Lost Destination 「2.黒髪の少年」 | 水穂の小説置き場とひとりごと

水穂の小説置き場とひとりごと

ファンタジー小説を執筆中……のはずw

 暗い闇の中に、何かの存在をずっと感じている。それは物心ついたころからで、それがいったい何なのか未だに分からない。あまり気にしないようにしていたが、最近になってそれが何かを知らなければいけない気がしてきた。
――いや、知る時が来たのかもしれない。
このまま、暗闇にまぎれて見えない存在を追いかけていって、そして――
「おいっ! 聞いてんのかよ!」
「……!」
 つんざく怒声に、意識が現実へ引き戻される。
(あれ、オレ……)
 ぼやける視界に、数人の足と土。口の中から広がってくる血と泥の香り。身体中のあちこちから鈍痛を感じる。
(ああ……そうだった)
 黒髪の少年は、地面に倒れ伏していた。それを同年代の少年達数人が取り囲んでいる。それぞれの手には木の棒が握られていた。
「死んだふりしてんじゃねぇよ。親なしのゴミがっ!」
 取り囲んでいるうちの一人が言うなり、黒髪の少年の腹を蹴りとばす。
「ぐぅっ……」
 感じる痛みはまともに呻き声になって現れる。
 この痛みは、何度経験しても慣れるものではない。日常茶飯事に行われる、孤児いじめ。大人たちは見て見ぬふりだ。
(一瞬だけ、気を失ってたのか……)
 学校が終わると、いつものように呼び出され、数人から木の棒で滅多打ちにされる。
 ――なぜ親なしと一緒の学校なんだ――
 ――ゴキブリのような頭しやがって気持ち悪ぃ――
 ――お前みたいな汚いやつは学校くるんじゃねぇよ――
 浴びせらる罵声は様々だったが、要はうっぷん晴らしである。
 ノルクトン王国にあるスラム街。栄えた王国には必ずその吐き溜まりがあるものだ。
 貴族階級や、中堅階級でない限り、一般の民は貧しい暮らしを強いられていた。そんな平民の子供達は、貴族階級を恨めしむストレスを、身寄りのない孤児という一番弱い立場の者にぶつけることで、優越感を得ているのだ。
 蹴り飛ばした少年が、黒髪の少年の胸ぐらをつかみ、その半身を起こす。
「うぅ……」
 力なく呻き、されるがままだ。
「ほんと、気持ち悪い頭だぜ……」
 その漆黒の目をまじまじと覗きこみ、悪態をつく。
 少年の黒髪と目は、この国では珍しかった。より目立つ為、いじめの標的にされていた。貴族階級には、艶のあるさまざまな髪色の者が多いが、平民はグレーの髪の者が多い。色の濃度はさまざまだが、黒髪の少年を取り囲んでいる子供たちも皆、グレー系の髪と瞳だ。
「今日も『お付き合い税』を頂くぜ、レン」
 言うなり、黒髪の少年――レンのすっかり汚れきったズボンポケットに手を入れる。
 殴る蹴るをするのも、お付き合いしてやっているという名目をつけて、毎度レンの所持金を奪っていくのだ。
「……」
「っち、10Gぽっちかよ。ま、いいか」
 言うなりレンから手を離す。レンは再び倒れた。
 レンのポケットには、コイン一枚。ジュース一本買える程度である。いつも取られる事は分かっているが、まったく持っていないと、暴力がエスカレートするので、少し持ち歩くようにしていた。
(やっと、今日は終わりか……)
 そう思った時――
「君たち、そこで何をしてるんだ!」
「!?」
 やや離れた所から、若い男性の声。少年たちは反射的にそちらへ振り向いた。
 レンも微力ながら、そちらへ顔を向ける。
 この場に似つかわしくない、仕立ての良いローブを纏った青年が一人。ロイヤルブルーの髪と瞳が、平民でないことを示している。
