彫刻家 青野正さん 第4回 | みんなの学び場美術館 館長 IKUKO KUSAKA

みんなの学び場美術館 館長 IKUKO KUSAKA

生命礼賛をテーマに彫刻を創作。得意な素材は石、亜鉛版。
クライアントに寄り添ったオーダー制作多数。主なクライアントは医療者・経営者。
育児休暇中の2011年よりブログで作家紹介を開始。それを出版するのが夢。指針は「自分の人生で試みる!」


みなさん、おはようございます。


毎週木曜日、「みんなの学び場美術館」担当の
「彫刻工房くさか」日下育子です。


本日は素敵な作家をご紹介いたします。


彫刻家の青野正さんです。


前回の高田洋一さんからのリレーでご登場頂きます。


高田洋一さん

第1回http://ameblo.jp/mnbb-art/entry-11264231260.html

    http://ameblo.jp/mnbb-art/entry-11239924858.html

第2回http://ameblo.jp/mnbb-art/entry-11241895457.html

第3回http://ameblo.jp/mnbb-art/entry-11249133042.html

第4回http://ameblo.jp/mnbb-art/entry-11249134184.html



第4回の今日は、青野正さんの制作と社会との接点についてを

インタビュ―をもとにご紹介させて頂きます。


お楽しみ頂けましたら、とても嬉しいです。



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社会との接点について



日下
ここまでお伺いしてきて、
今度は社会との接点についての思いを

お聴かせ頂きたいのですが。
青野さんはモニュメントのような大きい作品をたくさん制作・設置していらっしゃいますし、

活動歴を拝見すると受賞歴が数多くていらして素晴らしいですね。

若い時から物凄く精力的にお続けになっていらっしゃるんですね。



青野正さん
僕は、ずっと彫刻家になろうと
思っていたから、

自分では好きなことやってるだけであんまり考えたことはないんです。
 

30代半ば頃からコンペに入り始めたんだけど、その前10年位は、

出しても全く入らなかったんですね。だから苦節10年です。
 
普通は10年も入らないとみんな止めちゃうんだろうけど、懲りずにずーっと出して、

そして入り始めたらちょこちょこと受賞して、大きなものも作れるようになった、

という感じです。


大きい作品は、制作依頼じゃなくて全部コンクールなんですよ。

企業からの仕事は、今だ全然来ません。


前回の高田君とは正反対ですね。彼は、若い時にコンクールで大賞を取って

すぐギャラリーがついたから企業との仕事が多いの。売れっ子だから僕と両極端だよね。



日下
それにしても、コンペでこれだけのお仕事をされるというのは
逆にとても凄いことですよね。



青野正さん
ある意味ツイてましたね。
僕より年上の世代の人たちは、
大作のコンペが少なかったですからね。 

そして若い人の時代にはそんなコンペも少なくなっていて、

なかなか大きいものを手掛けるチャンスが無くなってきた。



日下
石の作家でも状況は同じようなところがあって、

石でも彫刻シンポジウムなどはだいぶ無くなってきていると思います。



青野正さん
石彫はまだがんばってシンポジウムを続けてくれているところがあるよね。

 

とにかく、20年前頃、野外に彫刻置きましょうというブームがあった時に、

僕は30代半ばで体力もあって、コンペで大作を作るチャンスを得られたことは

幸いでした。今から見るとね。


でも、人とも話したことがあるんだけど、

コンペの受賞歴の数の多さは恥ずかしいことかも‥と。


結局、それって売れてないからなんです。

売れていればコンペに出さなくても当然仕事が来るわけだから。 

僕はいまだにコンペ出していますからね。
 

それは大きい制作もしたいからですが、裏を返すとみっともないことなんです。

いい歳をしてコンペに出すというのはね。



日下
いえいえ。

生涯チャレンジャーと言う感じはとっても素晴らしいと思います。



青野正さん
チャレンジャーというのは、一生勉強という意味では良いけど、

放っといても仕事が来る方がいいよね。
 

だって応募して賞に入ったものだけ略歴にしているけど、

1個入るためにいっぱい落ちてるからね。



日下
あっ、そうなんですね。そうしたら本当にさらに凄いお仕事量ですね。




アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館

スモーキー・マウンテン



アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館

Steel's Ash






青野正さん
さっき言った様に、30から45才ぐらいの間は、
コンクールが年間4つも5つも

あったから、いつもその模型を作っているというのが常だったんです。 

 

