僅かに流れる風が、彼女の短い赤茶色の髪を揺らし、頬をくすぐる。
大きな屋敷を囲うように、広いテラス。美しく細工された白いテーブルに揃いのイス。テーブルの上には、ティーセットと彩りよい茶菓子が並んでいる。
うららかな午後。テラスで、のんびりと紅茶を飲みながら読書。
やさしく注ぎ込む陽の光が、明るい未来を示しているよう。
「なーんて呟けば、貴族のお嬢様っぽい?」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、メイコは手にしている本を閉じ、テーブルに置く。
正面には、ブロンドと呼ぶには程遠い、茶と黄が混じったサイドテールを揺らしながら、雑にお茶菓子をボリボリ言わせている少女。
「何? まーたお淑やかにしろとか言われたの? ボクに比べたら何したって充分お嬢様だと思うけどね?」
「ネルは行儀が悪すぎるのよ」
クスッと笑って、メイコもお茶菓子に手を伸ばす。
「ボクは貴族であって、貴族じゃないからいーの」
ぶすくれるネル。メイコは再び笑って、
「何それ。ネルは私の従妹なんだから、立派な貴族でしょ?」
メイコはヴェスリトン王国の王族貴族である。ネルはその従妹であったが、そんな肩書など気にせず自由奔放に暮らしている。ネルの両親はいつも手を焼いているようだった。
「表向きはそうだけどさ。なーんかめんどいじゃん、そーいうの」
そう言って、お茶菓子を二、三枚、口に放り込む。
メイコは対照的に、丁寧にお菓子を一枚ずつ口に運んでいる。
「まあ、分からないでもないけどね」
そう言って、紅茶を一口。カップに添えられた左手には、シンプルな指輪が光っている。
「……メイコさ、結局、婚約OKしたの?」
それを見て、不機嫌にネルが問う。
「ええ。言わなかったっけ?」
ネルの様子に、ややきょとんとするメイコ。
「ふーん。本当にいいの? 勝手に決められた婚約者で」
ネルの口はますます尖る。どうやら、メイコの婚約が気に食わないらしい。
「勝手じゃないわ。自分の意志よ」
カップを置き、優しい口調でメイコが続ける。
「昔、話した事なかったっけ? 私には心の半分がないって話」
「あー、生まれた時から自分のかけらを探してるんだって話か。聞いたよ」
何度も聞かされているのだろう、うんざりした表情で肘をつくネル。
「そう。彼が、そのかけらなの。会った瞬間に分かったわ」
「はあ?」
口をあんぐりさせ、ネルは間抜けな声を出す。
「彼も、私を探していたの。最初はお見合いに反対していたらしいんだけど、この国を訪問した時、私がすごく近くにいる事が分かったんですって。実際に会ったら驚いたって」
すごく楽しそうに、そして幸せそうに話すメイコ。ネルは開いた口が塞がらない。
「え……じゃあ、何。あの青頭も、心が半分ないとか言ってたってこと?」
「ええ、そうよ。って、カイトのことそんなふうに呼ばないでよ。失礼でしょ?」
小さく頬膨らませるメイコ。
ネルはため息をつき、右手で軽く頭を抱える。しかしメイコはかまわず続けた。
「私達は、身体は二つだし、別々の人間だけど、心は――精神はつながっているの。誰にも信じてもらえないけど、彼は私であり、私は彼なのよ」
「だから、婚約をOKしたってこと?」
「そうよ」
にっこり笑って、きっぱりとメイコは返事をした。
「……」
そんな彼女を見て、ネルは複雑な表情で目を逸らした。
「……ボクさ、正直、反対なんだよね。その婚約」
呟くように、ネルは言った。
「え?」
「メイコには悪いんだけど……どうも、いい奴に見えなくて、あいつ」
メイコのお見合いの時、ネルも近くにいたので、カイトとあいさつを交わしていた。実際にはそれだけだが、正直、印象は良かった。ノルクトンで評判だという事も納得できるのだが。
「どうして、そう思うの?」
「……なんていうか、よく分からないけど……嫌な予感がするんだ」
ネル自身、なんて曖昧な理由だと嫌悪するほど、直観的な何かが働いているとしか言いようがなかった。
「大丈夫よ。心配しないで。確かに彼は違う国の、ノルクトンの人で、優秀な騎士で、遠くにいて。ネルにとっての不安要素はいっぱいかもしれないけど……」
「そ、そういうことじゃなくて……上手く、説明できないよ」
メイコの言葉をさえぎったものの、結局顔を伏せてしまうネル。
「メイコが言ってる、その、他人と心が繋がっているとか……良く分からないけど、ボクは信じてるよ。それでも、やっぱりあいつとは結婚してほしくない……」
