三國屋物語 第9話
その夜、瞬は父の誠衛門の部屋に顔をだした。誠衛門はまだ機嫌がなおっていなかったが、瞬が「大切なお話でございます」といって襖をしめると、興味深げに身をのりだしてきた。
「じつは篠塚さまの事でございますが」
「ああ。お前を助けてくれた浪人のことかい。どうせ、お前を三國屋のせがれと知って恩を売りたかったんだろうよ」
やはり篠塚に対する誠衛門の印象はよくない。三國屋の贔屓(ひいき)筋は金持ちがおおく誠衛門の目利きは確かだ。篠塚のあの身なりでは仕方がないともいえた。
「ここだけの話、篠塚さまは水戸藩の密命を帯びてございます」
誠衛門が顔色をかえ「密名を」とつぶやく。二人はすばやく周囲に視線をめぐらせた。
「それはどんな」
「それは……わかりません。なにせ密命ですから」
誠衛門が腕組みして何度もうなずく。瞬はここぞとばかりに膝をすすめた。
「ここで篠塚さまにお力添えできれば、あるいは水戸藩からのお引き立てがあるやも知れません」
「なるほど。ところで、篠塚さまはどんな手形を持っておられるんだい」
「手形?」
「手形なり水戸藩の書付なり、もっともらしい理由をつけているはずだ。それにもよるよ。京は急ぎ旅の途中であるかもしれない。だとしたら、無理にお引止めするわけにもいかないじゃないか」
そうか……。
さすがに誠衛門だ。瞬とは考えることが違う。
「では、もし京都に長く滞在されるとして。わたしに良い考えがあります」
「話してごらん」
「このところ京の町はとても物騒です」
瞬の言葉に誠衛門が「性質(たち)の悪い狼がうろついているからね」と、苦々しげにつぶやいた。
狼とは新選組のことである。とくに芹沢たち水戸派の悪評は酷いもので、京の町の人々は新選組を指して「壬生狼」と呼んでいた。
「篠塚さまの剣の腕は生半可なものではありません。三人もいた追いはぎを、あっという間にやっつけておしまいになりました。しかも、水戸」
「なるほど、同郷であれば何かと……あれだね」
「表向き、用心棒として雇うというのはいかがでしょう。そうすればお店(たな)も安心ですし篠塚さまのお力にもなれます。まさに一石二鳥」
「おお、それは名案」
それから、しばらく誠衛門と話をすすめ自分の部屋に戻った。
障子を空かし篠塚の部屋をうかがう。蝋燭(ろうそく)が消えていた。もう床についたのだろう。
胸に手をあて溜息つく。この抑えようのない高揚感はどうしたことだ。あるいは篠塚の手で、この退屈な日常から引きあげられたい。そんな途方もない願望が頭をもたげつつあるのかも知れない。
ずっと居てほしい……。
灯りの消えた部屋に「おやすみなさい」と声をかけ障子を閉じる。明日が待ち遠しかった。
そうだ。新選組の屯所にもお連れしよう……。
篠塚のことが次から次へと浮かんでくる。まるで恋をしている女のようだと考え、おもわず失笑してしまった。
寝心地のよい布団に仰向けになる。剣を抜いた篠塚の凛々しい姿が脳裏を過ぎった。
障子越しに月明かりがさしこんでくる。虫の声に耳をかたむけながら、瞬はいつしか眠りについていた。
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