけどね。
と言うことで幸村は実は豊臣家と言うロイヤルファミリーの列記とした一員であったりもする。
もっとも結婚したのが九度山に流されて以降=関が原以後なのでなんらご利益がないんだけどね。
そもそも粛清された人の娘さんですからね。
で、子どもの方だが分かっているだけで男4人女7人の合わせて11人ほどいるんだ。
数的に言えば子沢山ですね。
お陰で九度山での生活はかなり苦しく、実家である兄信之やその妻の小松姫に仕送りの催促の手紙が結構ある。
送る側としては事情はあれど奥さんを複数囲いと子沢山のニートは少し自重しろといいたくはあるだろうが。
いや、まぁ・・・そうなんでしょうけど。
幸村の子どもで有名なのは、長男にして大坂の陣では秀頼ともに自害して果てた真田大助こと幸昌だな。
一応夏の陣で敵将を討ち取っているほどの武勇の持ち主だよ。
それなりに将来有望な子どもだったんですかね。
そうかもね。
で、最近有名になったのが例の片倉守信と阿梅と言う側室の女性だ。
片倉といえばあの伊達政宗の片腕とも言うべき片倉小十郎景綱ですけど…。
関連性があるのはその子どもである片倉小十郎重長なんだ。
大阪夏の陣で伊達軍の先鋒を勤め、後藤基次を討ち取った勇将だがそこで真田幸村隊と遭遇。
ボコボコにされた経緯がある。
負けたのに?
で、戦後に自分をボコボコにした幸村に感服したらしい小十郎Jrは、戦後の豊臣家残党狩りにで瀕していた幸村の子どもである片倉守信と阿梅を自分の家でかくまって、
阿梅を後妻。片倉守信を伊達家家臣としている。
一説には小十郎Jrの戦いぶりに感心した幸村が密かに頼んだ・・・ともあるんだ。
幕府に逆らった人物の妻子をかくまって問題はなかったのですか?
流石にあると思ったのか当初は片倉姓で誤魔化していた。
が、彼の次の代で真田に復している。
これを仙台真田家と言う。
因みに本家である兄信之の家である松代藩は途中で養子を迎えているのに対してこちらの真田家は今でも続いているので血筋的に言えばこちらの方が直系となるのかな。
ちなみに、他の家族や奥さんはどうなったのでしょう?
戦後、捕縛されたんだけど、概ね許されて子どもは別の場所で再就職したり穏やかな余生を送ったそうだ。
恐ろしく寛大ですね。
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ムスカの歴史講釈「真田幸村」 名前編
お久しぶりです^^
さや☆えんどうです
弊社の営業マンブログ で
上田・佐久の漫画を公開しました^^
上田を拠点にしていた、真田幸村と
その歴史を語る漫画・・・
その漫画を描くにあたって
趣味の歴史講釈 で知られる
弊社の経理のムスカ氏 が
真田幸村についての
解説を書いてくれました。
歴史がお好きな方も
そうでないかたも
楽しめるのではないでしょうか?
ムスカ のブログ:私釈☆歴史夜話
ムスカの歴史講釈「真田幸村」 名前編
質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
宿題で戦国武将の事を調べてこいと言われましたので、真田幸村に関するエピソードがあったら教えてください。
回答者:ムスカ@経理
私に聞くと、通説ではなく裏街道ネタになるけど、それでもいい?
まぁ、少し手加減とかしてくれれば助かりますが。
最大限善処することを考慮しないでもないことを努力するさ。
(不安すぎます)
ではまずジャブとして名前について。まず真田幸村と言う人物は歴史上存在しない。
現在通称・幸村と呼ばれる人物は幼名は 弁丸、元服して源次郎信繁と名乗っている。ちなみに信繁と言うのは武田信玄の弟にして片腕としてその覇業を助けた武田信繁(幸村誕生時にはすでに故人)から貰ったとされている。
何かしらの理由で改名したとか。
例えば関ヶ原の戦いの際、父昌幸と行動をした際に、嫡男の兄・信之とは敵味方にわかれましたので、父の偏諱を受けて改名したとか。
それも考えにくいだろうね。
一般的に次男以降が長男に代わって当主またはその後継候補になってもわざわざ改名すると言うケースは稀だ。(例:毛利元就=次男)
そもそも真田家次期当主候補とするのであれば真田家の通字である「信」(武田家から頂いたもの)をわざわざ外すのは不自然すぎる。
だいたい大坂の陣の書状でも「信繁」だし。ちなみに大坂の陣の前に出家しているから法名:好白で「真好白」「真好白信繁」とかも名のっていたそうだよ。
あれ?幸村の父は「昌幸」には「信」がありませんけど。
まぁ「信」の字は武田氏から貰ったもので、しかも幸隆の嫡男である信綱からのものではあるのだろう。
だとしたら昔の時代にかえったのでは?
