こんな小さな教科では | 15でオカマ オカマで女優

15でオカマ オカマで女優

ドラマチックに咲いてほしい性転換後

うちの学校の社会科の先生が書く黒板は
どれもまとまりや形をなしていません。


政経・倫理・日本史・地理・世界史

どの先生も、ただ重要な単語を黒板に殴りがき。


これは何故でしょうか。
今日考えて、答えが分かったような気がします。

そもそも‘社会’とは混沌としており、
何か単数の秩序で成り立つものが全くありません。

それは、政治や経済や、まして歴史でさえも。


それなのに、
社会にルールを見出だして
その縮小した案内図をひけらかすとは
社会科の先生とはなんとおこがましいのでしょうか。



こんなことを思えば、
数学に何の価値も見いだせない
アンチマスの私は、
なぜ、それらを高校生が求めるのか
少し分かるような気がします。

そして、天才デカルトが
全ての哲学の大本として確固たる教科の数学を基調とした
理由に
納得がいきます。



小さな頃、私は
医者になるのためには、
医学部に入るためには、
数学が必要なのが
何よりも不思議だった。

まぁ、それについては今でも不思議かな。