それでまあ、5~6回出して、1回受賞して実制作ができる。

というのが15年ぐらい続いてたと。
 

それが21世紀に入ってから少なくなったんですね。でも、その頃からご縁もあって、

ギャラリーで小品や組み合わせの作品発表を始めたんです。

 

だから、景気低迷が無かったら「スモーキー・マウンテン」は作ることはなかったし、

「迷犬ハナの冒険」を作ることはなかったかもしれない。 

「Steel's Ash」も作ることはなかったんです。
 

あのままコンペが数あれば、大きい作品のことばかり考えていたかもしれなくて

無くなって気付いたこともあったので、ギャラリーでやりたいことが結構出てきたから、

鉄で好きなことをやれてて面白いな~と思っているの。
 

だからそんな感じで、納得して作っています。



日下
さきほどコンペのお話などもうかがいましたが、
社会とのかかわりでもう一つ、

またモニュメントに関わるようなことでお聴きしてみたいことですが、

これからどんな方に届けたいとお考えですか。

青野正さんのお仕事は、野外環境にふさわしい作品だと思いますが、

都市や自然の中、あるいは美術館でなど、

どんな環境でどんな人に見てほしいというようなお考えや希望などはおありでしょうか。



青野正さん
美ヶ原とかの野外美術館だと見る人も制約されるんだけど、

僕、野外の24時間たくさんの人が作品を触れてもいい状態のところにも

作品を置いてあるんです。それって、森の中とか山の中とか川の傍なのね。

だから置いてみたいと思うのは、街のど真ん中ですかね。 でもチャンス無いよね~。

ちょっともう、時代が終ったかって感じ。


本当は、近代的ビルの前に1個置く取り決めがあったんだけど‥‥ 

多分建築家に嫌われたのかもしれない、鉄のままは錆がね~って言ってね。 

まあ、それは一つの夢に・・・。


とにかく、鉄は緑の中で、蒼い空をバックにというのが似合うんですよ、

鉄の茶色い色と緑とかもね。凄くきれいです。物凄く。


でも、街の中は置けなかったので、そういうところにも置きたかったなというのは、

ありますね。



日下
今の街のど真ん中に作品を置きたいというお話で思い出したのですが、

ある彫刻家さんが仙台のあるビルの前に彫刻を置いていて、

それは彫刻の中に脈を打つように電気が点滅している作品なんです。


日本のコンクリート建築というのはだいたい3~40年が寿命と言われているそうですが、

3~40年後そのビルの寿命がきて解体される時に、その脈のような点滅が

まだ続いていて、建築に対する彫刻の寿命というものを問うという作品があります。


青野さんの彫刻もそういう意味で、本当に街の建築が寿命を迎える時に

それでも残っていたら、本当に鉄の文明を問うような意味が体現されて

深まっていくように思います。



青野正さん
そうですね。

ただ、今の彫刻というのは建築のアクセサリーみたいなものだから、

建物を解体したら一緒に無くなってしまうと思いますね。 


そこの時点で残る力は、本当に、なかなか大変なものと思います。





アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館
ヤマの礎




アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館

ヤマの礎(青野さんの文章)