それこそ次男である信繁まで「信」を使わずにはじめから幸村あたりを付けるだろうな。そもそも父・昌幸からして真田家の跡取りではないんだよ。
それはどう言うことなのですか?
幸村の父である真田昌幸は真田幸隆の三男だ。そして幼年時代に人質として武田本家に送られていたわけだが…次男ならまぁ、スペアーとしてそれなりに大切可能性もあるが三男以下は正直邪魔なので、生涯冷飯食っているか、余所の所へ厄介払いと政略込みで養子に行くかになる。
毛利元就や織田信長の次男や三男、四男は、養子に行ったとか嫡男が無事成長しスペアーの意味合いがなくなった上杉謙信や四男だった今川義元が、寺にほうりやられたのがいい例だね。
行かなかった息子もいるようですが。
その場合はほとんど家臣扱いで継承権では後継者全滅とか後継者の養子などよほど事がない限りは発生しない。
これも例を示せば、江戸時代の将軍=徳川宗家の継承権がある御三家御三卿と、完全に家臣扱いで継承権がない松平姓の他の親藩との差みたいなものだ。
もっとも明確なルールや取り決めはケース・バイ・ケースなんだけど。
で、話を戻しますが、と言うことはつまり…昌幸は
武田信玄の母方の家の分家である武藤家の養子にとして元服後は 武藤喜兵衛昌幸となる。
なお、昌幸が真田の姓に戻ったのは1575年の長篠の戦いで上二人の兄が死んだ為=跡取りがいなくなったため。
そしてよく幸隆・昌幸・幸村で真田三代とか言われているけれど、厳密に言えば幸隆と昌幸の間にはもう一人真田信綱と言う人物がいるので「真田四代」と言うのが正しいとなる。
なるほど。
ちなみに幸村の生まれは1567年(一説には1570年)だから、
生まれた時は実は“真田“ですらなかった。
まぁ……それはさておくとして、なぜ「幸村」とか言う名前になったのでしょうか?
現在で分かっているのは1672年の軍記物語『難波戦記』は初出らしい。
改名された理由はおそらく、徳川の世で徳川家をボコボコにした人物を実名で出すのは問題があると判断されたからだろう。
そしてその本がベストセラーとなって世に広く知れ渡り、本名の「信繁」よりも物語上の名前である「幸村」の方が有名となった。
そのあまりにも知名度のお陰で幕府や真田家本家の歴史書にすら「幸村」と載る有様だよ。
つまり正史よりも創作物の方が有名になってそちらの方を・・・
某ゲームのように史実の人物を桃香とか華琳とか蓮華とか言っているレベルだね。
もう少しましな例えはないのですか…
まぁ、それはさておき、何故幸村なのでしょうか?
それもよくわかっていない。一説には「幸」の字は真田家でも使用されている通字であるので持ってくること自体はおかしくはない。
ただ、「村」諸説ありは姉の村松や、信繁の子孫が仕えた伊達家当主の伊達綱村、徳川家を呪ったとされる妖刀村正に由来しているとする説がある…が、まぁ諸説あってはっきりしたことは分からない、と言うのが現状です。
フィクションに何か具体的なものを求めるのもどうか…と言うものかもしれませんね。
~*~*~*~*~*~*~*~
次回 生まれと故郷編に続く
漫画 「上田・佐久 幸村500年の夢の跡」 もどうぞ^^
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さや☆えんどうです
弊社の営業マンブログ で
上田・佐久の漫画を公開しました^^
上田を拠点にしていた、真田幸村と
その歴史を語る漫画・・・
その漫画を描くにあたって
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弊社の経理のムスカ氏 が
真田幸村についての
解説を書いてくれました。
歴史がお好きな方も
そうでないかたも
楽しめるのではないでしょうか?
