前回の記事では、いろいろ勇気づけられるメールやコメントをいただき、本当にありがとうございました。

「お話を聞いていただき、苦しいお気持ちにさせてしまったのかもしれません。申し訳ありません」

 そんなメールまでいただいてしまいました。

 いいえ、決してそんなつもりであれを書いたのではありません。

 私は話を「聞く方の馬力」ならあると思っています。

ですので、引き続き、体験談をお寄せ下さい。お願いします。

Kakosan3@gmail.com



今回は精神科病院での被害を紹介します。前にも書きましたが、やはりこの問題を避けて、精神医療を考えることはできません。


突然の死別、そして警察沙汰という出来事

Kさん(女性、40歳くらい)は、6年前、母親を事故で突然亡くし(そのとき総合病院の精神科を受診、通院)、その傷も癒えないところに、恋人(というより、一方的に言い寄ってきた男性)からの思いもかけない仕打ちを受けた。

Kさんは男性に抗議したが、結果、警察に通報され、取り調べを受ける羽目になった。そのとき、これまでこらえにこらえてきた感情が爆発した。

「母のいない寂しさにつけ込まれて、だまされた。もう死にたい。お母さんのところへ行く」

それを見ていた警官が付き添いに来ていた父親に、「病院に行った方が(入院させた方が)」と助言し、通院していた病院とは別の病院に入院することになったのだ。一昨年のことだ。


4人の男性看護師による暴力的行為

「入院時、一時期私は隔離室に入っていました。その時に精神状態を落ち着かせるため(?)の注射を受けました。私はその病院では治療を受けたくなかったので「注射は嫌だ」と抵抗したのですが、男の看護師4人が私を押さえつけ、力づくで注射をしました。私は「いやだ。やめて」とはっきり抵抗しましたが、4人がかりで、両手足、そして体を固定され、ズボンを下ろされお尻に注射されました。一人の看護師は、土足で私の頭を踏みつけ、髪の毛を引っ張りました。

今でも、その時のことをたびたび夢に見ます。看護師が集団で私を押さえつけ襲われる夢です。怖くて怖くて、夜中にハッと目が覚めて「ああ夢だったんだ」と思います。これが今ものすごくつらいです」


被害の告発は八方塞がり

その後Kさんは、いくつかの行動に出た。

まず、自分の担当医(50代の女医)に看護師の行為を告げると、

適切な治療だった。あなたが暴れたなら仕方ないでしょ」という答え。

 また担当のケースワーカーに言ってもらちが明かず、上司のケースワーカー長(女性)に電話をすると、

「不満があるのなら医療裁判なりなんなりすればいい。迷惑ですのでもう電話してこないでください」と突っぱねられた。

 警察に暴力の被害届を出そうとしたが、警察でも、「治療の一環だ」と判断され受け付けてもらえなかった。

法務局の人権相談にも行ったが、話を聞いてくれただけで「法務局には何の権限もない」と言われてしまった。

弁護士会に電話で話を聞いてもらったが、「手術ミスでもなかなか難しいことがある。精神科のこととなるともっと難しく、医療裁判をしても患者はまず勝てない」と告げられた。


まさに八方塞がりだった。

しかし、悲しいかな、精神医療における被害を受けた多くの人が経験することでもある。


PTSD

その後Kさんは、近所の内科医院の医師に相談をしたところ、「私は精神科医師ではないから専門的なことはわからないが、PTSDかもしれませんね」と言われたという。

結局、Kさんは精神科の通院をやめ、内科で薬をもらいながら精神科に頼らず回復をはかった。そしてこの春には自力で精神薬漬け生活から抜け出すことができた。

しかし、暴行的行為(治療?)によるPTSDが完治したわけではなく、現在もフラッシュバックに苦しんでいる。突然、「あのとき」にタイムスリップして、同じ恐怖を同じ強さで味わうのだ。

本来、病院とは治療するために行くところのはずである。しかし、こうした例を聞くたびに、精神科病院はまったくその逆としかいいようがない。特に女性の場合は、男性看護師の多い精神科病院内では、被害に遭いやすい可能性がある。それはレイプ被害にも等しいような重大なトラウマを残す。しかも、それが治療の一環と言われてしまっては、あまりに救いがない。


精神病院については、人権侵害に相当するような話があまりに多い。あまりに多すぎて、それが当り前、精神病院とはそういうところである、という「常識」が少なからず世間にはびこっているのも事実だろう。

しかし、Kさんの例も含めて、暴力的な治療という名の行為の多くは明らかに人権侵害である。それがなぜ糾弾されないのか? 患者が被害を訴えても、なぜそれが認められないのか?

暴れたから力づくで押さえつけざるを得なかった? 暴れたから鎮静せざるを得なかった? 

いや、押さえつけたから、暴れたのではないのか?


イタリアは精神病院を捨てた国である。それでいったいあの国に何が起きただろうか? そして、日本は1600以上もの精神科病院がなぜ必要なのだろうか?


人間倉庫

昭和38年、石川信義医師は、精神科医になってはじめて精神病院というところを見た時の衝撃を次のように書いている。『心病める人たち』石川信義著 岩波新書より

『N病院の閉鎖病棟……。鍵のなかへ入ったとたん、顔をしかめて私は棒立ちになった。

 異臭がプーンと鼻をついた。吐き気が胸にムカーッとこみあげる。ひどい悪臭と、重く淀んだ空気のなかに、百名近い患者がうようよとひしめいていた。

 内部は「人間倉庫」だった。……

 両手で鉄格子をつかんで、空をぼんやり見ている人がいる。ひとりは、鉄格子に自分の頭をぐりぐりとこすりつけていた。……

 多くの人は汚らしい格好をしていて、だらーっと両足を投げ出し、壁にもたれてうつむいていた。……

 トイレの戸が無いに等しかった。看護士は、これは事故防止のためですと言い、当然、という顔をした。

 事故防止の名のもとに、そこでは、人間としての誇りが踏みにじられていた。彼らの心への思いやりのひとかけらもない。……

「あのォ……、保護室の患者が床に落ちた不潔な御飯を拾って食べているんですけど……」

「いいんですよ、先生、あいつはいつもですから。ア、それ、ボンだ」(看護人は麻雀をしているのだった)

「おい、誰か、コップに水持ってこい!」

 強い命令口調だ。間髪入れず、一人の患者が走って水を汲んできた。彼は麻雀牌から目も離さず、コップを受け取るや一息に飲み干した。「有難う」の一言でもなかった。

 彼らは打ち棄てられ、打ち棄てられたままに「倉庫」に格納され、彼らの人生の時間だけが、ただ徒に空費されていた。……

「人間倉庫」と呼ぶにふさわしい建物そのままに、彼らは人でなく、「物」として扱われていた。「物」としての存在しか認められないから、彼らのほうもやむなく「物」となった。……』


これが日本の精神病院の原点である。そして、こうした精神は(例外はあるものの)、基本的におそらく今もたいして変わりはない。