日下
でもこのお話で、そういう意味で本当に彫刻が残るという点では、

いわきのモニュメントというのはとっても重要な作品なんですね。



青野正さん
いわきのモニュメントというのは、公の機関でなく、
炭坑の塵肺(じんぱい)被害者たちが

主体になって作ったモニュメントなんです。


日下さんは石の彫刻をしているから分かると思うんだけど、

作業の時に防塵マスクしますよね。あの炭坑では会社が坑夫たちに

ちゃんと防塵マスクを配っていなかったと、元坑夫の患者たちが告発したんです。

あれは、日本で初めて塵肺訴訟に勝利した、

その賠償金で建てたモニュメントなんですよ。


僕がコンペの大賞に選ばれてから、

すぐに関係の人から10数冊本が送られてきたんです。分厚いのが。

これを読んで、日本の炭坑の歴史やいわきの歴史を勉強して、

それから作って下さいね。ってね。

炭鉱を経営していたのが今の常磐ハワイアンセンターなんです。
 

当時からいわき市はその一大産業で動いていたから、皆家族みたいなつながりがあって、

こに、訴訟を起こしたことで市民の中にも反発があったらしいんです。 

親に楯突いたって。


でも結局、しっかり続いていた会社がちゃんと責任をとって、日本で唯一、

塵肺被害者に賠償金を払ってくれたんです。


他の地域では会社が消えてしまったから、仕方なく国を相手取って裁判して、

そしてひとつも勝てなかった。炭鉱は国策だったのにね。


凄いのは、その賠償金を生き残った人たちだけで分けようとはせず、

死んでいった仲間達の為に、モニュメントやフィルム、炭坑資料の本、

カンタータを作るためにお金を使ったことなんです。


炭坑夫たちのことを忘れられないように、って。

『チミチミ使わず、パーっと使う!』と言って。


作品は、炭坑のあった場所、今のいわき市石炭化石館に設置しているんですけど

初め、訴訟団と市側と一悶着あってね。


すでにあった慰霊碑より高いから低くしろとか、中庭にあると入場料が必要で

いつでも見られないじゃないかとか。1年ぐらい話し合っていた。


でも、もめたのも良かったみたい。

マスコミにも取り上げられて、世間に問題提起できたし。


最後には、大勢の市民コーラスが参加して、仙台フィルとでやった

常磐炭坑カンタータのコンサートは満員。

みんなで歌って聞いて、地域の歴史を共有したね、って盛り上がり、

そして除幕式に至ったんです。
(*カンタータ『魂の坑道は果てしなく』作詞 原田勇男/作曲 岡崎光治)


面白いのはね、設置した作品のところにそういう経緯は何も書いていないんです。

「炭坑のモニュメント」とかも無し。タイトル『ヤマの礎』と僕の名だけ。

彫刻作品の力だけで、仲間達への思いを永く残して下さい。そう言われたんです。


そういうものを要求されたコンペで、石炭をたくさん使った鉄で、

僕の作品が選ばれたわけです。
 

当時、いろんなコンペがあったけど、僕の場合、モニュメントは

1回も入ったことなかったの。大抵ステンレスとか石の作品でしょ。


常磐炭坑のモニュメントの作品は、最初っから鉄が窓口からシャットアウト

されてる感じじゃなくて、ひょっとしたらと、大丈夫かなという、

微かな希望はあったんだよね。鉄でもいけるかなって。

そしたら本当に鉄を選んでくれたんです。



日下
はい、本当にふさわしい作品だと思います。



青野正さん
やっぱりモニュメントは自分の想いだけでは作れないというのはあるよね。

他は、自分の好きなもの作っているんだけど。


これまで、500年後は風になるようなテーマで作ってきました。

そう、関係者に言ったら、『これは、消えてしまっては困るんだ!!』

って、喝を入れられたんです。


完成までの間にも、塵肺患者の方が何人も亡くなったりしてて、さっきも言った通り、

本当に慰霊碑だよね。 

 

それを自分が作れたというのは本当に良い経験だったし、いい勉強にもなりました。



日下
はい、素晴らしいです。本当に響くと思います。
いわき市という場所柄もありますし、

今はとても福島が大変な状況になっていますから。



青野正さん
いつか、あれは是非、見て下さい。ただ去年、震度6の地震とか来ているから、

僕もちょっと心配しているんです。

 

