現代美術家 パルコキノシタさん 第1回 | みんなの学び場美術館 館長 IKUKO KUSAKA

みんなの学び場美術館 館長 IKUKO KUSAKA

生命礼賛をテーマに彫刻を創作。得意な素材は石、亜鉛版。
クライアントに寄り添ったオーダー制作多数。主なクライアントは医療者・経営者。
育児休暇中の2011年よりブログで作家紹介を開始。それを出版するのが夢。指針は「自分の人生で試みる!」

皆様、こんにちは。
みんなの学び場美術館 館長 日下育子です。

今日は素敵な作家を紹介いたします。
現代美術家のパルコキノシタさんです。

 


パルコキノシタさん

 


第1回の今日は、パルコキノシタさんが美術を始めたきっかけ、制作テーマ、24歳の頃に

描かれた「1万枚の顔」という作品、そして今年の夏に宮城県石巻市で開催されたREBORN

ART FESTIVAL2017で公開制作された「います」という作品について伺いました。

 

どうぞ お楽しみ下さいませ。

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天安門のイメージ
1989 
「第10回 日本グラフィック展」
パルコ賞受賞、渋谷PARCO(東京)

 

 

 

 

 

個展10000枚の顔
1993
RRRギャラリー(東京)

 




個展10000枚の顔 2
1993
RRRギャラリー(東京)
 

 

 

 

 


昭和40年会we are boys!展
2011
クンストハーレ・デュッセルドルフ(ドイツ)

 キエフ国立美術館(ウクライナ/キエフ)

 

 


昭和40年会we are boys!展 2
2011
クンストハーレ・デュッセルドルフ(ドイツ)

キエフ国立美術館(ウクライナ/キエフ)

 

 



和40年会we are boys!展 3
2011
クンストハーレ・デュッセルドルフ(ドイツ)

キエフ国立美術館(ウクライナ/キエフ)






個展「幽霊でもいいから」
2012
新宿眼科画廊(東京)

 

 

 



石巻・台湾アートプロジェクト
2013
石巻市(宮城)
 

 



石巻・台湾アートプロジェクト
2013
石巻市(宮城)

 

 

MMIX LAB 大震災復興支援プロジェクト
2013
あすと長町 仮設住宅 (宮城県仙台市)

 

 

 

 

 

 


スイート・ヒアアフター
2015
東京都府中市美術館公開制作



 

 

 



reborn art fes「います」
2017
荻浜小学校(震災以後休校)宮城県石巻市
 

 

 


reborn art fes「います」 
2017
荻浜小学校(震災以後休校)宮城県石巻市
 

 


reborn art fes「います」 
2017
荻浜小学校(震災以後休校)宮城県石巻市

 

 

 

 



reborn art fes海の帰還
2017
荻浜小学校(震災以後休校)宮城県石巻市

 

 

 


制作風景
2017


制作風景2
2017


whatisart1MV映像
2017
YOU TUBE映像の2分38秒から数秒間、パルコキノシタさんの
制作風景が映っています。
   

 

 

 

日下
美術を始めたきっかけについてお伺いしたいのですが、
子ども時代、パルコさんを取り巻く環境というのはいかがだったでしょうか?

 


パルコキノシタさん
お父さんが大塚化学に勤めていてロケット燃料とかオロナミンCとかを作った人なんですよ。



日下
えっ!そうなんですか?


 
パルコキノシタさん

勤勉努力家、非常に厳格な人だったんですよ。家庭の中でも厳しくて、それで子供時代は父に対する反発みたいなものがずっとありました。
母は母で戦後すぐに東京の洋裁学校に進学して、洋裁の技術を習得して、その後すぐに徳島県の実家に戻って職業訓練学校の洋裁教師になったんですよ。化学者と公務員の家の子で、父と母の共通点というのが、とにかくすごく真面目。

夫婦共稼ぎで生活は普通でしたけど、欲しいおもちゃとか買ってもらうときに親に言うのに凄く緊張して、欲しいおもちゃとか買ってもらえないときに、ずっと自分で代わりになるものを画用紙とかで作っていました。
幼稚園から小学1年の頃、お友達が怪獣とかサンダーバード基地とか、できているもので遊んでいたんだけど、僕はそれを自分で作って遊んでいましたね。その辺が、もしかしたらもの作りに向かう原点だったかも知れませんね。
 

 