まるで駄々をこねる子供のようだと、ネルは思った。理由らしい理由も述べず、自分の感情だけで話すのが、なんだか恥ずかしく感じていた。
「『他人と心が繋がっている』とは興味深い話ですねぇ」
唐突に、聞き慣れない声がかかる。そちらを振り向けば、仕立ての良い服を纏った二人組。ダークバイオレットのロングヘアーが印象的な長身の男性と、その傍らには美しい女性。ライトピンクの長い髪がなびき、その美しさを強調している。
ネルには見覚えのない顔だったが、
「あら、カムイ様。もういらしていたんですか?」
すっと立ち上がり、メイコが話しかける。
「予定が一つキャンセルになりまして。少し早くなってしまいましたが、お邪魔でしたでしょうか?」
「いえいえ、全然」
笑顔で答えるメイコに、
「メイコ、誰だこいつら?」
ネルは怪訝に小声で、問う。
「ああ、そっか。ネルは初めてよね。紹介するわ。こちら、インタレア王国の大臣であられる、カムイ様と、奥様のルカ様よ。カムイ様、こちらは私の従妹のネルです」
「初めまして、カムイと申します。どうぞお見知りおきを」
丁寧に、会釈をするカムイ。合わせて、ルカも無言で一礼する。
しかし、ネルはそれを受けず、
「インタレア……だって?」
呟き、みるみる表情が険しくなる。
それを見たメイコはハッとした。
「ネル、だめよ。この方たちは……」
「どういうことなんだよ、メイコ! なんで、インタレアの人間がここにいる!?」
怒りの勢いに任せ、ネルは声をあらげた。
「人殺しの国の人間を、この屋敷に入れるなんて!」
「ネル!」
さすがにメイコも声を上げて、制止する。
「この方たちは、ヴェスリトンと友好関係を結ぶ為に来訪された、大切なお客様なのよ!」
「まあ、そう言われても仕方ないですね……戦火を広げている国ですから」
困惑した表情で肩を落とし、カムイが言う。
「でも、私達は兵士ではありません。インタレア出身だから人殺し、とは決め付けないで頂きたい。我が国では戦争を望まない者もいます。私達もそのうちの二人です」
おだやかな口調であるが、ネルの表情は変わらない。
「……はっ。大臣の位にいて、よく言うよ。メイコ、ボクは失礼するよ。大事なお客様には悪いけど、インタレアとは関わりたくない」
言うなり、ネルは歩き出した。
「それは残念です。先ほどのお話を、お聞かせ願いたかったのですが」
「さっきの話?」
立ち止まって、ネル。
カムイはにこやかに続けた。
「ええ、心が繋がっている……とか。私達は、そういうお話が大好きでして」
「……」
ネルは二人を睨みながら、顔をしかめた。カムイの言葉に不満と不快感が増す。
「あんた達には関係ない」
そう言い放ち、ネルはテラスから続く部屋と入り、廊下へと出て行ってしまった。
「うーん、嫌われてしまいましたね」
肩をすくめてカムイが言う。
「申し訳ありません……ネルは、戦争で恋人を亡くしているんです。それが、インタレアの兵士にやられたそうで……」
「そうでしたか……それでは仕方ありませんね」
表情を曇らせ、カムイが続ける。
「我々の国は、各国から恨みを買うような事を続けていますからね。こういうことは、よくあります。どうか、お気になさらず」
「本当に、すみません。あ、今お茶を用意させますね」
メイコはペコっと頭を下げてから、執事を呼ぶ。
「どうぞ、お構いなく。お父様もお忙しいでしょう。よければ時間まで、先ほどのお話をお聞かせ願えませんか?」
「私とカイトの事ですね。ええ、構いませんよ。応接室へ移動しますか? ここだと陽も当たってしまいますし」
メイコの言葉に、カムイとルカは顔を見合わせる。しかし、すぐにメイコへ向き直り、
「いえ、ここで結構ですよ。開放的で、素敵な場所じゃないですか」
笑顔でカムイが言う。
「ありがとうございます。では、どうぞ」
お気に入りの場所を褒められて、メイコも笑顔になり、二人を白いテーブルに備えてある同じデザインのイスに座らせた。
ちょうど、執事がお茶を載せた盆を運んでくる。
「ヴェスリトン産のお勧めの紅茶です。お茶菓子も、遠慮なく召し上がってくださいね」
そう言うと、メイコもイスに腰掛ける。執事は一礼して去って行った。
「ありがとうございます。頂きます」
カムイは素直に、紅茶を一口。
「……うん、これは美味しい」
隣で、ルカも優雅に紅茶をすすっている。どうやら二人とも気に入ったらしい。
