それはすべてが雑音で出来ていた。
最初は小さく、耳を澄ませても聞こえていなかったものが、次第に大きくなっていく。
やがては耳をふさぎたくなるほどの爆音となり、脳をガンガンと揺さぶってくる。
眩暈と共に、瞬間的に気を失いそうになる。ふらふらとよろけり、重力に逆らう間もなくそのまま椅子へと落ちる。
ガタンッ
「――大丈夫ですか?」「お気を確かに――」
近くに、武装した男性が数人声をかける。
「レン様?」
一人が心配そうに顔を覗き込む。
「――もう一度、言ってくれ。今、なんて言った……?」
目の焦点が合わない。声はすっかりかすれ切っている。しかし、レンは自分よりも年上の青年たちにもう一度問いかけた。
「なんて、言ったんだ?」
「――……」
その様子に、青年たちは言葉を失ってしまった。自らの所属する隊長への、数秒前の報告が、声となって出てこない。
中には耐えられず、涙を流している者もいる。
「もう一度……報告してくれ……」
レンは、力なく命じた。
「……カイト隊長率いる第一級騎士団特別隊は……っ、……ヴェスリトン王国国境付近の前線にて、――全滅……インタレア軍は、ヴェスリトン王国を制圧したと――」
喉を詰まらせながら、一人が再び報告をする。
目の前が、真っ暗になった。
(カイトが――死んだ?)
頭の奥で鳴り響く雑音はいまだガンガンと鳴り続けている。
(まさか、そんな――そんなことが――)
机に肘をつき、手で顔を覆う。
完全に沈黙してしまったレンを見て、青年たちはかける声を見失ってしまった。
「レン様……」
「……しばらく、そっとしておこう。カイト様とレン様がご親友であられた事は、知っているだろう」
「……そうですね」
「本国からもまだ何も通達が来ていない。レン様が落ち着かれてから、指示を仰ごう」
「分かりました」
「……レン様、わたくし達はしばらく待機しております。何かありましたら、すぐお呼び下さい。失礼いたします」
青年達はレンに一礼をすると、部屋から出て行った。
レンは彼らを見送ることもなく、硬直したままだった。
(――……どうして……なんで……こんな――)
疑問と混乱で、頭のなかをぐるぐるといろんな感情が巡る。
そのまま、レンはしばらく動けずにいた。
第一級騎士団一番隊は、先に出立していた特別隊の援護に回るべく、ノルクトン王国を出てヴェスリトン王国へ向かっているところであった。
その途中にある小さな村に宿をとり、待機をしていた。順調にいけばあと二日ほどで特別隊と合流出来るはずだった。
特別隊は、領土拡大を目論むインタレア王国から攻撃を受けているヴェスリトン王国を守るべく派遣されていた。
近年、インタレア王国は勢力を強め、次々と各国に戦争を仕掛けては領土を広げていた。友好関係を結んでいたはずのヴェスリトン国でさえ裏切り、侵攻に及んだ。
中立国として戦争に関わらなかったノルクトン王国だが、巻き込まれるのも時間の問題だろう。ノルクトン王国と平和協定を結んでいたヴェスリトン王国が侵攻されたとなれば、動かないわけにはいかなかった。
自衛のための軍隊とはいえ、ノルクトン王国の軍事力は各国から一目置かれている。その為、各国からの応援要請があるほどだ。インタレア王国が真っ先に攻めてこない理由も、そこにあった。
(インタレア軍は、確かに勢力を強めていた。でも、カイトが――特別隊がそう簡単にやられるか……?)