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ムスカの歴史講釈「真田幸村」 名前編
質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
宿題で戦国武将の事を調べてこいと言われましたので、真田幸村に関するエピソードがあったら教えてください。
回答者:ムスカ@経理
私に聞くと、通説ではなく裏街道ネタになるけど、それでもいい?
まぁ、少し手加減とかしてくれれば助かりますが。
最大限善処することを考慮しないでもないことを努力するさ。
(不安すぎます)
ではまずジャブとして名前について。まず真田幸村と言う人物は歴史上存在しない。
現在通称・幸村と呼ばれる人物は幼名は 弁丸、元服して源次郎信繁と名乗っている。ちなみに信繁と言うのは武田信玄の弟にして片腕としてその覇業を助けた武田信繁(幸村誕生時にはすでに故人)から貰ったとされている。
何かしらの理由で改名したとか。
例えば関ヶ原の戦いの際、父昌幸と行動をした際に、嫡男の兄・信之とは敵味方にわかれましたので、父の偏諱を受けて改名したとか。
それも考えにくいだろうね。
一般的に次男以降が長男に代わって当主またはその後継候補になってもわざわざ改名すると言うケースは稀だ。(例:毛利元就=次男)
そもそも真田家次期当主候補とするのであれば真田家の通字である「信」(武田家から頂いたもの)をわざわざ外すのは不自然すぎる。
だいたい大坂の陣の書状でも「信繁」だし。ちなみに大坂の陣の前に出家しているから法名:好白で「真好白」「真好白信繁」とかも名のっていたそうだよ。
あれ?幸村の父は「昌幸」には「信」がありませんけど。
まぁ「信」の字は武田氏から貰ったもので、しかも幸隆の嫡男である信綱からのものではあるのだろう。
だとしたら昔の時代にかえったのでは?
それこそ次男である信繁まで「信」を使わずにはじめから幸村あたりを付けるだろうな。そもそも父・昌幸からして真田家の跡取りではないんだよ。
それはどう言うことなのですか?
幸村の父である真田昌幸は真田幸隆の三男だ。そして幼年時代に人質として武田本家に送られていたわけだが…次男ならまぁ、スペアーとしてそれなりに大切可能性もあるが三男以下は正直邪魔なので、生涯冷飯食っているか、余所の所へ厄介払いと政略込みで養子に行くかになる。
毛利元就や織田信長の次男や三男、四男は、養子に行ったとか嫡男が無事成長しスペアーの意味合いがなくなった上杉謙信や四男だった今川義元が、寺にほうりやられたのがいい例だね。
行かなかった息子もいるようですが。
その場合はほとんど家臣扱いで継承権では後継者全滅とか後継者の養子などよほど事がない限りは発生しない。
これも例を示せば、江戸時代の将軍=徳川宗家の継承権がある御三家御三卿と、完全に家臣扱いで継承権がない松平姓の他の親藩との差みたいなものだ。
もっとも明確なルールや取り決めはケース・バイ・ケースなんだけど。
で、話を戻しますが、と言うことはつまり…昌幸は
武田信玄の母方の家の分家である武藤家の養子にとして元服後は 武藤喜兵衛昌幸となる。
なお、昌幸が真田の姓に戻ったのは1575年の長篠の戦いで上二人の兄が死んだ為=跡取りがいなくなったため。
そしてよく幸隆・昌幸・幸村で真田三代とか言われているけれど、厳密に言えば幸隆と昌幸の間にはもう一人真田信綱と言う人物がいるので「真田四代」と言うのが正しいとなる。
なるほど。
ちなみに幸村の生まれは1567年(一説には1570年)だから、
生まれた時は実は“真田“ですらなかった。
まぁ……それはさておくとして、なぜ「幸村」とか言う名前になったのでしょうか?
現在で分かっているのは1672年の軍記物語『難波戦記』は初出らしい。
改名された理由はおそらく、徳川の世で徳川家をボコボコにした人物を実名で出すのは問題があると判断されたからだろう。
そしてその本がベストセラーとなって世に広く知れ渡り、本名の「信繁」よりも物語上の名前である「幸村」の方が有名となった。
そのあまりにも知名度のお陰で幕府や真田家本家の歴史書にすら「幸村」と載る有様だよ。
つまり正史よりも創作物の方が有名になってそちらの方を・・・
某ゲームのように史実の人物を桃香とか華琳とか蓮華とか言っているレベルだね。
もう少しましな例えはないのですか…
まぁ、それはさておき、何故幸村なのでしょうか?
