三國屋物語 第47話
「強いのか弱いのか良くわからぬ。だが、おまえに良いのだといわれると、そんな気になってくる。武士の意地など犬もひっかけぬ些細(ささい)な事だと。本当に大切なものは別にあるのだと思えてくる。おまえの言葉は父や武術の師の言葉よりも力強い」
ゆったりと身をゆだねる。人の温もりに安らぎをおぼえるのは何年ぶりだろう。
この広い屋敷にいて根無し草のごとく自分の居場所を探してきた。自分はいったい何がしたいのか。何をしなければならないのか。今の境遇に不満があるわけではない。呉服屋の仕事は嫌いではなかった。だが何かがたりない。仕事に明け暮れる毎日は迸(ほとばし)るような悦楽(えつらく)とは無縁だ。瞬は三國屋の跡取りであるまえに、若さを持てあます二十歳の男だった。
生きているという証(あかし)がほしい……。
手に汗握る興奮に身を投じたい。胸躍る感動に浸りたい。身を焦がすような恋がしたい。
与えられるだけの人生に従順であるには瞬はまだ若すぎた。これまでも、これからも、周囲は瞬を三國屋としてしか見てくれないだろう。だが、この篠塚はちがう。瞬をひとりの人間として見てくれる。篠塚ならば無味乾燥な日常から瞬を解き放ってくれる。しっかりとした心の居場所を与えてくれる。そんな気がした。
篠塚が静かにいった。
「どうして土方は松吉を斬らなかったのだろうな」
「松吉を……?」
「相手は新選組だ。あの場で斬り伏せられたとしても不思議はない。刃向かったにしては傷が軽すぎるとおもわないか」
「いわれてみれば、確かに……」
「最初から死人をだす気はなかった。そう考えると腑に落ちる。隊命とはいえ痴情(ちじょう)の果ての乱行。その尻ぬぐいにかりだされ土方としても不本意であったのかも知れぬ」
「尻ぬぐい……。もしや、いたのでございますか。人相書(にんそうがき)の男が」
「おそらく、局長の新見錦(にいみ にしき)」
やはり……。
篠塚の胸が離れていき肌寒さをおぼえた。くしゃみをひとつして羽織を肩にかける。瞬は袖をとおしながらいった。
「それにしても驚きました」
「なにが」
「昨夜の、お役人のご登場。まさに神業(かみわざ)のごとき迅速(じんそく)さでございました」
「俺が呼んだ」
「は?」
「ここに向かう途中、流しの籠(かご)かきに金をにぎらせ奉行所(ぶぎょうしょ)に走らせた」
「どうりで、はやかったはずでございます」
「ああ。……無事でよかった」
篠塚がじみじみといった。
優しい眼……。
一見、強面(こわもて)にみえる篠塚だが、双眸は心を包みこむような温色をたたえている。出会った日もそうだった。この男がいれば大丈夫だ。そう思わせる何かが篠塚にはあった。
「いつまで京にご滞在なのですか」
「決めておらぬ」
「……さようでございますか」
「用心棒の後釜(あとがま)の心配か」
「用心棒はもう雇いません」
「なぜだ」
「嫌なのでございます」
「嫌?」
胸がしめつけられる。この切なさはなんだ。
瞬は篠塚の腕にしがみつくと、
「篠塚さんしか嫌なのでございます」
と、駄々をこねるように声をあげた。
「おかしなやつだ」
嫌だ……。
篠塚がいない日常など、ありえない。
瞬は生まれてはじめて他者への強い執着をおぼえた。
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