三國屋物語 第10話
翌日、父の誠衛門と一緒に篠塚の部屋にいくと、番頭の藤次郎が手代(てだい)ふたりをひきつれ静々とでてくるところだった。
「藤次郎、なにをしてたんだい」
誠衛門がたずねる。藤次郎は「篠塚さまの寸法を」といって、はたと顔色を変えた。
「手前、瞬さまに、旦那さまのお申し付けだと伺ったのでございますが」
誠衛門が説明をもとめるように瞬をみてきた。「話しが遅れました」といって、藤次郎に片手を振る。藤次郎が軽く頭をさげ、そそくさと姿をけした。
「昨日、わたくしを追いはぎから守るとき、篠塚さまはお召し物を汚してしまったのでございます」
「おお、それは。とんだ災難だったね」
「はい。ですから篠塚さまに新しいお召し物をとおもいまして」
「それはよい心がけだ。篠塚さまも、さぞかし……」
「無用だ」
「は?」
篠塚が障子のむこうから、ひょっこりと顔をのぞかせた。
「当然のことをしたまで。礼には及ばぬ」
いって、口をへの字に曲げる。誠衛門の嘆息がきこえてきた。どうやら篠塚の無欲さに痛く感心したらしい。
「なんとまた立派な心がけでございましょう。何分、昨日は夜も遅かったものですから、ご挨拶が遅れ誠に失礼をいたしました。手前はこの京店(きょうだな)を任されております三國屋誠衛門と申します。ああ、お米。お米はいるかい」
誠衛門が声をはりあげる。遠くで「はーいー」と、間の抜けた声が響いてきた。
「篠塚さまにお茶を。先日、駿河屋さんにいただいた川根茶があるだろう」
ふたたび返事がきこえてくる。誠衛門は満足した面持ちで篠塚に向き直ると、
「まあ。立ち話もなんでございますから。ささ、どうぞ。お部屋の中へ」
と、手で促(うなが)した。
声をかける拍子を逸してしまったのだろう。篠塚は眉間(みけん)にしわをよせ誠衛門の口の動きに見入っていたが、やがてあきらめたように顔を引っこめた。
部屋にはいり篠塚が腰を下ろすのをまって誠衛門と瞬は同時に膝をそろえた。
誠衛門が丁重に昨夜の礼をのべる。篠塚は始終、居心地がわるそうに畳表を睨んでいた。
ようやく歯の浮くような美辞麗句から解放されると篠塚はわずかに居ずまいをただし口角をひきあげた。笑おうとして失敗したようだ。瞬はこみあげてくる笑いを必死にこらえていたが、誠衛門の、
「ところで篠塚さま」
という言葉を合図に神妙な顔をつくった。篠塚が片眉あげ瞬をうかがってくる。話の風向きが変わったと察したのだろう。
「こちらへはお仕事で」
「いかにも」
「京には長くご滞在でございましょうか」
「詮索は無用に願いたい」
「これは失礼をいたしました。そうでございますか、お仕事で。それは残念」
「はて。なにが残念なのだ」
「じつを申しますと京の町の治安はあまり良いとはいえません。それというのも……。ああ、いえ。わたくしとしたことが旅のお武家さまにこのようなことを」
誠衛門が言葉を濁した。ききたいとおもうのが人情だろう。案の定、篠塚が、
「いってみろ」
といって、身をのりだしてきた。
「失礼いたします」
お米だった。
下女のお米は今年二十歳になる。篠塚をちらとみて、もともと紅い頬をいっそう紅くした。
お米が急須と茶碗をのせた塗盆をおく。誠衛門は、
「後はいい」
といって、お米を早々に下がらせた。
瞬はさりげなく盆を引きよせると手なれたしぐさで茶をそそいだ。こうばしい香りがあたりに漂う。篠塚の表情が少しやわらいだ気がした。
「これから手前どもがお話しいたしますのは新選組にかかわる事でございます」
「新選組?」
「はい。どれもこれも京の町の噂といいましたら、それまででございますが、もし、篠塚さまがこのお話しを新選組筆頭局長である芹沢さまのお耳に入れたと致しましたら、手前ども何かと……」
「通りすがりの素浪人は信用できぬと」
「いえ。決して、そのような」
「込み入った話なのか」
「はあ……」
誠衛門が言うべきか迷っている。ここにきて篠塚を信用していいものか判断しかねているのだろう。無理もない。篠塚に窮地をすくわれた瞬とちがい誠衛門は初対面だ。篠塚が他言しないという保障はどこにもなかった。
「そうか」
いって、篠塚が床脇にある刀に視線を投げる。誠衛門と瞬は息をのんだ。
「金打(きんちょう)が必要か」
篠塚が静かにいった。おもわず溜息がこぼれそうになる。
かっこいい……。
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