少し落ち着きを取り戻したレンは、机に広げられた地図を眺めながら思案する。
(……もし、本当なら、メイコさんの事で何かあったとしか考えられない……)
ヴェスリトン王国の王族であるメイコは、カイトの婚約者である。戦争が始まってから連絡が取れなくなっていた。そのせいで、一時期カイトの様子がおかしかったのも知っていた。
しかし、ヴェスリトン王国から救援要請が来たときに、カイトはいつもの様子で、
「レン、俺は、俺の正義を貫いてくる。後は、頼んだぞ」
笑顔でそう言って、旅立っていった。
しかし、戦況は悪くなっているようで、すぐに一番隊にも出立命令がでたのだ。
「……」
レンは立ち上がり、愛用の剣がベルトにかかっているのを確認し、外套を羽織る。そのまま荷物を持つと、部屋を出た。
「……! レン様」
すくそばに控えていた兵士が、レンに声をかける。しかし、レンは振り向きもせず歩いて行く。
「お待ちください。レン様、どちらへ?」
「カイトの安否を確かめに行く。お前達はここで待機していろ」
一方的に言い放つ。
「ちょ、ちょっと待って下さい。それはなりません! 本国からはここで待機しているよう通達が来ています」
「分かってる。だからオレ一人で行く。自分の目で確かめなきゃ、信じられないんだ」
行ってどうにかなるものではない。レンにもそれは分かっていた。しかし、ここでじっとはしていられないのだ。
一人の青年が、レンの前に回り込み、行く手を阻む。
「お待ちください! お気持ちは分かりますが、今隊長が不在になると、他の兵たちも不安にさせます。それに、レン様の単独行動が本国に知れたら……」
「かまわないよ。本当にカイトがいなくなったんなら、オレがここに在籍している理由もない……そこをどけ、ヴィニー」
「落ち着いてください。特別隊の消息が絶った今、頼りになるのはレン様とこの一番隊になるのです。お辛いでしょうが、今は、ただ待つしかないのです」
レンはヴィニーを睨む。しかし彼は一歩も引かず、レンの眼光を受け止める。
しばらく睨みあいが続いたが、一人の伝令兵によってそれが破られた。
「レン様! 大変です!」
「――? どうした」
「ほ、本国より通達です。インタレア軍が、宣戦布告と同時にノルクトン王国に砲撃したと……」
「なんだって!?」
レンだけなく、その場にいた兵たちがざわつく。
「至急帰還せよとの事です」
「……分かった。ヴィニー、皆にすぐ出立するよう伝えろ。準備が出来次第、本国へ帰還する」
「かしこまりました」
ヴィニーは一礼すると、すぐに行動を開始した。他の兵たちも慌ただしく動く。
レンはすぐに部屋へと戻っていった。
頭を軽く振り、左手で額を抑える。忘れていた雑音が再び脳内を占め始める。
(本国に砲撃? いくらヴェスリトンを落としたとはいえ、早すぎる……)
事態の急変に、レンはさらに混乱を期した。
(いったいどうなってんだ? 何が起きてんだ?)
ダンッ!
未だガンガンと鳴り響く頭痛を振り払うように、机を殴った。
ピリピリと、拳からその痛みが加わる。
机に広げられた地図に目線を移す。どんなに急いでも、ノルクトンへは五日ほどかかるだろう。第一騎士団だけでなく、他の戦力も総出で対応しているだろうが、カイトの隊とレンの隊が不在の今、手薄である事は違いない。今この間にも、インタレア軍から攻撃をされて、どこまでもつのか。
(父様、母様、ミク姉……リン)
ノルクトンに残してきた養親、義従姉のミク、義姉のリンを想う。カイトの事も気になるが、よそ者の自分を本当の家族として受け入れてくれた彼らも、レンにとっては大切な人たちだ。
(どうか、無事でいてくれ……)
祈るように、心の中で呟いた。
たどり着いたそこは、本当に我が故郷だろうか。
そんな疑問が宿るほど、ノルクトン王国の街は変わり果てていた。
誰もが言葉を失い、しばらく立ち尽くしていた。しかし、ぼーっとしている暇はない。レン達一行は、すぐに救助活動へ入る。
平和と幸せに満ちていた、ノルクトンの街はどこへ行ってしまったのだろうか? あちこちに火の手が上がり、建物は崩れ、瓦礫が散乱していた。