それもよくわかっていない。一説には「幸」の字は真田家でも使用されている通字であるので持ってくること自体はおかしくはない。
ただ、「村」諸説ありは姉の村松や、信繁の子孫が仕えた伊達家当主の伊達綱村、徳川家を呪ったとされる妖刀村正に由来しているとする説がある…が、まぁ諸説あってはっきりしたことは分からない、と言うのが現状です。
フィクションに何か具体的なものを求めるのもどうか…と言うものかもしれませんね。
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次回 生まれと故郷編に続く
漫画 「上田・佐久 幸村500年の夢の跡」 もどうぞ^^
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ムスカの歴史講釈「真田幸村」 生まれと故郷編
さてご好評の
歴史講釈「真田幸村」の続編です
貴重な解説をくれたのは
ムスカ のブログ:私釈☆歴史夜話
ムスカの歴史講釈「真田幸村」 生まれと故郷編
解説:ムスカ@経理
さて、あずにゃん。
真田と言えば上田。
…だが基本的に幸村は上田にほとんどいなかったと考えていい。そもそも真田家は上田にはそんな長くいたわけではないんだよ。
質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
と言いますと?
まず真田家の方だけど、上田に城をかまえたのは昌幸の時代、しかも本能寺の変の1583年以降。
そして息子、信之の時代に松代、もう少しわかりやすく言えば川中島と呼ばれていた地域に藩変えになったのが1622年。
つまり上田を本拠地としていたのは40年にも満たない程度のわずかな期間でしかない。
まぁ、上田を含む地域は幸隆以前から統治していたようだけど、そもそも真田家は海野氏の分家でしかも小豪族なので、記録とかがあいまいでそのあたりは詳しくわからないんだ。
しかも幸隆自身は一度追い出されており、武田信玄の支援により取り戻している。
なるほど
で、幸村と言えば、その頃から真田家の家を保つため有力大名家の人質となって、1585年(第一次上田合戦)ごろにはすでに上杉家にいた。
その次の年には豊臣秀吉のもとに人質にいっている。つまりは盥回しだな。
何とまぁ…悲惨な人生ですね。
とはいえ秀吉はそういうのを割と大切にする人物であるから、幸村もその例にもれずかわいがられていおり、豊臣の姓と従五位下左衛門佐をもらっているから、そんなに悲惨だったわけでもない気もするなあ。
まぁ、そう言うことで豊臣家の家臣(人質)とし大坂在住。
また朝鮮出兵の為に名護屋に行ったり(ただし、幸村を含めて真田家が朝鮮へ行ったという話はない)しているので上田に腰を落ち着けられたのはおそらく秀吉が死んだ1598年から1600年ぐらいだろうね。
まぁ、当時の資料が乏しい為はっきりとしたことはわからないんだけど。
1600年以降は?
関ヶ原の戦いで父とともに西軍として上田城の戦いで奮戦するが、肝心の本戦で西軍本隊が敗れたっため敗軍の将となった幸村は、九度山に流された。
赦免を願っていたそうだけど結局許されず(と言うよりも忘れ去られて)そのまま大坂城に入城しているから、上田にいた期間は49年間の人生の内せいぜいが数年と言ったところあろう。
生まれ故郷にほとんどいられなかったわけですか。
生まれた当時は父・昌幸は武藤家のものだから、生まれどうこうならば上田を含む真田領ではなく甲府だね。
なので正確には生まれた場所でも故郷でもない、ことになる。そいう点と彼の経歴から見ればここを自律の地とした父や長くはいなかったが真田家当主である信之とは違い、幸村個人は上田に対しては故郷とかいう意識はあまりないかもしれないね。
~*~*~*~*~*~*~*~
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さて、あずにゃん。
真田と言えば上田。
…だが基本的に幸村は上田にほとんどいなかったと考えていい。そもそも真田家は上田にはそんな長くいたわけではないんだよ。
質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
と言いますと?
