袋小路の男 // 絲山秋子 | みゅうず・すたいる/ とにかく本が好き!
袋小路の男 (講談社文庫)/絲山 秋子
¥420
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 「袋小路の男」


 絲山秋子、著。 2004年。



 高校時代の女性の友人は、卒業後も時折

私の部屋に遊びに来て、コーヒーを飲んだり

雑談したりしていました。


 時には、本を読んでみたり、炬燵でうたた寝

をしていたり、特に用事があって来る訳では無く

何となく居心地がよさそうでした。


 まあ、気が滅入るような事があると来ていた

のかも知れない。 互いに、気の許せる友人

だったのですが、私たちの廻りの人間からは

付き合っていると思われていたフシがありました。


 居眠りから覚めて、「襲わないのか?」、

「安心し切って寝ている奴など色気が無くて、

襲う気にもならん!」・・・。


 う~ん、得難い友人でしたねえ。

まあ、避難場所のようなものでしょうか。


彼女の結婚式にも「新婦友人」で出席して、

新郎に「お世話になりました」と挨拶されたけど、

「君とは初対面だ」とも言えず、返事に困ったの

を思い出します。


まあ、作品の内容とは関連性は無いのですが、

ふと、そんな事を思い出しました。


 絲山秋子さんの作品を読むと、いろんな事を

思い出します。 直接に作品の内容とは関係

無いけれど、作品世界と同年代のころの自分の

想い出が脳裏に浮かんで来ます。

私にとっては「郷愁を誘う作家」のようです。



 高校の先輩、小田切孝に出会ったその時から、

大谷日向子の思いは募っていった。 大学に

進学して、社会人になっても、指さえ触れることも

なく、ただ思い続けた12年。 それでも日向子の

気持ちが、離れることはなかった。

 (文庫裏表紙より引用)



 この本は三作の短編から成り立っています。

引用した「袋小路の男」は、日向子の一人称で

書かれた作品で、12年間の屈折した片思いが

描かれています。


 小田切に恋い焦がれながら報われる事の無い、

切なさと屈折した心理が伝わって来ます。


 で、これでは終わりません。

次の「小田切孝の言い分」は、小田切の一人称

で書かれており、思いこみと身勝手な行動の

女・日向子に翻弄される小田切の、これもまた

屈折した切なさが描かれています。


 この二作品を通読して、二人の実際の姿が

私たちの前に明らかになります。


二人とも、妙に屈折しているのですが、ただ人間

誰しもが何らかの面で屈折している訳で、二人の

生き方や心理は切なく私に沁みました。


 もちろん、二作品は独立した短編でもあるの

ですが、見方や立場が違えば事実のありようも

違って来る事が見事に描かれていて、その点

も面白く感じました。


 三作目の「アーリオ オーリオ」は、叔父と姪の

心の交流を描いた作品ですが、これはほのぼの

とした物語で、優しい気分になれます。


 最近は、新たに絲山秋子・マイブームの到来を

感じる私です。