今のところ、攻撃の手は止んでいるようだった。レンは隊員達にそれぞれ指示をし、自らは実家へと足を運ぶ。
「――なんでだ。どうしてこんなひどい事になってんだ!」
街の状況は、レンの想像を超える被害だった。ノルクトン屈指の軍事力があれば、多少の被害は出ても街中まで攻撃の手が入る事はないだろうと、思っていたのだ。
「……新兵器でも、開発されたのか……?」
インタレア軍が勢力を強めたとされる理由の一つに、新兵器開発という噂にちかい情報が入っていた。いろいろ裏で何かをやっているという話は、絶えず耳に入ってはいた。しかし、どれも確証の持てる情報ではなかった。
だがこの現状を見るに、あながちその新兵器も嘘ではないのかもしれない。
いずれにせよ、街に残ってる人たちを助けなければ。
やがて、レンは自分の家にたどり着く。しかし、
「……!」
僅かに残る火と、燻ぶる独特の焼けたにおい。屋敷だった骨組みがやや残っている程度で、かつての住まいはそこに存在してはいなかった。
「――父様! 母様! リンーーー!!」
叫ぶ。返事がない事も分かっている。
ひょっとしたら、「レン、びっくりした? みんな逃げて無事だよ」と、いつもの笑顔でリンが後ろから現れないだろうかと、淡い期待もよぎる。
それも一瞬で、霧散していくだけのレンの声が、現実を突き付けてくる。
焼け落ちて積み上げられた、瓦礫を見つめる。
みんなが生きている事を願うレンには、それを掘り起こす勇気がなかった。
手が、足が震える。
(一体何が起きてんだ……オレはどうしたらいいんだ……)
孤児院育ちのレンは、最初から何も持っていなかった。家族も友人も居場所も。カイトに出会い、リンと出会い、大切なモノたちが出来て、ようやく生きる意味を見つけて、歩き出せた。
今、それがガラガラと音を立てて壊れて行く。
孤児だったころの、心に何もなく闇しか見えない、あの孤独な感覚が蘇ってくる。
(いやだ……いやだ……いやだいやだいやだ!!!)
震える手で、それをかき消すように、自らの頭をぐしゃぐしゃとかきむしる。
指に絡む、金色の髪。貴族の血筋を示す、髪の色。
(オレは、貴族なんだ。もう平民の孤児じゃない……)
手のひらの髪の毛を見て、思う。
(そうだ。こんなところで戸惑ってる場合じゃない。街のみんなを助けよう。……もしかしたら、避難したリンも見つかるかもしれない)
レンは、グッと拳を握り、屋敷跡に背を向けた。
その時――
「……ぅぅ……」
「!?」
小さな呻き声が、確かに聞こえた。
レンは慌てて戻り、瓦礫に近寄る。
「おい! 誰かいるのか?」
「……こ、ここです……」
くぐもって、弱弱しい声が聞こえる。その方向にある瓦礫を避けるレン。
「大丈夫か? 待ってろ、今助ける!」
「……レ、レン様……?」
姿は見えないが、声で分かったのだろう。レンの名を呼ぶ。
レンは剣を使い、瓦礫を除けていく。
「ああ、そうだ。その声は、リュウトか?」
聞き覚えのある声の、その名を呼ぶレン。
リュウトは、住み込みで働いていた使用人だ。リンとレンの世話係でもあった。
瓦礫を除けて行くうちに、その姿がようやく見えた。
「リュウト! 大丈夫か?」
「……あぁ、レン様……よかった、ご無事で……」
微力な声と笑顔で、リュウトが言う。
「待ってろ。今、出してやるから」
「……自分は、大丈夫です……」
リュウトの足元にある、焼け焦げた柱を持ち上げようとするレン。
「大丈夫そうに見えないぞ。足の感覚あるか?」
「……レン様、リン様をお探し下さい……」
レンの質問には答えず、リュウトが言う。
「え? リンは無事なのか?」
思わず手を止めて、リュウトに問う。
「――分かりません……襲撃を受けた時、ご主人様と、奥様と……一緒に裏口から避難するよう……お伝えして……」
リュウトは一旦、大きく息を吸った。呼吸を整える。
レンは剣を使い、引き続き瓦礫を除け始める。早く助け出さないと、怪我の具合も分からない。
「自分は……お屋敷に残りました。リン様が安全な所へ行くまで、少しでも、時間稼ぎになるなら、と……」