まず真田家の方だけど、上田に城をかまえたのは昌幸の時代、しかも本能寺の変の1583年以降。
そして息子、信之の時代に松代、もう少しわかりやすく言えば川中島と呼ばれていた地域に藩変えになったのが1622年。
つまり上田を本拠地としていたのは40年にも満たない程度のわずかな期間でしかない。
まぁ、上田を含む地域は幸隆以前から統治していたようだけど、そもそも真田家は海野氏の分家でしかも小豪族なので、記録とかがあいまいでそのあたりは詳しくわからないんだ。
しかも幸隆自身は一度追い出されており、武田信玄の支援により取り戻している。
なるほど
で、幸村と言えば、その頃から真田家の家を保つため有力大名家の人質となって、1585年(第一次上田合戦)ごろにはすでに上杉家にいた。
その次の年には豊臣秀吉のもとに人質にいっている。つまりは盥回しだな。
何とまぁ…悲惨な人生ですね。
とはいえ秀吉はそういうのを割と大切にする人物であるから、幸村もその例にもれずかわいがられていおり、豊臣の姓と従五位下左衛門佐をもらっているから、そんなに悲惨だったわけでもない気もするなあ。
まぁ、そう言うことで豊臣家の家臣(人質)とし大坂在住。
また朝鮮出兵の為に名護屋に行ったり(ただし、幸村を含めて真田家が朝鮮へ行ったという話はない)しているので上田に腰を落ち着けられたのはおそらく秀吉が死んだ1598年から1600年ぐらいだろうね。
まぁ、当時の資料が乏しい為はっきりとしたことはわからないんだけど。
1600年以降は?
関ヶ原の戦いで父とともに西軍として上田城の戦いで奮戦するが、肝心の本戦で西軍本隊が敗れたっため敗軍の将となった幸村は、九度山に流された。
赦免を願っていたそうだけど結局許されず(と言うよりも忘れ去られて)そのまま大坂城に入城しているから、上田にいた期間は49年間の人生の内せいぜいが数年と言ったところあろう。
生まれ故郷にほとんどいられなかったわけですか。
生まれた当時は父・昌幸は武藤家のものだから、生まれどうこうならば上田を含む真田領ではなく甲府だね。
なので正確には生まれた場所でも故郷でもない、ことになる。そいう点と彼の経歴から見ればここを自律の地とした父や長くはいなかったが真田家当主である信之とは違い、幸村個人は上田に対しては故郷とかいう意識はあまりないかもしれないね。
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スキルアップのための忘備録
友人に、これいいよ!と言われて、
ビジネスの勉強のために読もうと思っているけど、
色々と溜まっている本があるので、
それを読み終わるまでは後回しです。
以下、備忘録として、記載していきます。
■ビジネスモデル・ジェネレーション ビジネスモデル設計書
全世界で大反響だそうですね。
やはりイノベーションっていうキーワードが、
ベンチャー魂をくすぐるのでしょうか?
私もクリエイターとしては、創造主になりたいという願望はありますので、
価値を生み出していけるきっかけになるといいなと思います。
読むのが楽しみです。
来月には買えればいいかなと。
ここからは、自分が読むべきだと思っている本です。
最近、自分はどの環境にいようと、クリエイターというスタンスでいないといけないと思うようになりました。
立場上、クリエイティブな仕事が出来ていなかったのですが、
アウトプットをしていく事が最近多い中、
ふと、気づいた事。
それは、自分は、何かアイディアを出すという事に、気持ちが特化しているな・・・と。
それがどんな稚拙なアイディアだとしても、考えるということをしたいという事に改めて気付かされました。
そこが自分にとって、とんがっている部分。
つまり、私のスキルであるのです。
このとんがりを、より鋭利にし、何でも貫くくらいに磨いていくには、
「自分に合った本」が必要になってきそうです。
色々な情報を幅広く吸収しようとしても、結局は浅い知識でしかありません。
また、大して興味がない事を吸収しようとしても、結局は「ぬかに釘」。
正直、使えるレベルにならなければ、時間の無駄でしかなく、
だったらどうしていけばいいのかと考えた時に、
クリエイティブというものは、あらゆる事の基礎に通じるなと。
自分の中で磨いたものは、どんな業種にでも代用できるはず。
自分を活かすという事。
そうする事にします。
■ゲームストーミング ―会議、チーム、プロジェクトを成功へと導く87のゲーム