凄い基礎を作ってもらっているから倒れないと思うんだけど。

僕もそのうち見には行かなきゃいけないなと思っているんですが。



日下
関東から福島方面にお出かけになられるのには、
少し勇気がいるのでは

ないでしょうか。放射能とか。



青野正さん
放射能なんて全然気にならないけどね。 
だって僕、鉄をプラズマ溶断しているので、

電磁波とか散々浴びているんですよ。

そういうものが気になる人から見ると相当良くない電磁波を浴びて制作してるんです。



日下
そうですか。 

溶接はガスではなくて電気でお仕事なさっているんですね。



青野正さん
はい。ガスじゃなくて、電気。

プラズマ溶断、電気で切ってるんですよ。

昔はガスで作っていたんですけど、あれだけ大きい作品作っていると、

一日で酸素ボンベ1本使っちゃうんです。

それで毎日毎日酸素ボンベを取り替えて大変だなと思っていたら、

電気で鉄を切る道具があるっていうので、最近はそういう道具使っているんです。
その溶断は結構電磁波が出るみたいでだから凄いことやってるねって、

そういうのが怖い人は言ってます。こればっかりは職業病というのかな。

でも石彫やってる人でも、本当に塵肺になるほどまで彫ってる作家は、

今はいないんじゃないか、とかね。



日下
・・・そうかもしれないですね。
なかなかそこまで行かないということはあるかも

知れませんね。やりたくても。






アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館

雨上がりの街 シリーズより




青野正さん
だから、それぐらいになれば大したもんだと思っているんだけど。(笑)
でも、仙台って、放射能に敏感じゃない?東京より。



日下
そうですね。昨年の水素爆発があった頃の数カ月に比べれば、

穏やかにはなってきているのでしょうけれど、

段々長期化してくると気を付けようがなくなってくるというところはありますね。
それでもやはり気をつけてはいますが。



青野正さん
去年の5月に銀座で個展があったんです。

 

僕が困ったのはね、東京では計画停電があって、

アトリエも何回か電気が止まっちゃたんです。


その時、僕の仕事って

本当に電気が無いと何も出来ないんだなということがわかったんですね。


当たり前だけど、切るのも付けるのも電気でやっているから。 

電気が止まると、今からなにしようってやることがない。

去年、あれは改めて電気の有り難さが分かったな。

というか、今まで無駄に電気を使っていたかも知れないぞと。



日下
そういう状況では、ストレス溜まりましたね。



青野正さん
そうだね~。展覧会直前に何で電気が止まっちゃうんだ!