「んだてめぇ?」
 貴族と見るや否や、レンを蹴飛ばした少年は、その青年を鋭く睨みつける。
 他の少年たちも同様だ。
「……いじめ、か」
 倒れこむレンの姿を見て、青年はぽつりとつぶやく。
「だからなんだよ? 貴族様が平民のいざこざに首突っ込んでくんじゃねー」
「そうだそうだ! 帰れ!」
「金でも恵んでくれんのかよ!?」
 青年に対し、口々に思い思いの悪態をぶつける少年達。
 しかし、彼は構わず近づいて行った。
「話には聞いていたが……本当に、これがスラムの現状なんだな……」
 悲しみとも、怒りともつかない表情で、青年は呟く。
「来るんじゃねぇ! 来たら……」
 少年達は、木の棒を構えた。
「お前もレンと同じ目にあわせてやる!」
「へぇ。それは面白い」
 その言葉とは裏腹に、無感情で青年が応える。そして彼らの言葉を無視し、近づいて行く。その足は明らかにレンへ向けられていた。
「来るなって言ってんだろっ!」
 それが合図かのように、少年達は青年に向かって木の棒を振りかざした。
「……」
 青年はその攻撃を軽々かわす。
「うおお!」
 奇声をあげながら、少年達は次々と襲いかかる。
 それをいとも簡単にかわし続け、少年達を翻弄する。
「くっそぉ!」
 青年の真後ろから、一人が木の棒を振りかぶった。
「しねぇ!」
 バシィッ!
 素早く身体をひねり、青年は振り下ろされた棒を片手で受け止めた。
「な……」
 少年が戸惑っている間に、青年は木の棒を奪い、ひじ打ちで突き飛ばす。
「っ!」
「てめぇ!」
 一人仲間がやられ、さらにヒートアップする少年達。しかし、どの攻撃もテンポよく受け流される。
「……うーん、キリがないな。仕方ない……」
 なかなか諦めない少年達に、青年はやや困った表情で呟くと、
「うっ!」
「いてっ!」
「ぐあっ」
 肩や腕、足などに一発ずつ打ち込む。
「みんな! さがれ!」
 レンを蹴り飛ばしていた少年――どうやらリーダー格らしい彼が声をかけると、少年達は青年から離れた。
「貴族が平民にこんなことして、ただで済むと思うなよ! いつまでも貴族のいいなりじゃねぇぞ!」
 青年に捨て台詞を吐く。
「行くぞ」
 仲間たちに声をかけ、少年達はレンを置いてその場から去っていった。
 青年はそれを見送った後、自らの手に握られた木の棒を見つめる。レンのであろう赤い血しぶきが僅かについていた。青年の表情は痛々しく悲しみに染まっていた。
 倒れているレンに視線を移し、近づく。
「……大丈夫か?」
 しゃがみ込み、声をかける。
「……ぅ……」
 レンはなんとか顔上げるが、まともに返事が出来ない。
「無理はしない方がいい。すぐ医者の所へ連れて行くからな」
 青年はそう言うと、持っていた木の棒を捨て、レンの身体を抱き上げた。
「うっ……!」
 体中から、痛みがレンを襲う。
「少し痛むかもしれないが、我慢しててくれ」
 顔をゆがめるレンに、申し訳なさそうに言う青年。
「……」
 レンは青年に身をゆだね、そのまま眠るように気を失った。
 
 響く声は誰のものか。
 その透き通る歌声は温かく、そして懐かしい。
 ――懐かしい? 聞き覚えのない声が?
 だが、確かにそこに感じる。それは、自らが求めているモノ――
「……tiras~」
「……?」
 レンは、ゆっくりと目を開けた。
 ゆがむ視界は、徐々に焦点を定めていく。
 僅かなひびが入った、古ぼけた天井。それが見える頃には、身体の気だるさで意識もぼんやりと戻る。
(ここは……?)