「分かった。もうしゃべるな。リンは必ずオレが探しだす」
「お願いします……でも、気を付けてください……」
「分かってるって。だから……」
「違うんです」
少しずつ浅くなる呼吸で、リュウトが必死に訴える。
「……レン様……カイト様に、気を付けてください……」
「……え?」
突如出てきた親友の名に、再びレンの手が止まった。
「特別隊は全滅との事でしたが、カイト様は……御存命でいらっしゃいます……ですが、今のカイト様は……祖国を愛された、あのお優しいカイト様ではありません……」
「……な、何を言ってるんだよ? カイトが、え?」
完全に予測不可能な話で、しかも突然すぎてレンはまともに狼狽する。
「信じ硬いですよね……自分も未だに信じられません……ですが、このお屋敷を破壊したあの力と……あの眼を見て……今までのカイト様ではないと……」
その時の事を思い出しているのだろう。つらそうに目を閉じる。
「ですから……カイト様と出会ってしまう前に、リン様を……お探し下さい」
とすっと、リュウトの腹部に当てていた右手が、腕ごと脇へ落ちる。
「っ! リュウト? おい!」
慌てて声をかけるレン。近づくと、どうやら気を失っているだけらしい。細い呼吸音が聞こえてくる。
「……はあ……」
肩で大きく息をつく。安堵と、戸惑いが混ざった、大きなため息となる。
「……いったい、何が起こってるんだ……」
何度目かの、同じ疑問が頭を占める。
見上げれば、どんよりと曇った空からは、ぽつぽつと雨粒が降りてきていた。
その後、ほかの隊員達にも手伝ってもらい、リュウトは助け出され、病院へ運ばれた。
レンは救助活動をしながら、リンを探し、そしてカイトの情報も集めた。
意外にも、カイトの姿を目撃した人物は多かった。口を揃えて皆、「いつものカイト様じゃない」と言う。
なにより気になったのは『不思議な力』を使っていた、という事だ。
剣を掲げ、何かを呟いたかと思うと、突然建物が破壊され、火の手が上がったという。
「あれはまるで……そう、魔法のようだった」
「魔法? 神の力といわれる、あれか?」
とある若者の言葉に、レンが訝しげに問う。
古代の人々はかつて、神々と共に暮らしていたというのは、歴史で誰もが習っている。神々は人間とは違う力、魔法を操りその権力を示していた。しかし、その力を恐れた人間達は、やがて神々と全面戦争をすることとなり、二百年近く続いた結果、神々が敗れた。
それ以来、魔法は見なくなったという。
「そうとしか考えられないよ。手品ってレベルじゃないんだ。辺りの建物みんな一瞬にしてドーン! だぜ?」
「……それが本当だとしても、魔法は歴史上の話だし、人間には扱えない力だ。きっと、なにか仕掛けがあったんだろうな」
「仕掛けなんてする暇なかったぜ? 来ていきなりだったからな」
話を信じてもらえない事が不服なのか、やや口を尖らせて言う。
「……そうか。情報ありがとう」
笑顔でそう言うと、レンは手持ちの荷物から甘芋一個と金貨一枚を取り出し、若者に渡す。
「ああ、どういたしまして♪」
それだけで機嫌が治ったようで、若者はそれを受け取ると嬉しそうに去って行った。
それに反して、レンの表情は冴えなかった。相変わらずリンは見つからない。それどころか、リンに関してはまったく情報が入ってこない。
加えて、カイトの情報ばかりだ。しかも理解しがたい話だらけで、正直レンは参っていた。
「実はカイトは生きていて、インタレア軍に寝返って、しかも魔法のような不思議な力でノルクトンの街を破壊していってるだって……?」
まとめるとそんなところだろう。思わず首を振る。カイトが生きていたとしても、この国を攻撃するなど、あり得なさすぎる。とても信じられない。
レンはふらふらと、歩き出した。
(今日はもう戻ろう。王宮へも行かなきゃ……)
考えるのをやめ、レンは隊員達の待機場所へ足を向けた。
ドゥゥン……!
「!?」
それはレンの後方から、聞こえた。音だけでなく、悲鳴も混じっている。
すぐにその方向へ走り出す。そう遠くはなかった。
ドガガガァァンッ!
