何回転んでも、           起き上がれば、それでいい。
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地下鉄大江戸線で若い女性が倒れていた。

2015年1月のとある土曜。

終電にはまだたっぷり時間がある、23時過ぎのことだ。



プライベートな仲間たちと一杯やって盛り上がった後、

中井から大江戸線に乗った。



ほっこりとしたいい気分。

いちいち説明しなくても以心伝心、利害の一切ない友人関係はやっぱりいい。



どれどれフェイスブックにでもあげようかとiPhoneをいじっていたら、

電車がホームに滑り込んできた。

土曜の23時は空いているなあ。

そう思ってドアが開き、目に飛び込んできたのが、
若い女性が仰向けに倒れている姿だった。



長い黒髪が顔にかかり、バッグとスマホが足元に無造作に投げ出されている。

辺りを見回した。乗客たちは知らん顔。

目の前に女性が倒れてるのに、みなガン無視を決め込んでいる。



しゃがみこんで「だいじょうぶですか」と何度か声をかけた。

呼吸をしている気配が感じられなかったので指で顔にかかった髪をはらい、

鼻先に指をかかげたがわからない。



目の前に座っている30代の男性客に、「何があったの?」と聞いた。

「10分ほど前かな、いきなり倒れちゃって・・・」



リアクションに唖然とした。こんなもん? ありえないんだけど。

なんで?



ただの飲み過ぎかもしれないけど、倒れてる姿がやばすぎる。

声をかけても動かないので、顔と肩をかるくたたきながら何回か声をかけた。

でも起きない。



目の前の男性に聞いた。「この人、息してるかな?」

えっ? という表情。



続けて声をかけた。

すると、いきなり彼女は起き上がった。



「だいじょうぶですか?」

声をかけるとよろよろと起き上がり、だいじょうぶです、と言う。

足元のバッグとスマホにも気づいてないようだったので、教えてあげると、

すみません、と弱々しい声で一言言ってバッグとスマホをもって立ち上がった。



空いてる席を指差して、「そこ空いてるから座ったら?」と。



か細い声で、でもはっきりと、ありがとうございます、と一言言って席に腰を下ろした。



次の駅のアナウンス。
電車が停止してドアが開いた。
すれ違う乗降客。

ハッとしたように立ち上がり、けれどなにごともなかったかのように、電車を降りていく彼女。



目の前に倒れている女性がいて声をかけない乗客。

なにもなかったかのように降車していく彼女。



みんな、どうしちゃったの。



酔いも一気に覚めて、ほっこりとした気分はなんの余韻もなく消えた。

彼女の降りた車内を見回すと、僕に向けられていた視線がゆっくりと下に向けられていくのが、スローモーションみたいに見えた。



人々の無関心に、背筋を冷たいものが伝った。


電車のドアが開いて、いきなり倒れてる女性のすがた。

乗客がだれも気にしていない。

それが当たり前、普通、みたいな空気。




もし、自分の大切な人が、自分の知らないところで、同じような状況でいたら・・・。




それが、人の、最低限の想像力ではないかと思った。

怖いな。。。
最近よく図書館へ行く。
オフィスのそばにあるものだから便利でたまらん(笑)


かつて日比谷図書館へ、新聞や雑誌の記事を調べに行ったりすることはあっても、書架をじっくりと見ることはほとんどなかった。


なぜそんなに図書館通いをしているのかというと、近所に何でも手に入る書店がないってのが一番の理由(徒歩15分ほどで紀伊国屋はあるけど、毎回行くのはさすがにめんどい)。



その心はというと、
新しい企画を何十本も起こして、類書を調べて、ネットで周辺の情報を洗って…というような作業をしながら、人に会い、企画の内容を詰めるという日々が続いていて、必要な資料をすべて買うのは気が引けて、図書館で資料をあさっているわけでして。


それで、
過去に自分が企画・編集した本を、ずいぶんたくさん書架で目撃し、以前ははあまり感じなかった類の感動が、湖面のさざ波みたいに僕の足元に届いたんです。



過ぎ去って、流れ去って、記憶の中にしか残っていない出来事が過半を占める人生の中で、密接に自分とかかわった「こと」や「もの」が、形として残っている、公の場所にあるっていうのは、しみじみよいものだと思った。



新刊の時の、買いたてのシャツのような爽やかさは失せて、
茶渋の残った茶碗のように古めかしくなった中古本だが、
何回も何回もページを繰った痕跡が本には残っていて、
それがまた何とも言えない気分にさせらるのだ。