 目線だけを動かし、辺りを見る。傍らに見知らぬ青年がいた。
(――いや、知ってる……あいつらを、追っ払った――)
 レンは青年の横顔を見つめる。彼はベットの傍にある簡易的なイスに腰掛け、窓の外を眺めながら、鼻歌を歌っていた。
 しかし、すぐにレンの視線に気づき、
「あ、気がついた?」
 微笑んで、声をかける。
「気分はどうだい? だいぶ打撲が酷いようだから、あまり良くないか……」
「……」
 気遣う青年に、黙って見つめるレン。
「あー、自己紹介がまだだったね。俺はカイト。君は、レン君だよね」
 カイトの問いに、レンは複雑な表情でうなずいた。
「この病院に来る途中、君の孤児院に勤めているハクさんに会ったんだ。それで、君の事をちょっと聞いてね」
「ハク姉……だって!?」
 表情を一変させ、レンは身体を起こす。
 ハクは、レンを一番気にかけてくれている、孤児院の先生だ。
いじめられているのはいつもの事で、ハクの前では毎回平気なふりをしてきていた。しかし、病院に来たとなると只事ではなくなる。
「こらこら、まだ安静にしてないと……」
「……ってー」
 慌てて起きたせいもあり、ギシギシと身体が痛む。だが、レンは心配するカイトの言葉を無視し、無理やり上半身を起こした。
「ハクさんは、今病院の先生と話をしている。もうじき来ると思うよ」
 困惑気味に、カイトが言う。
「……あんた、貴族だろ?」
 痛みに顔をゆがめつつ、レンは口を開いた。
「なんで……なんで……」
 頭の中が疑問と混乱でいっぱいになり、それ以上言葉が出てこない。
「んー、そうだね。順番に説明しようか」
 イスに座りなおし、カイトはレンを真正面に見る。
「俺は今、王国の命令でスラム街の視察に来ているんだ。俺だけじゃなく、他の貴族階級の若い奴らも何人か来てる。格差社会を無くす一環だそうだ。実際に現状を目の当たりにさせて、この問題の認識度を上げる為だろう」
 淡々と語るカイト。レンは静かに聞いていた。
「まあ、なんで今そんなことをするのかというと……君も知ってるだろうが、隣国では領土争いが続いている。この国も、いつその戦火に巻き込まれるか分からない。そこで各国との交友を深める為、外交に力を入れたいらしい」
 中立国であるノルクトン王国は、隣国の戦争にはノータッチだ。レンも、学校でその事は習っていたので知っていた。
しかし、僅かに火の粉が飛んでくることもある為、自衛にはしっかり力を入れている。その為、ノルクトン王国には軍事力があった。それを利用しようとする国もあり、なおさら巻き込まれやすくもあるのだ。
「だから、今のうちにこの国の弱点を減らして、少しでも有利に動けるように、という事みたいだ。……ちょっと、難しい話だったかな?」
「……つまり、貴族の人たちは、俺たちを助けようとしてるのか?」
 少し眉根を寄せるレンに、カイトはやや困った顔で、
「うーん、出来るかどうかは別として、まあその努力をしようとしているのは確かだよ」
 その言葉を聞き、レンは、
「……そっか。よかった……」
 どこか不安が残っていた表情が少し和らぎ、小さく口元も緩んだ。
「正直オレ、スラムの人間はみんな、この国から追い出されるんじゃないかって、思ってたんだ。でも……よかった」
 まだ幼いその顔に、優しさと温かさが宿る。
「……ハクさんの言うとおり、君は優しい子だね」
 レンの新しい表情を見て、カイトが微笑んで言う。
「孤児院の子達を、いじめっ子達から守る為に、わざと標的になっていたんだって?」
「え……どうして……」
 レンは驚き、カイトを見る。
「ハクさんが言ってたんだ。レンは優しいから、きっとそうだって。自分に冷たくするのも、ずっと一人でいるのも、みんなを守る為だろうって」
