ムスカの歴史講釈「真田幸村」 生まれと故郷編
さてご好評の
歴史講釈「真田幸村」の続編です
貴重な解説をくれたのは
ムスカ のブログ:私釈☆歴史夜話
ムスカの歴史講釈「真田幸村」 生まれと故郷編
解説:ムスカ@経理
さて、あずにゃん。
真田と言えば上田。
…だが基本的に幸村は上田にほとんどいなかったと考えていい。そもそも真田家は上田にはそんな長くいたわけではないんだよ。
質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
と言いますと?
まず真田家の方だけど、上田に城をかまえたのは昌幸の時代、しかも本能寺の変の1583年以降。
そして息子、信之の時代に松代、もう少しわかりやすく言えば川中島と呼ばれていた地域に藩変えになったのが1622年。
つまり上田を本拠地としていたのは40年にも満たない程度のわずかな期間でしかない。
まぁ、上田を含む地域は幸隆以前から統治していたようだけど、そもそも真田家は海野氏の分家でしかも小豪族なので、記録とかがあいまいでそのあたりは詳しくわからないんだ。
しかも幸隆自身は一度追い出されており、武田信玄の支援により取り戻している。
なるほど
で、幸村と言えば、その頃から真田家の家を保つため有力大名家の人質となって、1585年(第一次上田合戦)ごろにはすでに上杉家にいた。
その次の年には豊臣秀吉のもとに人質にいっている。つまりは盥回しだな。
何とまぁ…悲惨な人生ですね。
とはいえ秀吉はそういうのを割と大切にする人物であるから、幸村もその例にもれずかわいがられていおり、豊臣の姓と従五位下左衛門佐をもらっているから、そんなに悲惨だったわけでもない気もするなあ。
まぁ、そう言うことで豊臣家の家臣(人質)とし大坂在住。
また朝鮮出兵の為に名護屋に行ったり(ただし、幸村を含めて真田家が朝鮮へ行ったという話はない)しているので上田に腰を落ち着けられたのはおそらく秀吉が死んだ1598年から1600年ぐらいだろうね。
まぁ、当時の資料が乏しい為はっきりとしたことはわからないんだけど。
1600年以降は?
関ヶ原の戦いで父とともに西軍として上田城の戦いで奮戦するが、肝心の本戦で西軍本隊が敗れたっため敗軍の将となった幸村は、九度山に流された。
赦免を願っていたそうだけど結局許されず(と言うよりも忘れ去られて)そのまま大坂城に入城しているから、上田にいた期間は49年間の人生の内せいぜいが数年と言ったところあろう。
生まれ故郷にほとんどいられなかったわけですか。
生まれた当時は父・昌幸は武藤家のものだから、生まれどうこうならば上田を含む真田領ではなく甲府だね。
なので正確には生まれた場所でも故郷でもない、ことになる。そいう点と彼の経歴から見ればここを自律の地とした父や長くはいなかったが真田家当主である信之とは違い、幸村個人は上田に対しては故郷とかいう意識はあまりないかもしれないね。
~*~*~*~*~*~*~*~
次回 生まれと故郷編に続く
漫画「上田・佐久 幸村500年の夢の跡」 もどうぞ^^
田舎暮らしの別荘・住宅は日本マウント株式会社
歴史講釈「真田幸村」の続編です
貴重な解説をくれたのは
ムスカ のブログ:私釈☆歴史夜話
ムスカの歴史講釈「真田幸村」 生まれと故郷編
解説:ムスカ@経理
さて、あずにゃん。
真田と言えば上田。
…だが基本的に幸村は上田にほとんどいなかったと考えていい。そもそも真田家は上田にはそんな長くいたわけではないんだよ。
質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
と言いますと?
まず真田家の方だけど、上田に城をかまえたのは昌幸の時代、しかも本能寺の変の1583年以降。
そして息子、信之の時代に松代、もう少しわかりやすく言えば川中島と呼ばれていた地域に藩変えになったのが1622年。
つまり上田を本拠地としていたのは40年にも満たない程度のわずかな期間でしかない。
まぁ、上田を含む地域は幸隆以前から統治していたようだけど、そもそも真田家は海野氏の分家でしかも小豪族なので、記録とかがあいまいでそのあたりは詳しくわからないんだ。
しかも幸隆自身は一度追い出されており、武田信玄の支援により取り戻している。
なるほど
で、幸村と言えば、その頃から真田家の家を保つため有力大名家の人質となって、1585年(第一次上田合戦)ごろにはすでに上杉家にいた。
その次の年には豊臣秀吉のもとに人質にいっている。つまりは盥回しだな。
何とまぁ…悲惨な人生ですね。
とはいえ秀吉はそういうのを割と大切にする人物であるから、幸村もその例にもれずかわいがられていおり、豊臣の姓と従五位下左衛門佐をもらっているから、そんなに悲惨だったわけでもない気もするなあ。
まぁ、そう言うことで豊臣家の家臣(人質)とし大坂在住。
また朝鮮出兵の為に名護屋に行ったり(ただし、幸村を含めて真田家が朝鮮へ行ったという話はない)しているので上田に腰を落ち着けられたのはおそらく秀吉が死んだ1598年から1600年ぐらいだろうね。
まぁ、当時の資料が乏しい為はっきりとしたことはわからないんだけど。
1600年以降は?
関ヶ原の戦いで父とともに西軍として上田城の戦いで奮戦するが、肝心の本戦で西軍本隊が敗れたっため敗軍の将となった幸村は、九度山に流された。
赦免を願っていたそうだけど結局許されず(と言うよりも忘れ去られて)そのまま大坂城に入城しているから、上田にいた期間は49年間の人生の内せいぜいが数年と言ったところあろう。
生まれ故郷にほとんどいられなかったわけですか。
生まれた当時は父・昌幸は武藤家のものだから、生まれどうこうならば上田を含む真田領ではなく甲府だね。
なので正確には生まれた場所でも故郷でもない、ことになる。そいう点と彼の経歴から見ればここを自律の地とした父や長くはいなかったが真田家当主である信之とは違い、幸村個人は上田に対しては故郷とかいう意識はあまりないかもしれないね。
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次回 生まれと故郷編に続く
漫画「上田・佐久 幸村500年の夢の跡」 もどうぞ^^
田舎暮らしの別荘・住宅は日本マウント株式会社