子供を持つことの葛藤① | ナナイロウサギ

ナナイロウサギ

解離性同一性障害(旧多重人格障害)を持ちながらナースやってます。
2005.8~2010.11.28『依存少女』からアメブロに完全移転し『ナナイロウサギ』として開始しました。
2013年8月29日ディズニーアンバサダーホテルにてFTW挙げました。
2019年男の子を出産しました。

子供を持つことに葛藤がかなりありました。

 

人によっては衝撃のある内容かもしれません。

精神障害や虐待という言葉が辛い方は読まないでください。

 

 

 

まずはもう100%コントロール出来ているのですが、一度は解離性同一性障害の診断が下りた身であること。

 

これは、詳細は省きますが、解離性同一性障害の治療の目標のひとつとして人格を統合させることと、他人格と共存させることがあるんです。

(主治医や担当の臨床心理士によって方針は様々かと思います)

 

これについてはまた、別記事で書きますね。

 

出産、育児という、自分を含め人格の誰もが経験していない大きな人生のイベント。

 

そこで自分の精神バランスがどう崩れるか分からない。

 

自分の知らないところで子供に危害を加えてしまったら?

 

生み出したはいいけど、育てられないほど悪化してしまったら?

 

共存。

自分はいい。慣れているから。

でも、子供が物心ついてきた時に、全然知らない「別の顔の母親」を見てしまったら?

隠すつもりもないけど、見せるつもりもない。

子供には出来れば、母親の顔はひとつでいい。

 

今はなりを潜めている別人格が、出産に反対して堕胎するようなことがあったら?

 

どんなに、これをやったのは自分じゃない、自分は知らないと言っても、肉体は自分ひとり。

責任を問われるのはこの肉体を持っている、社会的に認められたうさだけ・・・。

 

次に自分自身が被虐待児であること。

 

虐待の連鎖という言葉をご存知ですか。

 

虐待をされて育った人は、自分の子供にも虐待をするようになってしまうという。

 

その一つの原因と言われているのが、愛されなかったから愛し方がわからないということなんですよね。

 

うさは親から愛されなかったわけではないと思っています。

むしろ毎日LINEするくらい、今は仲良くやっています。

 

祖母と母の義理親子仲が非常に悪く、うさはいつも巻き込まれていました。

 

どんな経験をしたか、今、書こうとしたのですが、うねる波のように記憶が押し寄せて、まとまりません。

 

今はやめておきます。

 

うさは絶対に子供に同じ思いはさせたくない、させない。

 

でも、母も祖母も、自分と血がつながっています。

 

そういうことをする人の血が、自分にも入っている、確実に入っているのだという事実は消せません。

 

それに、どうしようもなく激昂する感情が自分の中にあることも、自分が一番良く分かっています。

 

何も知らない人は、子供を持つことを迷っていると言うと

 

「産んだら絶対可愛いよ!」「私も子供嫌いだったけど、産んだら変わったよ!」と、気軽に励まして下さいます。

 

でも、可愛く思えなかったら?

子供に対するネガティブな自分が、全然変わらなかったら?

誰が責任を取ってくれるの?

その子には何の罪もないのに、こんなに不安因子を抱えた親の元に来てもらうのは、自分のエゴに付き合わせているだけなんじゃないの?

 

なんて

 

まだ妊娠すらしていない時から、それはそれは深くふかーく考えました。

 

他にも高齢出産になることや、自分のような人間が命をひとつ世に送り出してしまってもいいのだろうかという、真面目過ぎな考え過ぎの考え( ´∀` )

 

 

でも

 

年齢的なリミットを目の当たりにした時

 

経験出来るかもしれないからだに恵まれているのに、その権利を放棄することや、立ち向かってみようとしない自分が嫌になったんです。

 

このまま生きて行ったら、きっと自分は「生」に対してネガティブなままだと。

 

続きます

 

ショボーン桃うさぎショボーン