「――……」
 全くの図星に、レンは顔が熱くなっていくのを感じた。
「ハクさんは全部お見通しだったんだな。だからこそ、余計心配したんだろう」
 カイトは、レンの反応を楽しそうに見つめて言った。しかし、
「でもレン君。今のままじゃ、みんなを守りきれないし、俺達が動いたことろで、現状は変わっていかないよ」
 すぐに真剣な表情で言う。
「……どういうこと?」
 怪訝な様子で、レン。
「俺は国の騎士団へ入る為に、日々訓練をしている。しかし、ただ強くなるだけでは騎士にはなれない。自分の大切なものを守ってこそ、真の騎士だ。だけど、自分の身は自分で守らないとな。自分を守れず他人を守れると思うかい?」
 カイトの問いかけに、レンはゆっくり首を振った。
「そういうことだ。いつもいじめに合って、怪我をしているだけでは、何も変わらない」
「……」
 分かっていただけに、レンは暗い表情でうつむいた。
「でも……どうしようもないよ。オレには、黙って耐える事しかできない……」
「そんなことないさ。努力すればレン君だって、強くなれるよ」
 優しさの中に含まれる、どこか確信めいたその言葉に、レンは顔を上げてカイトの目を見た。
 美しいロイヤルブルーの瞳。深い海の底に誘われるような、魅力的な光が宿っている。
 頭の中に、カイトが少年達を追い払った映像が浮かぶ。
「……のが、分かるから……」
「ん?」
 思わずつぶやいた声は小さすぎたようで、カイトが聞き返してくる。
 レンは一度目をつむり、息を吐く。そして再びカイトの目を見て言う。
「……オレは、痛いのが分かるから……強くなれたとしても、人を傷つける事はできないよ……」
 自分の両手に視線を移し、続ける。
「素手だろうと、武器を使おうと、この痛みを相手に与えるなんて、オレには……」
 目を閉じて、レン。毎日繰り広げられるいじめの痛みが、その想いとともに蘇る。
「……なるほど。でも、それならなおさら強くならないといけないな」
 希望を見出したような明るさで、カイトが言う。レンは疑問の瞳で彼を見る。
「その痛みを知らない人間が、平気で人を傷つける。しかし、痛みを知っている人間は、その痛みを上手く使う事が出来る。だからこそ、レン君みたいな子は強くなって、その力を正しい方向で使うべきなんだ。もちろん、人を傷つけない事に越したことはないが、現状はそうも言っていられない。そうだろう?」
 問われ、レンは思わず目を逸らした。そして、再び先ほどの映像を思い出す。
 荒々しく襲いかかる少年たちを、踊るかのごとく華麗にかわして翻弄し、最低限の攻撃だけで追い払ったその姿は、男のレンからみてもカッコイイと思えるものだった。
「……オレも、貴族になりたい」
 呟いて、カイトを見る。
「オレも、あんたみたいな貴族になりたい。そしたら、あいつらにいじめられることもなくなるし、みんなの為に強くなることだって出来るだろうし」
 それがかなわない事くらい、レンにも分かっていた。しかし、その願いを言わずにはいられなかった。
 そんなレンを見て、カイトは何かを言おうと口を開いた時――
「レン! 大丈夫ですか?」
 カチャっと扉が開き、一人の女性が入ってきた。レンを見るなり、泣きそうな顔で声をかけてくる。
「ハク姉……」
 レンは気まずそうにハクを見る。
 平民特有のグレーの髪。しかしその艶やかさと、時折見え隠れする輝く銀髪が、平民のそれとは若干異なっていた。
 ハクはレンの傍までくると、その顔を覗き込む。
「もう、本当に心配したんですよ」
「ご、ごめんなさい……」
 反射的に謝るレン。
「ちゃんと、カイトくんにお礼言いましたか?」
「……カイト、くん?」
「あ……」
