はしゃぎ過ぎて12月なのに下着姿で遊ぶ息子くん・・・DASH!

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仮面ライダーが言えなくて、「カラメンダー」と自信満々に言い放っておりますにひひ





 

おはようございます晴れ
 

心理カウンセラーのとも花です。











 

今日は『①可哀想な我が子を何とかしたい!と思うあなたへ。』


の続きです。











 

私は娘(小2)が自分と同じ様に
 

 

‟顔色を伺う”様になった事がとても申し訳なくて、
 

 

私みたいな辛い思いをこの先もさせることになるのかと思うと



 

娘が可哀想で仕方なかった。
 



 

それなのに、感情的に怒ることが止められない自分が



 

嫌で嫌で、罪悪感の塊だった。





 

だけど、心屋塾で学び考えが変化してきた。



 

そんな娘も可哀想ではないんじゃないかって。



 

どんな言動を取る娘も、不幸ではないんじゃないかって。






 

 

子どもは自分で言動を決めて
 

 

自分で失敗して
 

 

自分で学び
 

 

自分で成長していく。



 




 

 

だから、苦しい思いをさせないように!と先回りして
 

 

何かを与えなくてもいいんだと思う。











 

子どもも私みたいに苦しかったら、



 

その生き方が自分に合わないと気付いたら、



 

自分に合った道を探せるから。









 

目の前の子供の様に



 

小さい頃のうまくやれなかった自分、



 

顔色を伺うしかなかった自分、



 

そんな小さな頃の自分をまだ‟可哀想”と思っていると



 

目の前の子どもも‟可哀想”に見えてしまうよね。





 





上手くいかない事、苦しい事、失敗する事・・・があっても



 

=不幸・可哀想 



 

ではないんだよね!

 







だって



 

顔色を伺わなくても



 

愛されているんだもん。





 

顔色を伺わない子どもでも、伺う子供でも、



 

あなたは変わらず愛しているのではないかな?





 

私もお父さんの顔色を伺わなくても、伺ってた時でも



 

どっちにしたって愛されていた事に気付いたから。





 

勝手に思い込んだのは私。



 

その方法が苦しいと感じたのも私。



 

勘違いだったと気付いたのも私。



 

親は何も出来ないんだよね。







 

自分と同じ辛い想いをさせたくない!と思っているなら、



 

まずは自分のその辛かった思いを癒そう。



 



 

人の目ばかり気にして生きてきて、辛かったね。



 

苦しかったね。
 

 

窮屈だったね。
 

 

何て思われるか、何されるかとビクビクして、怖かったね。



 

嫌だったね。
 

 



でもね、



 

小さい私にはその方法が安心に思えたんだよね。



 

自分で一生懸命考えて見つけたんだよね。



 

一人で良く頑張ったね。



 

もう、頑張らなくていいんだよ。



 

顔色を伺わなくてもいいんだよ。



 

そのまんまで愛されているんだよ。

 



そのまんまでいいんだよ。

 

                」

 


 

 

って自分に話しかけてあげて。

 





あなたも可哀想ではなかったから、

 


 

 

子どもも可哀想ではないんだよ。



 


 



 

そして





 

「私のせいで」と罪悪感を感じるのなら



 

小さな頃にうまくやれなかった、



 

顔色を伺う事を選んできてしまった、



 

自分を責め続けているのかも。





 

自分で自分を責めて、



 

自分を罪人にし続けているのかも。





 

だから子供に対しても



 

‟酷い事をする母親”でいなければならないのかも。

 





「もういいよー。



 

もう十分だよ。



 

苦しい生き方しか出来なかった私を許してあげよう。



 

私はもう許されていいんだよ。」





 

ほぅら、目の前の子供を見て。



 

怒るあなたでも優しいあなたでも



 

変わらず近づいてくるでしょう。



 

変わらず愛してくれてるでしょう。





 

どんなあなたでも、許されているんだよ。
 

 

目の前の現実が証拠だよ。



 

あなたもあなたを許してあげよう。





 


 

 

子どもの選択を信じる。
 

 

子どもを見守る。
 

 

子どもが選択を間違う事も見守る。
 

 

子どもが失敗する事も見守る。




 

 

子どもに口出したり、自分を責めたり・・・等するよりも
 

 

何もしない事の方が苦しいかもしれない。
 

 

でも、その子どもの問題に見えるものは、自分の問題だから。



 

子どもを何とかしようとするものではないのかも。







 

私も人の顔色を伺う事で、自分を守って来たんだよね。



 

顔色伺うのも辛かったけど、
 

 

顔色伺わないでズバズバ自分を出して行くのはもっと怖かったんだよね。



 

もっと傷つくと思っていたんだよね。





 

子どもの、その可哀想と思える言動も、



 

問題だと思える言動も



 

その子なりに考えて選んだ結果。







 

親から見て



 

「そのやり方は違うよー」
 

 

「傷ついちゃうよー」
 

 

「遠回りだよー」
 

 

「可哀想なことになるよー」





 

と思える言動をする子どもでも


 

 

「この子はどうせ大丈夫」なんだよね。







 

だって



 

そんな辛い思いしてきたあなただって



 

「どうせ大丈夫」だから。

 


 

 





子どもをどうにかしようとしないで





 

辛かった、悲しかった自分の気持ちを分かってあげよう。

 


 

 


 

 

上手くやれなかった小さい頃の自分を責めていないで





 

小さいのに精一杯頑張ってたね、って認めてあげよう。











 

「この子が私の様になってもいいーーーーー!!」





 

と、‟妖怪可哀想”を作る前に、ブツブツ呟いてみようビックリマーク







 

今日も最後まで読んで頂き

ありがとうございました。


 

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