「図書館のやさしさ」 | 何回転んでも、           起き上がれば、それでいい。
最近よく図書館へ行く。
オフィスのそばにあるものだから便利でたまらん(笑)


かつて日比谷図書館へ、新聞や雑誌の記事を調べに行ったりすることはあっても、書架をじっくりと見ることはほとんどなかった。


なぜそんなに図書館通いをしているのかというと、近所に何でも手に入る書店がないってのが一番の理由(徒歩15分ほどで紀伊国屋はあるけど、毎回行くのはさすがにめんどい)。



その心はというと、
新しい企画を何十本も起こして、類書を調べて、ネットで周辺の情報を洗って…というような作業をしながら、人に会い、企画の内容を詰めるという日々が続いていて、必要な資料をすべて買うのは気が引けて、図書館で資料をあさっているわけでして。


それで、
過去に自分が企画・編集した本を、ずいぶんたくさん書架で目撃し、以前ははあまり感じなかった類の感動が、湖面のさざ波みたいに僕の足元に届いたんです。



過ぎ去って、流れ去って、記憶の中にしか残っていない出来事が過半を占める人生の中で、密接に自分とかかわった「こと」や「もの」が、形として残っている、公の場所にあるっていうのは、しみじみよいものだと思った。



新刊の時の、買いたてのシャツのような爽やかさは失せて、
茶渋の残った茶碗のように古めかしくなった中古本だが、
何回も何回もページを繰った痕跡が本には残っていて、
それがまた何とも言えない気分にさせらるのだ。



図書館って、なんかやさしいな。


しかも図書館にいると、やさしい気持ちになれる。




経済効率を追い求めるのは仕事として当然だ。

だからってそれだけしか頭の中にないと、さみしい人になる。

でも売れるもの・サービスを提供できなきゃ飯は食えない。



図書館に来ると、つかの間、そういう経済の原理主義的な日常の闘争というか、空気というか、資本主義的な葛藤を忘れさせてくれる。。。。

砂粒程度でも人の気持ちの中に残る仕事。

どんな些細なことでも誰かの役に立った仕事。

そして、

ひっそりと図書館の片隅に残る仕事。



紙の本の手触り、やっぱいい。



僕は本当に本づくりが好きなのだと、改めて思った。



この世界に戻って来れて、本当によかった。