 ハクが貴族に対して慣れ慣れしく〝くん〟呼びする事は珍しかった。彼女は特にそういった礼儀には厳しいからなおさらだ。
訝しげに問うレンにハクは明らかに困惑した。
「い、いいから、まずちゃんとお礼言ってください。ここまでレンを運んで下さったんだから」
「……ありがとうございます……」
 腑に落ちないながらも、言われたとおりにするレン。
「いや、いいんだよ。ハクさんも、そんな気を使わないで」
 クスッと笑い、カイトが言う。
「でも……」
「いいから。余所余所しいのは好きじゃない。知ってるだろう?」
「……」
 親しげに話すカイトの言葉に、ハクは諦めにも似た顔で、しかし納得してうなずく。
「……ハク姉、この人と知り合いなの?」
 そんな二人のやり取りを見て、レンは問いかけた。
「ああ、ハクさんとは幼馴染なんだ。学校とお稽古事が一緒でね」
 カイトが素直に答える。
 ハクが貴族出身であることは、孤児院の誰もが知っている。髪を灰色にして平民になりきっているが、元は美しいライトグリーンの髪だったのを、過去の写真を見た事があるレンは知っていた。
「なるほどね。だから〝くん〟ってか」
「こら、口が悪いですよ」
 むっとして、ハクが言う。
「あ、そうだ。ハク姉なら知ってるんじゃない?」
「何がですか?」
 ひらめき、目を輝かせてレンが聞く。
「さっき、この人と……」
「カイトさん、ね」
「……」
 話の腰を折られ、思わずハクを睨んだ。しかし、先に進める為に素直に従う。
「――カイトさんと、話して思ったんだけど。やっぱり、オレ貴族になりたい。貴族から平民になったハクさんなら、その方法が分かるだろ? 教えてくれよ」
「……――」
 息を吸って、驚きと動揺が入り混じるハク。一瞬その目が揺れ動き、そしてレンから視線が外れる。
「……」
 カイトも複雑な表情で、レンを見つめている。
「……なんだよ。また、『貴族の方が大変ですよ』ってか?」
 睨むようにハクを見つめて言う。
レンは以前にも、ハクへ貴族になりたいと言った事があった。しかし、貴族でいるのは大変で、平民でいるほうが幸せになれると言われ、取り合ってくれなかったのだ。
少年の視線を感じ、ハクは慌てて
「だってわたしは、貴族でいることが辛くて平民になったんです……。その辛さを知っているからこそ、レンにはここで幸せになってもらいたいんです」
 先ほどまでの、どこか怯えていたようなハクではなく、その想いが宿った必死さは、自然とその声を大きくさせていた。
 だがそれがきっかけになり、レンの抱えていたモノが爆発する。
「これのどこが幸せなんだよ!? 今までずっと平気なフリしてきたけど、結局ハク姉にもバレてて、毎日毎日あいつらに殴られて……オレ……なんで……」
(――なんで生きているんだ――)
 出かかった言葉を、飲み込む。
 正確には、ほほを伝う大粒の涙が、その言葉を塞いだと言った方がいいだろう。
 カッコつけて、みんなを守っているような気になって、そうやって自分が生きている意味を見出していたつもりだった。それが、今日になって、全部壊れたのだ。
「……っ!」
 悔しさと、恥ずかしさとが入り混じり、レンは力いっぱいこぶしを握りしめた。それでも涙は流れていく。
「レン……」
 ハクは何も言えなくなり、しゅんっとする。
「レン君、落ち着いて聞いてくれないか?」
 それまで黙っていたカイトが口を開く。
「……確かに、レン君がここで生きていくのは辛いかもしれない。でも、貴族になったからといって、必ず幸せになれるとも限らない」
 ゆっくりと、静かに言葉を紡ぐ。
「ここにいて努力することと、そう大差ないかもしれないんだ。いや、もしかしたら貴族になった方が辛い可能性もある。結局、自分の出身地というのは偽れない。その点では、経験者であるハクさんが一番よく知っていると思う」