何かが砕け散る音と共に「うあああ」「逃げろぉ!」「きゃー!」とあちこちから悲鳴が上がる。
逃げてくる人々とは逆の方向へ走るレン。
ひとつ角を曲がると、あちこちに火の手が上がっている。倒れ、瓦礫に押しつぶされてる人間もいた。
「……っ」
思わずレンは顔をしかめる。
「カイト様! やめてください! ぐあぁっ!」
近くで、男性の声が響いた。レンのいるすぐ裏手のようだ。
急いでそちらへと回る。
しかし、そこには倒れ伏している男性が一人。カイトの姿はない。
「大丈夫か?」
駆けより、男性に声をかける。
「……れ、レン様……カイト様が……」
男性は前方を指さし、そのまま力尽きた。
「おい! ……くそっ……」
舌打ちをして、レンは立ち上がる。動かなくなった男性に、簡易的な祈りをささげると、彼が指さした方へ向かった。
「カイト!」
どこにいるかも分からない親友の名を呼ぶ。
「本当に、カイトが……」
ぼそっと、ひとりごちる。信じたくない気持と、カイトの生存を確かめたい気持ちとで、複雑な焦りがレンを襲う。
「カイト! いるのか!? オレだよ! レンだ!」
破壊され、あちこちが燃え盛っている街中を駆けながら叫ぶ。
[……レン、帰ってきていたのか。思ったより早かった]
「!?」
反響して、どこからか聞き覚えのある声が響く。レンは思わず足を止めた。
辺りを見渡すが、その姿は見えない。
「カイト! 本当に、カイトなのか!?」
今にも落ちてきそうな黒い空に、レンは叫んだ。
「一体、どういうことなんだよ!? 特別隊はどうしたんだ? なんで姿を見せてくれないんだ!」
[特別隊は、俺が全滅させた]
「――!?」
間をおかず即答され、レンは目を見開く。
「――な、なん、だって……?」
[全ては、メイコの為だ]
その声に感情はない。さらっと言ってのける。
一方、レンは動揺を抑えられない。
「まさか、メイコさんはインタレア軍に捕らわれているのか? それで、インタレアの言いなりになってるのか?」
[……]
レンの質問に、カイトは答えない。
「そうなら、本当の敵はインタレアじゃないか! なんで、こんなこと……」
[俺はインタレアのおかげで神の力を手に入れた。これで、全てを手に入れる事が出来る]
「神の力だって……? 何言ってんだよカイト? どうしちまったんだよ!?」
頭の中が、ぐちゃぐちゃになりそうだった。レンには正直、カイトが何を言っているのか全く理解できないでいた。
[信用していないな? ここからでも、俺はお前を攻撃できる]
カイトの言葉が途切れた、その時――
ガガガァァン!!!
「――っ!!」
レンのすぐ右の建物に、雷が落ちる!
思わず腕で顔を覆うが、爆風に吹き飛ばされ、倒れる。
瓦礫の破片が、レンの身体のあちこちに傷をつけた。
[すごいだろう? 今はわざと狙いを外した。もちろん、直接当てることもできる]
脅しともとれる発言をしてきた。レンはふらふらと立ち上がる。
「……本当に、ノルクトンの、敵になったのか……?」
グッと胸が締め付けら得るのを感じるレン。憤りよりも、悲しみが強かった。
そんな少年の気持ちなど知らず、カイトは変わらぬ口調で答える。
[この国は、他の国にとって脅威になりうる。それは即ち、俺の脅威でもある]
「だからって……ここは、カイトの故郷だろ!? なんでこんなことできるんだよ!?」
声が裏返り、それでもレンはその想いを響かせる。
「レン様ー!」
カイトの返事が来る前に、レンの後方から声がかけられる。振り向けば、一番隊の隊員数人が駆けよってきていた。騒ぎを聞きつけてきたのだろう。
[――ここまでか]
それに気づいたのか、カイトの声。
「ま、待ってくれ! まだ話は――」
[レン、次に会う時は、覚悟するんだな。それから、リン達の事は諦めろ。もうここにはいない]
「!!」
全身から、血の気が引いていくのが分かる。レンはその場に、膝を落とした。
その言葉を最後に、カイトの声はもう聞こえなくなっていた。
どうしてこんなことになってしまったのか。
きっと、それを知る者はいないのだろう。
神様くらいだろうか?
しかし、その神の力を手に入れた者がいる。
なら全てを知っているのだろうか?