本当にストレス溜まりましたね。


被災地の人に比べれば大したことはないですけれど。電気が止ってお手上げでした。
でも、これは、自分、ちょっといけないんじゃないかもと思いました。

電気を使い過ぎてる、と。石は、手でもポチポチって彫れるじゃない。



日下

まあ、非効率ではありますが、出来ますよね。



青野正さん
金属は非効率も何も、何も出来やしないんだから。
これはいけない。

そんな感じなんですよね。



日下
制作の時のエネルギー源に話が及んでくると、

またそれも文明に関わっていて話の幅が広くなってきますね。



青野正さん
僕なんかの仕事だと、
電気が無い時には彫刻は無駄の最たるものだといって、

一番にアトリエの電気は止めますとか言われそう。生活に必要無いでしょ。


もっと重要なね、病院とかだって電気が止まりそうな時に、

彫刻家に流している電気って一番優先度が低いよね。一番最初に止められるよ。



日下
ああ~。

制作の動力としてのエネルギーの話とはちょっと違いますが、

高田洋一さんとも、社会に美術が必要なのかというお話にはなりました。
 

美術が本当にこの国で機能するものになっていかなきゃいけない

と言うお話をされています。

ここ何人かの作家さんも、何かしらそのことを意識していらっしゃいました。



青野正さん
へぇ~。

まあ去年の後は、みんな何かしら考え方に影響受けてるよね。



日下
はい。そうですね。

私自身は、これからの制作では、幅広くたくさんの方々へというよりは、

私の作品を本当に喜んで下さる方のために、という風に、的を絞った制作に

なるのではないかと思っています。
 

本当に喜んで下さる方に、本当に喜んで頂けるものを、という制作になると

考えています。



青野正さん
いや、これからの彫刻ってそうなるでしょう。
もう、ギャラリーで発表して買ってもらって、

という方法しか、今は考えつかないですよ。
 

僕の場合はね。個展のようなピンポイントで見に来てもらって、

その中で、本当に作品を気に入った人に買ってもらうという感じだよね。

物凄くマイナーだよね。地道と言うか。



日下
そうですね~。

美術とか芸術に力があるのかという問いも、インタビューをし続けて来てみたら、

やはりそういう大テーマといえる課題として見えてきているというところです。


ただ、やはり私はこういうインタビューをさせて頂いているのは、

芸術の持っている訴求力というのはだいぶ昔とは違ってきているのかとは思いますが、

そうは言っても多様な価値観、感じ方、考え方というものを、 

非言語というか造形表現というもので伝えていく価値があると思っているので、

いろんな作家さんとその方々のいろんな作品を紹介していきたいということがあります。


ひいては美術に興味を持って下さる方を増やすようなことが、

ささやかですけれども、何かお役に立つことができたらと思って、

お話を聴かせて頂いているんですね。



青野正さん
僕はね、自分で、ホームページとか持っていないので、

自分からは全く世の中に電波を発信していないんです。


だから今回、いろんな人に見て頂けるのを嬉しく思っているんです。

今は、こういう電波社会になっている訳だからね。
 

だから、本当に今回はよろしくお願いします!という感じです。



日下
はい、ありがとうございます。

私も素晴らしいお話をたくさん聴かせて頂けて嬉しいです。

また読者の方もきっと驚かれると思います、

これだけいろんなことを考えて制作されていると言うことが伝わると。

彫刻は非言語の表現とは言っても、やはり言葉を介してその背景を

明らかにすることで、より良く、深く伝わっていくということもあると思いますので。

美術に対するとっかかりの無い方に対して、とてもいい情報になると思っています。

ありがとうございました。



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青野正さんには、前回登場の高田洋一さんからのリレーでご登場頂きました。


今回、初めて青野正さんへの制作への思いをお聴かせ頂きました。

青野正さんは、「時間の表れたものを作りたい」「かたちあるものはいつか無くなる」と

仰っています。


鉄という物質さえもいつかは錆びて風化し500年後というような長い時間の後には

土に返っていくということをテーマに制作していらっしゃいます。


青野さんは、文明の発展とともに鉄が線路として、橋として、戦車として、弾丸として

使われてきたということを、ご自身の作品制作の中で追体験するかのように

作品化していらっしゃいます。


時には大いなる自然に話しかけるような大作、

またいわきの炭鉱の歴史に強く根付いた慰霊碑としてのモニュメント、

鉄を素材に鉄の文明を表現した訴求力のある作品群など、

鉄による表現の可能性をどこまでも追求して、

本当にどこまでも夢中で向き合っていらっしゃるというのがふさわしい、

素晴らしい作家さんだと感じました。


皆さんもぜひ青野正さんの作品をご覧になってみてはいかがでしょうか。



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◆青野正さんの展覧会の予定です。



  ◇展覧会名:芸術センター記念受賞作家展 青野正展

      期  間:2012年9月1日から9月20日まで
      会  場: 東京都足立区北千住   日本芸術センター
              URL⇒http://www.art-center.jp/
              
http://www.art-center.jp/compe/choukokucompe04.pdf



 ◇展覧会名:  青野正 個展
      期  間:2012年9月15日から9月30日まで
      会  場: 東京 代々木上原  Gallery YORI

               東京都渋谷区上原3ー25ー2
                 URL⇒http://g-yori.com/info





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