憑神(つきがみ)// 浅田次郎 | みゅうず・すたいる/ とにかく本が好き!
憑神 (新潮文庫)/浅田 次郎
¥540
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 「憑神・(つきがみ)」


 浅田次郎、著。 平成17年。



 「乱世疾走」とほぼ同時に読了。

二冊とも大当たりです。

これも、実に面白い作品でした。


 「乱世疾走」が、室町幕末時の物語ならば、

これは、徳川幕末の物語。

何か共通の臭いがあります。 クンクン・・・。


 どちらも、価値観の転換期であり、若者が

自分の価値観を何処に求めるべきか、

自己確立の難しい時代であると言うのが

同じ臭いの元だと思います。



 御家人の次男坊、別所彦四郎は養子縁組先の

井上家より離縁され、実家に「出戻り」になり、

鬱々と日々を過ごしていた。


 娘が跡取りを産んだら、種馬は用無しとばかり、

彦四郎に非の無い小さな罪を理由に、離縁を

無理じいされ、出戻り次男坊の不自由な暮らし

を余儀なくされたのだ。


 彼は、小谷道場の免許皆伝の腕前であり、

頭も「切れる」と評判の青年だった。

しかし、いまや彼の前途には希望も無い・・・。


 ある夜、彼が酔った勢いで、河原の小さな祠

に「よろしくお願いします」と手を合わせた事で

彼の運命は大きく動き出す。


 彼の、願いを聞き届け神が現れたからだ。

しかし、この神はなんと・・・貧乏神だった。

裕福な商人の姿をしたこの貧乏神は、

別所の家を貧乏のどん底に落とすと宣言する。


 かつての部下だった「馬鹿」の小文吾の

機転で(ただの馬鹿では無い!)、貧乏神に

宿換えして頂く事には成功したのだが、


 貧乏神が去り際に言うには、

「あんたが手を合わせた祠は、三廻り神社と言う。

すなわち、我が去っても後二人の神が現れる。」


 さて、その言葉通りに、次に現れたのは、

関取の姿をした「厄病神」だった・・・。


 あたかも、落語の如く軽妙に物語が進行して行く。

しかし、可笑しいだけではこの物語は終わらない。

最後に現れた、少女の姿をした「死神」のせいで、

彦四郎は幕末の武士の生き様を己に問わなくては

成らなくなるからだ。


 終わりゆく武士の時代を、しがない御家人の

次男坊が「武士」としてどう生きるのか?

彦四郎の決断は勇ましくも清々しい。

そして、切ない・・・。


 そう、自己存在を時代に問う事は、

時に、こんなにも雄々しくもたまらなく切ないのだ。

時代の流れに翻弄されながら、己の在り方を問う

彦四郎の物語は、可笑しゅうて・・・やがて哀しい。

そして、実に清々しい。


 実に、面白く読後の満足感のある作品でした。