 日下

おもちゃを自分で作るところから遊びが始まっているなんて、凄いです。
その後、本格的に美術を目指したきっかけというのは、おありだったのでしょうか。
 


パルコキノシタさん
高校時代に画家をやっている恩師に出会い、その後特に大志を抱かずに、ただ漠然と「絵でメシが食えればいい」的な気持ちで美大に入ったんですが、
大学では皆さらに漠然としていながら葛藤もせず遊んでばかりなのに要領がよくて、次々にいい会社に就職して状況をみていて自分に絶望しました。自分は本当に不器用で、その頃はバブル期全盛だったにも関わらず自分の内定はゼロ。

自分は要領が悪い、不器用な人間である。ビジネスマンに向かない、いい人にも悪い人にもなれない等という事に気づきました。そして美大ですっかりアートに対する夢をなくしてしまい、自分だけ世間とは逆方向の田舎で就職したんです。埼玉の奥の奥、春日部よりも奥、北葛飾郡の小さな小学校で臨時教員の採用になりました、

その時に、子供の描く無垢な作品の中に、自分が絵画に欲していた全てのキラキラした魅力を見つけました。
それまで自分が経験した美大ヒエラルキー、受験用デッサンとか、儲かる絵儲からない絵とかそういうものを捨てて、ようやく自分の評価軸を手に入れたんですね。その年に色々わかるようになって急に絵が描けるようになりました。
 


日下
そうだったんですか。

 


パルコキノシタさん

そして日本グラフィック展というコンペの4000点くらい応募作品がある中で、最終的な2点に残った事は自信にもつながりました。1位が大賞で、2位はパルコ賞なんですが、小学校の先生をしている時にパルコ賞を取ったんです。
そして地元の徳島のタウン誌の編集者にパルコキノシタと命名されました。・・・というのが自分の本当の意味での美術の始まりなんです。24才の頃です。
 

 

日下

私はパルコさんのお名前の由来に、とっても興味が有ったんですが、そういうことだったのですね。ツイッターでは、「公園の木の下」という名前でも投稿されていますね。

 


パルコキノシタさん

命名は自分ではないのですが、パルコ賞のキノシタでは恥ずかしいので、後付けでコンセプトをつけたんですよね。パルコというのはイタリア語で「公園」、キノシタというのは木の下という意味があるから、公園の木の下に僕はいつもいます、という感じです。敷居の高いイメージのある美術館や画廊のアートよりもより身近な、ストリートで活動するようなアーティストになろうという意味を込めました。


日下

話は戻って、日本グラフィック展の最終的な二点に残った作品についてお聞かせいただけますでしょうか。

 


パルコキノシタさん
天安門事件をテーマにしている作品なんですよね。もう30年近く前の作品になります。

 


日下
私が大学生の頃でしたので、覚えています。
天安門事件のときは、どんなことを感じていらしたのでしょうか。

 


パルコノシタさん

テレビの生放送で深夜、人民解放軍、軍隊が民間に向けて発砲しているのを見て、非常に激しい怒りを覚えました。その怒りが僕に描かせた作品なんです。
その24才の日本グラフィック展のインタビューで、僕は「命を描きたい」と答えていて、当時から今までそれは制作テーマとして変化していないんです。
 


日下

そうですか~。(感動!) 「命を描きたい」というのは、本当に素晴らしい制作テーマですね。
その翌々年の作品かと思いますが、一つの空間の中にびっちりと人の絵が張り巡らされている作品がありますが、これはどんな作品なのでしょうか。


パルコキノシタさん

これも1990年代でもう30年近く昔ですが、1万枚ドローイングを描いたんですよ。
人間の記憶というのはあいまいなんですが、渋谷駅とか新宿駅とか、1日の乗降客が100万人を超える駅が東京にはあって、そういう人と人との一期一会の瞬間を切り取るというテーマで1万枚のドローイングを描いたということですね。

日下
1万枚というのはすごいですね。これはどこで展示されたのでしょうか?

 


パルコキノシタさん

これは昔、青山のキラー通りにあったRRRギャラリーというところです。
昔、TBSのテレビ番組で「イカすバンド天国」という番組があって、その後にその美術版みたいな番組が始まったんですけど、それに僕が出演して賞をもらって、ギャラリーで個展をやる権利を得たんですよ。
その時の作品ですね。


日下
その番組、分かります。素晴らしいですね。
1万枚というのは描くのに物凄く時間がかかるんじゃないでしょうか?

