コラム:哀しみと姿勢


哀しんでいる人は一見してそれとわかります。わざわざ伝えてもらわなくても、大抵、その態度や姿勢から、その悲しみを自然に汲み取ってしまいます。

哀しんでいる人は、目の輝きが失せ、視線は下がりぎみになり、焦点が微妙に揺らぎます。 前屈みの姿勢から背中は丸くなり、肩が前に突っ込んできて腕が前に垂れてきます。(→目線が下がると…)(→【肩すぼめ】)

こんな風に、わざわざ言葉で表現しなくても、私達はこのことをよく知ってます。意識せずともなんとなく知っていて、悲しんでいる人を見ると、自然に悲しみを探りあててしまいます。


この無意識になされる課程を振り返ってよくよく自己内観察をすると、その奥に、自分自身の体験が横たわっているのに気付きます。

子供の頃、お母さんとはぐれて不安や哀しみで泣きじゃくって時
親しかった友達と会えなくなってしまった時
・・・・・等


この時のことを、もっと思い出すと、
自分の胸が重たい固まりでギューと押し潰されたような感じを受け、息ぐるしかったのが思い出されます。胸の真ん中に何か別のモノが居て頭や手足を引き釣り込んでいくかのようです。

こういった体験が「哀しみの姿勢」を読み取る能力の背後に潜んでいます。マンガの絵や役者の演技は、この能力を逆手にとって効果を発揮しています。(あまりにステレオタイプ化してしまい逆に白けてしまうものもありますが・・・)


さて、この哀しみの姿勢を普段から絶えずとっている人がいます。
顔は笑顔だったり、澄まし顔だったりするのですが、前屈みで背中を丸くして肩をすぼめています。視線が下がり気味でどことなく目が虚ろです。
話をしてみると、
特に哀しいとか感じているわけではなく、日々の細々とした雑事に追われてたりするだけだったりします。
そういった人達を何かの機会で、その丸くなった背中や肩を弛めさせてもらうことがタマにあります。理由は様々です。肩コリだの胃が痛いだのです。
すると、中に、肩や背中が弛みだすと、泣き出す方が時々おられます。
後で尋ねてみると、突然、昔の哀しかった記憶が蘇ってきて涙が勝手に溢れてきたのだ
と言う方がほとんどです。
哀しかった内実や弛める方法は違っていても、

肩や背中を弛める

胸が開く
胸が弛む

昔の記憶を思い出す
涙が溢れてくる


という課程は同じみたいです。

私はこれを
【「からだ」の記憶】
と読んでいます。

どこまで一般論として拡がりを持つのか私には、量りかねますが、かなり多くの人の肩や胸・背中に「哀しみの記憶」がためこまれているのではと、私は想像しています。

電車やバスの中で隣合わせた人に「哀しみの姿勢」を見つけるたびに、私は「からだ」の中に潜む、哀しみや不安が見えるような気がしてくるのです。


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