 そう言って、カイトはハクを見た。ハクは相変わらずしゅんとしたままだ。
「だから、ハクさんは君が貴族になる事を反対するんだと思うよ。俺としては、ここにいるレン君と友達になって、ハクさんと共にこの国を支えていけたらと思っているんだが……どうかな?」
 レンに視線を戻し、優しく問いかけるカイト。
 いまだその目に涙を携えながら、レンはしばらく黙っていた。
 痛みの残る右腕で目をこすり、
「……オレも、カイトさんと友達になりたい……」
 やや震える声で言う。
「なら――」
「でも」
 ぱっと明るくなったカイトの言葉をさえぎり、レンが続ける。
「貴族として、だ。ハク姉が、格差社会の壁を壊して平民になるのなら、オレはその逆から壁を壊してやる。こんなところで、ずっと出口の見えない迷路にさ迷い続けるくらいなら、直進できる茨の街道を走りぬける方がましだ!」
 カイトの目をまっすぐ見据え、言い放つ。
 黒髪と黒眼のせいで、肉体的にも精神的にも苦痛にさらされてきたのだ。その一つが排除されるのであれば、レンはいくらでも受け耐える覚悟はできていた。
「カイトさんみたいになりたいんだ。その為なら、どんなことにも耐えるし、努力する。礼儀作法だって、ちゃんとする。だから、お願いだよ……」
 懇願するレン。カイトはゆっくりと目を閉じた。
「カイトだ」
「……え?」
 その唐突さに、間の抜けた声が出る。
 クスッと笑い、カイトは目を開けた。そこには柔和な笑顔があった。
「俺と友達になるんだろ? さん付けは不要だ。俺も、レンって呼んでいいかい?」
「もちろん!」
 希望に満ちた表情で、レンはうなずいた。
「じゃあ……」
「ああ、今すぐって言うわけにはいかないが、レンが貴族になれるよう、なんとかしてみるよ」
「ちょ、ちょっとカイトくん!」
 おろおろしながら、ハクが異を唱える。
「わ、わたしは反対です。レンが貴族になるなんて、無理ですよ……」
「そうかな? やってみないと分からないじゃないか。それに、貴族だから平民だからと言っているうちは、いつまでたっても格差はなくならないと思うんだ」
「~~……」
「ハク姉。お願いだよ」
 二人に言われ、ハクはしばらく困惑していたが、
「~~はあ……分かりました……」
 半ば気圧された形で、諦めのため息をついた。
「やったあ~いたたたっ」
「おいおい……」
 勢いよく両腕をあげて喜んだ瞬間、レンは激痛に襲われ布団にうずくまる。
 やれやれ、とカイトは苦笑してレンに布団をかける。
「まずは、しっかり休んで身体を治せ。ここでの生活はまだ続くんだからな」
「……分かった。オレ、頑張るよ」
 ニカっと笑って言うレン。
「ああ。じゃあ、俺はそろそろ行くよ。ハクさんとも、少し話をしなきゃな」
「そうですね」
 そう言って、カイトは立ち上がった。
「カイト!」
 扉を開けようとしたカイトの背に、レンは声をかける。
「ありがとう。本当に」
 カイトは振り向き、微笑んで、うなずいた。
 そして、ハクと共に病室を後にする。
(カイト、ありがとう。オレ、絶対に負けない)
 レンはしばらく扉を見つめ、感謝の言葉を紡ぎ続けた。
 僅かに開いた窓から、夕日の明かりと風が入ってくる。
 レンの肩まで伸びた黒髪がゆるやかに揺れる。少年の頭を優しくなでるような、そんな錯覚を感じる柔らかさだった。
 沈みゆく夕日を見つめていたレンは、やがてゆっくりと眠りについた。
 希望に満ちた少年の眠りは、痛みを忘れ、今までにないほど心地よく安らかなものだった。



Lost of Destination 「3.崩れゆく者たち」