 


パルコキノシタさん

本当に大変でした。でも逆に、今回、石巻のリボーン アート フェスティバルの木彫りも出来なくはないと思ったのは、30年近く前にすでにその1万枚のドローイングをやっていて、それがどれだけ大変かというのを自分の体が覚えていたからなんです。1万枚描いたのだから、「います」の3799体は彫れる、と思いました。

 

 

―2017年 宮城県石巻市で開催されたリボーン アート フェスティバル(以下RAFと略)について

 

日下
「います」という作品は今年RAFで石巻市男鹿半島の萩浜小学校で、パルコさんが制作された作品

ですね。この作品のコンセプトを改めてお伺いできますでしょうか。

 


パルコキノシタさん

東日本大震災の時に石巻市で津波被害で亡くなった3799名の方々何ができるかを考えたときに『生きている自分の時間を捧げること』」とだと考えましした。このフェスティバルの期間中にこの教室で3799体の木彫りの人物像を彫って展示していくことで、3799名の方の命がここに「います」ということを表現したいと思いました。
材料の木は全て石巻から縁のある所から提供を受けて、丸太をオノで割るところからやっています。
そして教室の奥には黒板がありますが、その白い模様は、僕が描いたのではなくて、津波の時に被った潮の痕跡なんです。そういうものと出会った時、絶対生かしたいと感じて、そういうつながりも不思議な縁だと思います。

日下
パルコさんの亡くなった方々への思いがあって、そこに表現材料が集まってきたということに、何かとてもエネルギーを感じます。会期が終わって何か思われることはありましたか?
 


パルコキノシタさん

美術館とかアーティストとかそういう専門家が見る視点とフェスにいらっしゃるお客さんに観ていただく視点というのはまったく違うんですよ。だから僕はアーティストとしてコンセプトとか文脈とか色んな業界内でアートとして成立させるためのコンセプトメイキングをするんですけど、実際に見てくださる方々は率直な感想で、「仏像だ、仏像だ」といって拝むような反応が多かったです。

こちらとしてはアート作品でインスタレーションなんですが、僕はとりあえず「そうですよ」って言っていました。
アートのことを知らない人が見てもアートの専門の人が見てもどの層の人が見ても、やっぱり大事なのはメッセージを届けることで、「アートとはなんぞや」というレクチャーをやってもしょうがないので、一つの作品ですが、初心者にもプロにもメッセージが届けやすいように広い入り口を作ったというのは当初からあります。


日下

はい、パルコさんのメッセージはストレートに伝わってきました。私は現場でもNHKなどテレビで紹介されているのも拝見しましたが、とても良い作品だと思っています。
ところで、パルコさんは震災を機に東北に移住されたそうですが、どんな思いで移住されたのでしょうか。

 


パルコキノシタさん

震災があった年から僕は既に行ったり来たりしていたので東北は割と長いのですが、 初めての時は、東京を朝出て海岸沿いの破壊された道路を走って来て、丁度宮城に着いた時点で夜なんですよ。だからもっともっと、岩手、青森、陸前高田とかも大変な被害があるんだろうけど、宮城辺りで日が暮れたという…。この時は、実際に自分の目で見て、何百枚も写真を撮って帰りました。

結局、何が必要なのかわからないので、一番最初はとにかくお金を寄付したりしました。でも、自分のプロフェッショナルな部分が美術なので、ずっとアートで何ができるかということを考えていたんですよ。
それで、何か表現をすることでストレスを軽減できないかな、ということを考えて、仮設住宅や児童館やらを借りて、ワークショップをしていました。


日下
具体的にはどんなワークショップをされていたのでしょうか。




APbankfesワークショップ
2016


APbankfesワークショップ 2
2016

 

 


パルコキノシタさん

これは今から一年前のAPバンクフェスですが、同じことはあまりやっていなくて毎回ネタを変えてやっていました。ひな人形、大漁旗、段ボールで家を作ったり被り物のお面を作ったり、みんなで魚が空を飛んでいる絵を描いたり。既に現地女川に入って活動されてた武谷大介さんの遠足プロジェクトに参加させてもらったりもしました。あとは仮設住宅ではそこに暮らす人たちの似顔絵を描くというのをやっていました。
 


日下
素晴らしいですね。似顔絵は喜ばれたのではないでしょうか。

 


パルコキノシタさん
いや、何て言うのかな、仮設住宅で出会ったのは本当に苦しい体験をした人ばかりで、本当に家族、配偶者、お子さん、友人、愛する人を亡くしている人たちが目の前にいて、声のかけ方が分からなくて、結局ずっとみなさんが僕に話をしてくれるんです、だから僕はその話を聴かせてもらうだけという感じでしたね。


日下
そうでしたか~。パルコさんは仙台市太白区長町の仮設住宅にも絵を描かれていますね。

パルコキノシタさん
あすと長町の仮設住宅に行く事は多かったです。
長町の仮設住宅は本当に大切な所でしたね。

日下
石巻以前にも仙台で制作されていたというのはどんな経緯からなのでしょうか。

パルコキノシタさん

宮城教育大学准教授の村上タカシ先生がやっている一般社団法人MMiX Labのメンバーになりました。そのことでだいぶ支援活動がやりやすくなりました。
 

 