図書館って、なんかやさしいな。


しかも図書館にいると、やさしい気持ちになれる。




経済効率を追い求めるのは仕事として当然だ。

だからってそれだけしか頭の中にないと、さみしい人になる。

でも売れるもの・サービスを提供できなきゃ飯は食えない。



図書館に来ると、つかの間、そういう経済の原理主義的な日常の闘争というか、空気というか、資本主義的な葛藤を忘れさせてくれる。。。。

砂粒程度でも人の気持ちの中に残る仕事。

どんな些細なことでも誰かの役に立った仕事。

そして、

ひっそりと図書館の片隅に残る仕事。



紙の本の手触り、やっぱいい。



僕は本当に本づくりが好きなのだと、改めて思った。



この世界に戻って来れて、本当によかった。
22日から新しいオフィスへ。

新たな編集者人生が幕を開けた。


もう1週間がたった。


いろんな出来事があったこの一年。


人間ってのがどういう生き物なのか。
嫌という程思い知らされた一年。


いいことも悪いことも、辛いことも嬉しいことも、
ほんのりと感じた幸福も、不可能と思われた困難の克服も、
涙に暮れた映画みたいな友情への感謝も、
怒りに震えた裏切りへの苦悩も、
あまりにも不甲斐ない自身への憎しみも、
支えてくれる身内のあたたかい愛情も、
失ったキャリアも、獲得した新たな関係性も、
脳と心のすみずみにまで染み渡ったあらゆる感情の濁流も。


すべてがこれからの自分に必要な経験だった。


あと10年たってもそう思える、
かけがえのない人々との新鮮なドラマの構築に全力をあげよう。


そんなふうに思う。


一喜一憂する日々は遠くに去った。


建設は死闘。
破壊は一瞬。


なんだかな。


深い谷も、屹立する崖も、登攀した険難の峰に比べたら他愛無い物に思えるのが不思議で仕方がない。


静かに深呼吸して、今の自分に見える景色をゆっくりと見渡していると、もっと大きな超えなきゃいけない峰が遠くにあることに気がつく。
やれやれ。


でもこれが自分の人生だなと思う。


胸の奥の、そのまた奥に灯った情熱の灯火を二度と消すことなく、
淡々と、前だけを見て進むしかない。


だらしなくて、情けなくて、いろんな人に迷惑と心配かけまくって、
それでも死ねないし、生きてくしかないし。


ランボオが、「地獄の季節」で書いた一節。
また見つかった。
何が。
永遠が。海ととけあう太陽が。


わかったなんて言えないけど、目の前に絵画みたいなその風景が見えた気がした。
なぜだろうな。
W杯ブラジル大会が開幕した。

初戦、対クロアチア戦を3-1でブラジルが快勝。

ネイマールの2ゴールで、デモ続く、王国・ブラジルの不穏な空気が晴れた、

と全国紙でも報道があった。


一方で、すでに被害に会った邦人もかなりいると報道されているけれど、

外務省の渡航情報などを調べると、

現地の治安の悪さに驚かされる。

公式サイトで、1次リーグで日本戦(下記)が行われる、現地情報をまとめた。

・レシフェ(6.14 コートジボワール戦)

・ナタル(6.19 ギリシャ戦)

・クイアバ(6.24 コロンビア戦)


そのほかにも、初戦をジャッジした西村主審、ASKA事件の最新情報など更新中です。


よろしければのぞいてみてください。


英国メディアの10日付の報道として、新華ニュースが伝えた。



元NSA(米国国家安全保障局)職員だったエドワード・スノーデン氏(ロシアに亡命)が、

「iPhoneの電源を切っても、NSAの職員がマイクを通じて盗聴することができる」

と暴露した情報が、正しかったことが証明されたという。

かなり深刻なセキュリティの問題だが、果たして本当なのか。



同通信によると、

米国ロサンゼルスのハードウェアエンジニアが、以下のように語ったという。



「ある技術を利用すれば、iPhoneをあたかも電源が切れているかのように見せかけ、

実際は省電力モードの状態にすることで、

ユーザーが知らず知らずのうちに盗聴・監視されているという状態を作り出すことができる。

iPhoneのディスプレイ表示は当然オフ表示になっておりボタンも反応しないため、

ユーザーにとってはなかなかその盗聴・監視モードに入っていることに気付かない」



この機能は、アプリをインストールする形でこの技術をiPhoneに埋め込むことができ、

インターネットまたは携帯電話で活用できるという。



どのようなアプリなのは言及がなく、まったくわからないが、

自動的に個人情報を収集するアプリが当たり前の現在、

何ができたとしても驚くような話ではないのかもしれない。



けれど、もしも普通に使うようなアプリに盗聴の機能が仕込まれていたら、

いつでもどこでも、iPhoneを持っている個人を監視することが可能となる。

オーウェルが書いた、監視社会の恐怖を描いた『1984』どころではない。



アップルのコメントもないため、確認できないが、検証が必要だ。