ゲームストーミングはゲームのアルゴリズムと視覚的効果と効用をビジネスに利用する事により、
プロセスの改良・改善に繋がるアイディアやヒントが満載のようです。
物事を深刻に考えずに、ゲームの感覚で創造性を高めつつ解を求めていければという内容のようです。
最近ゲーミフィケーションという言葉も広まりつつあります。
ゲーム感覚というのは一昔前はバカにされた言葉ですが、
今ではビジネスに最重要なものだと痛感します。
■学習する組織――システム思考で未来を創造する
ビジネスマンの必読書と言われるこの本。
何より、学習するという点に惹かれてます。
組織とは学習して良くしていくのです。
そもそも私は、組織という中に入った経験が、
あまりにも浅く、組織外での単独行動が多かったので、
あらためて、学習して行きたい事項です。
まだまだ貪欲に吸収の余地がある状態です。
何かの指針になればというところです。
俯瞰、分析、理論など、稲盛氏の企業哲学など、
あるべき方向性を指し示しているとのレビューからも、
本来トップが読むべきでしょうが、
リーダー必携ということで、
私も必要なものと感じます。
■戦略と実行―組織的コミュニケーションとは何か
戦略を立案しても実行がされないと、
全く意味がありません。
その実行が大事なんだと私は常々思います。
自分のチームでも、いかにその実行をさせるかに気を使っています。
ただ、あれやれ、これやれ、じゃ人は動くわけありません。
情熱を持て、やって当たり前、色々理由や言い訳が生まれる中、
結局は、何故、必要なのか、どうしてやって欲しいのか、
これを説明しなきゃいけないわけです。
最後は、やるか、やらないかになるからです。
私は、ここまでは気づいているのですが、
なかなかうまくいかない事もあるため、
是非とも、自分の成長のためにも読みたい本です。
■戦略思考コンプリートブック
最後に、課題は解決に導かないといけないため、
柔軟に、最適に、スピーディーに思考をする。
その為の具体例などが収録されているようで、
投げっぱなしじゃない所に、共感を持てます。
問題解決までの道筋、応用の仕方など、
論理と創造を学べ、経験になりそうな、
そんな内容なので、是非とも熟読していければと思います。
CSS3 スタンダード・デザインガイド
CSS3デザインブック 仕事で絶対に使うプロのテクニック
WordPress 3.x (速習デザイン)
WordPressデザインブック3.x対応
マンガでやさしくわかるNLP
マンガでやさしくわかるNLPコミュニケーション
推理クイズ道場 ウミガメのスープ
ビジネスの勉強のために読もうと思っているけど、
色々と溜まっている本があるので、
それを読み終わるまでは後回しです。
以下、備忘録として、記載していきます。
■ビジネスモデル・ジェネレーション ビジネスモデル設計書
全世界で大反響だそうですね。
やはりイノベーションっていうキーワードが、
ベンチャー魂をくすぐるのでしょうか?
私もクリエイターとしては、創造主になりたいという願望はありますので、
価値を生み出していけるきっかけになるといいなと思います。
読むのが楽しみです。
来月には買えればいいかなと。
ここからは、自分が読むべきだと思っている本です。
最近、自分はどの環境にいようと、クリエイターというスタンスでいないといけないと思うようになりました。
立場上、クリエイティブな仕事が出来ていなかったのですが、
アウトプットをしていく事が最近多い中、
ふと、気づいた事。
それは、自分は、何かアイディアを出すという事に、気持ちが特化しているな・・・と。
それがどんな稚拙なアイディアだとしても、考えるということをしたいという事に改めて気付かされました。
そこが自分にとって、とんがっている部分。
つまり、私のスキルであるのです。
このとんがりを、より鋭利にし、何でも貫くくらいに磨いていくには、
「自分に合った本」が必要になってきそうです。
色々な情報を幅広く吸収しようとしても、結局は浅い知識でしかありません。
また、大して興味がない事を吸収しようとしても、結局は「ぬかに釘」。
正直、使えるレベルにならなければ、時間の無駄でしかなく、
だったらどうしていけばいいのかと考えた時に、
クリエイティブというものは、あらゆる事の基礎に通じるなと。
自分の中で磨いたものは、どんな業種にでも代用できるはず。
自分を活かすという事。