日下

今回、RAFでたくさんの作品を拝見して、被災地にとってアートというのは、被災した気持ちを慰めたり、復興への気持ちを高めたりして、地域を活性化していくのに本当に力になるな、と感じました。
宮城県民の一人として、アーティストをはじめとするフェスティバルの皆様には感謝の気持ちで一杯です。

今日は素晴らしいお話をありがとうございま

 

今日は素晴らしいお話をありがとうございました。

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編集後記
 

私は今年の夏に宮城県石巻市で開催されたREBORN ART FESTIVAL2017のアートガイドツアーに1日だけ鑑賞者として参加しました。
マイクロバスに乗って、牡鹿半島のあちこちに展示された作品をワタリウム美術館の和多利浩一先生のガイドで鑑賞するというツアーだったのですが、その一つの荻浜小学校でパルコキノシタさんに出会いました。

アーティスト自身による作品解説で、パルコさんが「亡くなった3799名の方々何ができるかを考えたときに『生きているじぶんの時間を捧げること』」と仰っていることにとても感動し、その場でインタビューのお願いをさせていただいたのでした。
約2ヶ月にわたる制作期間で一つのインスタレーションを作り上げられていて、その場所に念が入っているのが伝わって来て、静かにゾクゾクする感覚を味あわせて頂きました。

次回は、パルコキノシタさんの展覧会やアートプロジェクトでの作品の制作の思い、制作の素材について、社会との接点で思うこと、「あなたにとってアートとは?」についてお話を伺いします。

どうぞお楽しみに。

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■今後の活動予定
 ◇カオス*ラウンジ新芸術祭2017 市街劇「百五〇年の孤独」 
  会期:2017年12月28日(木)~2018年1月28日(日) ※1月からは金土日祝のみ
  12月28日、29日、30日、31日
  1月5日、6日、7日、8日、12日、13日、14日、19日、20日、21日、26日、27日、28日
  (合計17日間)
開催時間:10:00~18:00
会場:zitti(〒971-8172 福島県いわき市泉玉露2丁目2-2)ほか、泉駅周辺の複数会場
  
 ◇アチェー日本コミュニティアートプロジェクト2017
  会期:2017年12月17日−30日
  会場:アチェ州、津波博物館、プングプランチュ、他


■パルコキノシタさんの情報がご覧になれるWEBページ
 ◇Twitter ⇒ 公園の木の下(パルコキノシタ) 
 ◇Facebook ⇒ パルコキノシタ


■パルコキノシタ  Parco KINOSHITA
1965 徳島県生まれ
1989 日本大学芸術学部デザイン学科卒業
1994  昭和40 年会結成と同時に参加
2000 月刊『ガロ』で漫画家デビュー

主な個展 Selected Solo Exhibitions

1992 「パルコキノシタ展」宇宙百貨ARTWADs(東京)
1993 「10000枚の顔 」RRRギャラリー(東京)
1997 「カラオケ(歌う人)をモチーフにした10000枚の展覧会」 デジタローグギャラリー(東京)
    「集中―オーバーコンセントレーション―」 芝山仁王尊観音教寺(千葉)
1999  「パルコキノシタ花個展-アドゥレセンス黙示録-」現代美術製作所(東京)
2000 「Kindergarten」ギャラリーé(東京)
2002 「公園の木の下展:図工」現代HEIGHTS( 東京)
2004 「パルコキノシタ展」現代HEIGHTS( 東京)
     「ロシア展」セントラルイーストトーキョー(東京)
2009 「モンスター」墨東まち見世2009、アートスポット鳩や( 東京)
2012 「幽霊でもいいから」新宿眼科画廊(東京)
2013 「かすかに揺れている毎日」新宿眼科画廊(東京)