噂なのか真実なのかはたまた嘘なのか。
何を信じて、何を疑えばいいのか。
元の孤児どころか、何もかもがなくなった、真っ白な状態にリセットされたような気分だった。
一体、自分はなんだったのだろうか?
何かもが分からない。分かっても、何が出来るんだろうか?
ぐるぐるとループする疑問と感情が、少年の精神を蝕んでいる。
王宮に用意されている、第一騎士団の施設内に、レンはいた。
レンは抜け殻のようになり、しばらく自室に籠り、寝込んだままだ。
その間、回復したリュウトがレンの世話をしていた。
話は、だいたいレンから聞けていた。話したくなさそうだったが、レンの様子があまりにもおかしいので、聞かずにはいられなかったのだ。
「……レン様、朝食をお持ちしました」
優しく話しかける。しかし、レンは起きてこない。
家族と、親友と、国の人々と。レンにとって全てと言える大切なモノたちがいっぺんに失われ、そのショックは相当なものだろう。
リュウトには、レンに与えられる言葉などなかった。だから、せめて傍にいてお世話をすることで、精一杯の気持ちを伝えたかったのだ。
「冷めないうちに、おあがり下さい」
小さなテーブルに、朝食が乗った盆を置く。そして、傍にあるイスに腰掛けた。
ちらっと、ベッドを見やる。レンはこちらに背を向けて布団をかぶっている。
普段は結ばれている長めの髪が、白い枕に投げ出されキラキラと光っていた。
視線をテーブルに戻す。その目が僅かに揺れる。
少しの間の後、リュウトは意を決したように口を開く。
「……レン様、昨晩、街の外を見回りしていた兵士から聞いた話なのですが……」
そこで、一瞬口ごもる。再びレンを見るが、先ほどと変わった様子はない。
現在は、インタレア軍からの攻撃はない。一番隊が戻ってきた事により、警戒しているのだろう。ノルクトン側も厳戒態勢を引いている。
その為、王宮内では様々な情報が入ってきている。リュウトも、それを耳にしたのだ。
「――カイト様の姿を、スラムで見たそうです」
レンの身体が、僅かに揺らぐ。
「この事をお伝えしようか、迷いましたが……お気を悪くされたら、申し訳ございません。自分は、カイト様を救えるのはレン様しかいないと、思っております」
伏し目がちに、リュウトはゆっくり話す。
「ですから、カイト様の情報はレン様にお伝えした方がいいかと、思いまして……」
テーブルに置かれた朝食は、まだ湯気が上っている。リュウトはそれを見つめながら、
「今はやや落ち着いていますが、いざという時は皆、レン様の力を頼りにされています。しっかりご飯を召し上がられて、ゆっくり御静養ください」
そう言って、リュウトは立ち上がった。すると、
「リュウト」
レンの声がかかる。見ると、レンは上半身だけ起こしていた。
「……ありがとう」
その表情は冴えていないが、瞳に宿る僅かな光を、リュウトは見た気がした。
リュウトは笑顔で会釈をし、レンの部屋を出て行った。
数日後。
レンはすっかり廃れてしまった街中を歩いていた。
あの日と同じ、どんよりとした天候。微かに小雨も降っている。
何度か、インタレアからの攻撃もあったが、勢力を整え始めたノルクトンはなんとかまともに応戦出来ていた。
そして、そのたびにカイトの情報も入る。どうやら、スラムに潜伏しているのは間違いがなさそうだった。
立ち止まり、腰に下がっている剣を徐に抜く。黒い雲を背景に、その白い刀身が映える。
「……」
渦巻く感情は、さまざまな絵の具を混ぜきってしまったかのように、黒く――しかし、穏やかに澄み切った綺麗な黒になる。
(この手で、カイトを――)
柄を握る拳に力が入る。
(裏切りの悪に染まった、親友を――)
はたして、出来るのだろうか?
「……全ての答えは、会えば分かる――」
ぽつりと、呟く。
そして、見えない壁を打ち壊すかのように、その剣を振り下ろした。
瞬間、雨が止む。
正面を見据えるその目は、どこか虚ろで、しかし覚悟に満ちていた。かつて宿していた、漆黒の瞳をのぞかせながら。
そして、再びゆっくりと歩き出す。
全てが始まったスラムへ、全てを終わらせに。