そうする事にします。
■ゲームストーミング ―会議、チーム、プロジェクトを成功へと導く87のゲーム
ゲームストーミングはゲームのアルゴリズムと視覚的効果と効用をビジネスに利用する事により、
プロセスの改良・改善に繋がるアイディアやヒントが満載のようです。
物事を深刻に考えずに、ゲームの感覚で創造性を高めつつ解を求めていければという内容のようです。
最近ゲーミフィケーションという言葉も広まりつつあります。
ゲーム感覚というのは一昔前はバカにされた言葉ですが、
今ではビジネスに最重要なものだと痛感します。
■学習する組織――システム思考で未来を創造する
ビジネスマンの必読書と言われるこの本。
何より、学習するという点に惹かれてます。
組織とは学習して良くしていくのです。
そもそも私は、組織という中に入った経験が、
あまりにも浅く、組織外での単独行動が多かったので、
あらためて、学習して行きたい事項です。
まだまだ貪欲に吸収の余地がある状態です。
何かの指針になればというところです。
俯瞰、分析、理論など、稲盛氏の企業哲学など、
あるべき方向性を指し示しているとのレビューからも、
本来トップが読むべきでしょうが、
リーダー必携ということで、
私も必要なものと感じます。
■戦略と実行―組織的コミュニケーションとは何か
戦略を立案しても実行がされないと、
全く意味がありません。
その実行が大事なんだと私は常々思います。
自分のチームでも、いかにその実行をさせるかに気を使っています。
ただ、あれやれ、これやれ、じゃ人は動くわけありません。
情熱を持て、やって当たり前、色々理由や言い訳が生まれる中、
結局は、何故、必要なのか、どうしてやって欲しいのか、
これを説明しなきゃいけないわけです。
最後は、やるか、やらないかになるからです。
私は、ここまでは気づいているのですが、
なかなかうまくいかない事もあるため、
是非とも、自分の成長のためにも読みたい本です。
■戦略思考コンプリートブック
最後に、課題は解決に導かないといけないため、
柔軟に、最適に、スピーディーに思考をする。
その為の具体例などが収録されているようで、
投げっぱなしじゃない所に、共感を持てます。
問題解決までの道筋、応用の仕方など、
論理と創造を学べ、経験になりそうな、
そんな内容なので、是非とも熟読していければと思います。
CSS3 スタンダード・デザインガイド
CSS3デザインブック 仕事で絶対に使うプロのテクニック
WordPress 3.x (速習デザイン)
WordPressデザインブック3.x対応
マンガでやさしくわかるNLP
マンガでやさしくわかるNLPコミュニケーション
推理クイズ道場 ウミガメのスープ
人生最大にモテたホワイトday
ホワイトデーが近いということで
社内の方にお菓子を頂きました…
・・・
・・・
こんなにもりもりと…
わ…
私
バレンタインデー
アーモンドチョコ1~2粒しか
差し上げてないのに
こんなに皆さんにがっつり頂き
こんなに大モテのホワイトデーは初めてです。
モテキ! ってやつですかね
会社の皆さんは「神」!!
ありがとう
大事に食べて肥えます^^ノ
社内の方にお菓子を頂きました…
・・・
・・・
こんなにもりもりと…
わ…
私
バレンタインデー
アーモンドチョコ1~2粒しか
差し上げてないのに
こんなに皆さんにがっつり頂き
こんなに大モテのホワイトデーは初めてです。
モテキ! ってやつですかね
会社の皆さんは「神」!!
ありがとう
大事に食べて肥えます^^ノ
田舎暮らしdeダイエット!?
おいっすおひさしぶりです
さや☆えんどうです
えんどうも30歳を越えて
お腹周りに
お肉がついて悩み気味ですorz
ヘルシーに痩せたいと思うのですが
乙女共通の悩みでしょうかね?
最近小耳に挟んだ話を書きます
田舎に引越した知人が
周りのうちの人が
結構な確率で
畑をやっていたり
農家だったりして
自家用のお野菜が
出来すぎると
くれたりするんだそうです
腐らせちゃ勿体ないし
時節柄節約にもなる
というんで
貰ったお野菜を消費するよう
心掛けて食べていたら
結果的に摂取カロリーが
少なくなって
痩せたというんですね
Σ(@д@;)
「いつの間にか」みたいな展開が
羨ましい限りです
新鮮なお野菜の美味しさに
ついつい食べ過ぎて
しまいそうですが^^
元がローカロリーだと
それでも痩せるんでしょうかね?