主なグループ展、パフォーマンス、ワークショップ
Selected Group Exhibitions, Performances, Workshops

1989 「第10回 日本グラフィック展」《天安門のイメージ》パルコ賞受賞、渋谷PARCO(東京)
1992 「アーバナート#1」《 分速8 Mの絵》、渋谷PARCO( 東京)
1993 「THE GINBURART」200 メートルの似顔絵制作、銀座通り(東京)
     人を見る犬を見る芸術「ハチ公プロジェクト」、渋谷駅前(東京)
1994 「新宿少年アート」バイオレンス・ペインティング、新宿コマ劇場前(東京)
    「博多少年アート」人相書き、中洲(福岡)
    「 ミュージアムシティ天神」パフォーマンス、天神(福岡)
    「なすび画廊」での展覧会、六本木WAVE(東京)
    「君もピカソになれる」横浜市民ギャラリー(神奈川)
1995 「巨大オセロに絵を描いて遊ぼう」横浜市民ギャラリー(神奈川)
1996 昭和40年会パフォーマンス、高松市美術館(香川)
    「昭和40 年会」緊急カラオケ会議、シナプス画廊(東京)
    「Morphe  '96翼―Asian Wing―」 緊急カラオケ会議、スパイラルホール(東京)
    「昭和40年世代-東京からの声」GMB ギャラリー(バルセロナ/スペイン)
1997 「パルコキノシタと長い絵を描こう」芝山国際野外アート展、芝山仁王尊観音教寺(千葉)
     「緊急カラオケ会議」千葉県立美術館(千葉)
    「ドクメンタⅩ ゲリラ・パフォーマンス」( カッセル、ドイツ)
    昭和40 年会海外遠征記者会見パフォーマンス、現代美術製作所(東京)
    「Morphe ’97 連鎖―TRANSMISSION―」 緊急カラオケナイト(東京)
1998 「はな・はる・フェスタ」水上浮遊超巨大絵画制作(3 日間連続水上ライブペインティング)

    明石海峡大橋開通記念イベント(徳島)
    「竹尾コミュニケーションペーパーショウ」スパイラルホール(東京)
    「Morphe ’98 海流―BEYOND THE HORIZON―」 (東京・三重)
    NHK  BS-2「真夜中の王国」ナレーション担当
    「昭和40年世代-東京からの声」ギャラリエ・エスパス・フロン(ローザンヌ/スイス)、

    ACC ギャラリー(ワイマール/ドイツ)
1999 「昭和40 年会・欧州巡回展-東京からの声-凱旋帰国展」現代美術製作所(東京)
    「 スパイラルTV」 小沢剛企画に出演、スパイラル(東京)
2000 「第2回 国際シティビデオインスタレーション 秋葉原TV」秋葉原電気街(東京)
    「光州ビエンナーレ ゲリラ・パフォーマンス」(韓国)
     「特撮の世界」小学生と映画を作る、東京都現代美術館(東京)
2001 「VOCA展 2001 現代美術の展望-新しい平面の作家たち」上野の森美術館(東京)
    「上海ビエンナーレ ゲリラ・パフォーマンス」(中国)
2003 「ヴェネツィア・ビエンナーレ ゲリラ・パフォーマンス」(イタリア)
    「 特設映画を作ろう!十日町防衛隊(小学生編)」大地の芸術祭―越後妻有アートトリエンナーレ2003、越後妻有交流館キナーレ(新潟)
    「 タイガース優勝記念展03  逆から読めばARTはTRA」 スタジオ・ビッグアート(神奈川)
2005 「国際交流展TOKYO-MEXICO 04-05」 国立エスメラルダ美術学校(メキシコシティ/メキシコ)
    「プーシキンワークショップ」東京都美術館(東京)
2006 「まっしろしろすけふえちゃったの巻」第45 回東京都図画工作研究大会北多摩大会、

    府中市立若松小学校(東京)
2008 「art-Link 上野―谷中2008」 谷中(東京)
2009 「WFP×ART×YOKOHAMA  幸せをつなぐ アート展」横浜高島屋(神奈川)
2010 「わくわくislandハウス」island(千葉 )
    「大鷹ワークショップ」流山市生涯学習センター(千葉)
2011 「昭和40年会:We are boys!」クンストハーレ・デュッセルドルフ(ドイツ)、

    キエフ国立美術館(ウクライナ/キエフ)
2013  「石巻・台湾アートプロジェクト」石巻市(宮城)
    「昭和40年会男木学校」瀬戸内国際芸術祭2013、高松市立 男木小・中学校(香川)
 

 

出版物、映像等 Publication, Videos
『 教育と美術』トムズボックス、1993年
『漂流教師』青林堂、2001年
ビデオ「 昭和40年会ザ・ムービー 晴れたり曇ったり」出演、1999年
劇場アニメーション「 少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録」劇中絵画、1999年

 

 


本日もご訪問ありがとうございました。

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10:00~13:00と13:30~16:30開催します。
 
 
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★☆ アーカイブス ☆★

 


学び場美術館登場作家リスト
学び場美術館登場作家リストⅡ
学び場美術館 登場作家リスト Ⅲ ー2014

 

学び場美術館 登場作家リスト Ⅳ ー2015
学び場美術館 登場作家リスト ⅴ ―2016

 


 

 


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