「ふふ、良かったです。あ、それで……何からお話しましょうか」
「そうですね……メイコさんは、私達が考古学の研究をしている事はご存知ですか?」
「あら、初耳ですわ」
カップを片手に、驚きを口にするメイコ。
「そうですか。特に妻が古い歴史や文献を研究するのが好きなのです」
カムイはルカを見て言う。ルカはにっこりとほほ笑んだ。
「その中でも、人の精神論が歴史の中では出てくることもあります。その昔、人々は心のつながりだけで会話をした、という話も文献にありまして。それで、先ほどのお話が気になったのです」
「そうだったんですか。でも、さすがにカイトと会話はできませんね。それが出来たら素晴らしいと思いますけど」
ルカは懐から、小さな本を取り出した。そこに、メモをとり始める。
カムイはそれを確認し、クスッと笑う。
「すみません、研究熱心な妻で。ちょっと取材する記者みたいになってしまいますが、お気になさらず。こういう話をすると、いつもこの調子で……」
やや困り顔だが、どこか愛おしそうにカムイが言う。
「ええ、全然問題ないですよ」
メイコもクスッと笑う。それを見て、カムイは質問を続けた。
「その、カイトさんとは、いつから心が繋がっているとお感じになったのですか?」
「……実際、カイトと会うまでは、それを実感する事はありませんでした。生まれたときから、自分には心が半分ない状態で、出来そこないだということしか感じられなくて」
「心が半分ない?」
眉根を寄せるカムイ。
「ええ。物理的な意味ではなく、感覚の話ですけど。でも、この世界のどこかに、私の半分がいるのを感じていました。繋がりを感じるというよりは、その存在を感じていたのです。実際にカイトと会う事で、その全てを共有できたんです。足りないものが満たされていくのを、すごく感じました」
優しく語るメイコの言葉を、ルカは無言でメモに記している。
「遠くにいながら相手の存在を感じ、心の繋がりを今は感じているわけですね」
「そうです。こんな話、信じられないでしょうけど……」
メイコは少し寂しそうに、目を伏せる。
「そんな事ありませんよ。研究者としては大いに興味のあるお話です。先ほど、会話は出来ないとおっしゃっていましたが、どこまで相手の〝今〟を分かる事が出来ますか?」
「今、ですか?」
きょとんと、メイコ。そして再び目を閉じる。
その様子を、二人は黙って見つめていた。
「……うーん。元気なのか、病気してるのか、嬉しいのか、悲しいのか、ご飯を食べているのか、剣技を磨いているのか、正直良く分かりません」
目を開けて、困惑気味に話す。
「ただ、遠くに暖かい光を感じるだけです。あ、でもハッキリ分かる事もありますよ。時々ですけどね」
「なるほど。ハッキリ分かる時とは、いったいどういう時に分かりますか?」
「どういう時なんでしょうか……何かを、強く相手に伝えたい気持ちが発生した時、とかだと思います。あまり意識したことがないので、よく分かりませんけど……」
少し恥ずかしそうに言うと、紅茶を一口含む。
そこで、ルカはペンを止めた。何かを思案するように、ペンの端を口元に当てる。
カムイはそれを見て、ルカの手元のメモを覗き込む。そして二人は顔を見合わせると、カムイが小さくうなずく。
「貴重なお話を、ありがとうございました」
カムイはメイコに向き直り、礼を言った。
「いえ、こんなお話で良かったのでしょうか」
「ええ、とても参考になるお話でしたよ。よければ今後も、お時間ある時に我々の研究に協力しては頂けませんか? インタレアの観光ついででも構いませんので」
にこやかにカムイが言う。ルカも同じようにうなずいた。
「まあ、私なんかでお力になれるのであれば、ぜひ協力させてください」
喜んで引き受けるメイコ。すると、後ろから執事が近づいてくる。
「お話中、失礼いたします。旦那様がお戻りになられました」
「分かりました。カムイ様、お父様が戻られたそうです」
「そうですか。では行くとしましょう」
カムイの言葉に、ルカが小さくうなずく。メモを懐にしまうと、二人は立ち上がった。
「私も、お部屋までご一緒しますわ」
メイコも立ち上がり、二人と一緒にテラスを後にする。
楽しそうに話しながら応接の間へと向かう三人の姿を、ネルが遠くから見つめていた。
憎しみが混じった複雑な表情で、三人の背中を見る。
やがて階段へと消えて行くその姿を見送った後、ネルは誰にも声をかけることなく、その場から去って行った。