やっぱりプロレスが好きなんです | 酋長のブログ

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日々のあれこれ思うことをつづります。

いや、どういうことかというと、
つまり、
自分の仕事の仕方がね、
プロレスだなあと、
思うんですよ。

つまりこういうことです。

教えている立場の人間ですが、
私の仕事には、
いつも教えられている立場の人間がいて、
つまり生徒がいて、
教える方、つまり先生の方は、
自分の型、攻めの型をもつことは大切ですが、
いざ実戦となって、
攻めるか、受けるか、
どちらに重きを置くか、
ということなんですね。

攻める人は、
相手がどうあろうと、
相手の技を研究して、
攻めて勝つことに重きを置く。
これは、総合格闘技のような感じでね、

受ける人は、
相手の技を受けて、出させて、
それを受け止めた上で、
こちらが技を出して、
試合を作る、
相手の良さを引き出して、
試合を作ることに重きを置く。
まさに、プロレスですね。

型は一応持ちつつも、
生徒がどういうタイプかによって、
こちらの授業の仕方を変え、
生徒の良いところを引き出しながら、
それに合う技を出す。

「相手がワルツを踊れば私もワルツを踊り、ジルバを踊れば私もジルバを踊る」

AWAの名レスラー、ニック・ボックウィンクルの名言です。

相手のスタイルに合わせてレスリングをする、つまり相手の持ち味を十分に引き出すのが私の役目、という意)というニックの言葉は、プロレスの本質を余すところなく表現した名言とされている(もともとは父親ウォーレンから教えられた言葉である)。
Wikipediaより抜粋

ある意味では、
自分は悪い意味で型にハマらないなあと、
思った時期もありますが、
どうやら、私は、
根がプロレス的な考え方なのかもしれません。
そういうタイプの教え役なんでしょうかね。

そして、受けることを、
楽しんでいるのかもしれません。
決して、Mではないのですが(笑)。

そう、元来ね、
無駄を削ぎ落として、
空間、人と人が共有する空間を、スキなく作るのが、
嫌いなんですね、たぶん。

無意味なものなどないんです。
鴻池の神秘・カブキさんじゃないですけど。

あいまいなものが、
抽象的なものが、
すべてを包括する、
という考えですから。

もちろん、
対応に苦労する生徒や、
あまり合わない生徒もいないことはないですが、
それでも、
試合を作る必要があるので、
そういう意味では、
面白い仕事です。

そして、
MC同様、
型にハメてラクをしようと思ったときは、
たいがい、
納得のいかない結果になることが多いです。

そういうときは、
頭の中で、試合の構想が、
相手の技を受ける前に、
相手はこう来るだろうから、
自分はこう行こうと、
勝手な決め打ちをしているので、
やってみると、
どうもどこかでしっくりこない、
ということになるんでしょうね。

生き物です。
プロレスもMCも授業も。
だから、面白いんですね。

もうひとつWikipediaから抜粋。

プロレスの永遠の疑問である「なぜプロレスラーは技を避けないのですか?」という質問に対し、天龍は「よけられないんですよ。よけたら負けなんですよ。一度やっちゃったら、こいつにはもう勝てないって思っちゃう。俺はね」と答えている。また、週刊大衆のプロレス特集では「ハンセンのラリアットだろうと、ジャンボ(鶴田)のバックドロップだろうと、全てまともに受け、それでも立ち上がってみせるのがプロレスラーだ。それで負けたら『ああ、俺が弱いから負けたんだな』って思うだけでね」という自身の「受けの哲学」も披露している。

やっぱり、私は、
プロレスが好きなんです。
明日も、試合してきます。