黄昏はいつも優しくて3 ~第39話~
そんなことになったら瞬は道場に通えなくなる。
一年前、篠塚にヘッドハンティングをされた日、一緒に道場をしようといわれた。
『おまえでなきゃ、駄目なんだ』
そう言って、包みこむように抱きしめてきた。すでに色褪せた記憶となってしまったが、いまでも、あの言葉にすがっている自分がいる。あの約束がある限り、あの道場がある限り、ずっと篠塚の傍にいられる。ずっと篠塚を見ていられる。
いまでは仕事が忙しくて稽古すらままならない。こんな状態で一緒に道場などできるわけがない。わかっていても他にすがる部分を見いだせない。
篠塚という人間は、よせてはかえす波ににている。近づいたおもったら次の瞬間には沖にいて茫洋とした瞬の姿を眺めている。すくいあげても手から零れ落ちる波の泡のようだ。最後に篠塚を独占できるとおもったのはいつのことだろう。いまならわかる。篠塚という存在は瞬の腕のなかにはおさまらない。
わかっている、そんなこと……。
見果てぬ夢であってもいい。手のとどくところに篠塚の温もりがあれば。そう納得したはずなのに気がつくと恋の悋気に身を焦がしている。いつになったら篠塚とおなじ目線に立てるのだろう。五年後だろうか、十年後だろうか。はたして、それまで篠塚は瞬を見ていてくれるだろうか。
自室に帰りベッドに仰向けになる。スーツがしわになってしまう。着替えなければとおもいながらも、心は貴子と篠塚のことを追っている。もう貴子は篠塚の部屋についただろうか。どんな会話をするのだろう。昔話だろうか。それとも事件のことだろうか。貴子は篠塚に甘えるだろう。篠塚はその時……。
かぶりをふって起きあがる。
きっと篠塚のマンションに泊まったほうが楽だった。だが素直になれない。篠塚を疑いたくない。だが、疑わずにはいられない。この矛盾した心理はなんなのだ。ともすれば自虐的な感情まで頭をもたげてくる。
どうかしている……。
カーテンをあけ篠塚のマンションの方角に視線をめぐらせる。今夜はきっと眠れない。資料でも整理しようか。それともニューヨークの記憶をたどろうか。
苦笑してカーテンをとじる。
追い詰められているのも追い詰めているのも自分自身だ。壊れかけている。そう思った。
携帯電話の電話帳をひらく。カ行から北沢の番号をえらび指がとまった。
「………」
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