さや☆えんどうです
えんどうも30歳を越えて
お腹周りに
お肉がついて悩み気味ですorz
ヘルシーに痩せたいと思うのですが
乙女共通の悩みでしょうかね?
最近小耳に挟んだ話を書きます
田舎に引越した知人が
周りのうちの人が
結構な確率で
畑をやっていたり
農家だったりして
自家用のお野菜が
出来すぎると
くれたりするんだそうです
腐らせちゃ勿体ないし
時節柄節約にもなる
というんで
貰ったお野菜を消費するよう
心掛けて食べていたら
結果的に摂取カロリーが
少なくなって
痩せたというんですね
Σ(@д@;)
「いつの間にか」みたいな展開が
羨ましい限りです
新鮮なお野菜の美味しさに
ついつい食べ過ぎて
しまいそうですが^^
元がローカロリーだと
それでも痩せるんでしょうかね?
2012年開運ツアーでパワーもりもり☆
今年も田舎暮らし物件をよろしくお願いいたします。
私はiPhoneを使っているのですが、
しばらく3GSだったんですね。
しかしついに4Sに機種変更いたしました!!!!
この動き、カメラの性能!
以前と段違いです。革命的です!!
その嬉しさあまり、
友人と、とある巫女さんが言っていたパワースポットへ行ってみました。
まずは関東最古の霊場 目黒不動尊
不動尊近くにあるうなぎ屋。
本当はヤツメウナギを食べたかったんだけど、
今回はうな重にしました。上うなです!
次に一気に鎌倉へ移動です。
鎌倉というと、鶴岡八幡宮ですが、まずは竹林の報国寺へ。
竹林に囲まれて癒されるとします。
竹林を見ながら抹茶を飲めます。
実に癒されます。
報国寺から、鶴岡八幡宮へ向かう途中でカフェに入りました。
Cafe Bergfeld ケーキの名前は忘れましたが、
ディ・モールト美味しいです。アプフェルトルテっていうやつらしいです。
八幡宮に到着する頃にはすっかり夕方。
夕日が綺麗でした。
もっと色々周る予定だったけど、
ちょっと欲張り過ぎたので、
こんな所にしておきました。
特に目黒不動尊はいいですねぇ。
鎌倉の竹林も良いパワーもらえます。
そういうの気にしない人でも、
普通に気持ちが落ち着き、気力は湧くと思いますよ~。
締めに横浜で最近話題のラーメンを食べました。
麺場 浜虎
ごきぶりポーカー
けん玉
私はiPhoneを使っているのですが、
しばらく3GSだったんですね。
しかしついに4Sに機種変更いたしました!!!!
この動き、カメラの性能!
以前と段違いです。革命的です!!
その嬉しさあまり、
友人と、とある巫女さんが言っていたパワースポットへ行ってみました。
まずは関東最古の霊場 目黒不動尊
不動尊近くにあるうなぎ屋。
本当はヤツメウナギを食べたかったんだけど、
今回はうな重にしました。上うなです!
次に一気に鎌倉へ移動です。
鎌倉というと、鶴岡八幡宮ですが、まずは竹林の報国寺へ。
竹林に囲まれて癒されるとします。
竹林を見ながら抹茶を飲めます。
実に癒されます。
報国寺から、鶴岡八幡宮へ向かう途中でカフェに入りました。
Cafe Bergfeld ケーキの名前は忘れましたが、
ディ・モールト美味しいです。アプフェルトルテっていうやつらしいです。
八幡宮に到着する頃にはすっかり夕方。
夕日が綺麗でした。
もっと色々周る予定だったけど、
ちょっと欲張り過ぎたので、
こんな所にしておきました。
特に目黒不動尊はいいですねぇ。
鎌倉の竹林も良いパワーもらえます。
そういうの気にしない人でも、
普通に気持ちが落ち着き、気力は湧くと思いますよ~。
締めに横浜で最近話題のラーメンを食べました。
麺場 浜虎
ごきぶりポーカー
けん玉