善意-36 | タイトルのないミステリー

タイトルのないミステリー

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「そんなんだからあなたにはろくな男が寄って来ないのよ」

女は何時も美弥子にそう言われた。始めのうちは言われても仕方がないと思ったりもしたが月日が経つにつれてそれが鼻につくようになってきた。

「でもあなたって中途半端な感じだから男の人が寄ってきやすいんでしょうね」

そう言って笑う事もあった。それは女が美弥子ほど美人ではないからという意味なのだ。確かに美弥子は同性から見ても思わず見とれてしまうくらいの美人である。ちょっと近寄りがたいくらいだ、女の事を中途半端だと言うのはそう言う事なのだ。このくらいが丁度良いと思われる程度の女だという事だ。それに比べて美弥子は社内でも評判の美人だ。美弥子は自らそう言う事を口にする事は無かったが十分過ぎるくらいそれを承知して行動している事はいつも近くにいてみていた女には手に取るように分かるようになっていた。美弥子はとても野心家であった。女を利用して、という事は無かったようであるが自分の美貌も使えるところではふんだんに利用しているような節もあった。

「男って本当に馬鹿、ちょっと優しくされたら自分に気があるなんて思うのよ、あんなの私が相手にするわけないのに」

女は一度美弥子にどうして結婚しないのかと尋ねた事があった。美弥子が望めばどんな男だって尻尾を振って付いてきそうなものだ。美弥子はもうずっと若い頃から結婚には夢を持っていないと言った。それは美弥子自身の両親に起因しているようである。美弥子の話では彼女の両親は終戦直前にお見合いで結婚したらしい。美弥子の母は父とそれまで一面識もなかったそうだ。第二次世界大戦も終盤を迎えた頃、日本は兵力不足により学徒出陣などの徴兵が履行され男は何時戦争に駆り出されるか分からない状況にあった。そこでその前に跡取りをと親同士で取り決められた婚姻だったそうだ。

 美弥子の父の家は小さいながらも代々続いた乾物屋でそれなりに商いも繁盛していてちょっとした小金持ちであった。母親の方はと言えば自分の船さえ所有していない小さな漁村の漁師の娘で法外な結納金の提示に飛びついた。美弥子の母は美弥子ととてもよく似ていて村でも評判の美人だったらしい。父親はどこかでそんな評判を聞きつけこっそり見に行って一目惚れし、結婚するなら美弥子の母が良いと両親に頼んだそうだ。

 父親は一人息子で商才はあったようだが我儘に育っていて典型的な亭主関白であった。昭和二十年に終戦を迎え、美弥子の父親は結局、徴兵を免れた。母にとっては戦争にでも行ってくれていた方が幸せだったかもしれないと美弥子は言っていた。兎に角、家では何もしない、箸一つ取らない、子供の世話も家の事も全て母任せ、ただ夜の方は強いようで夜中に母が泣いて「もう勘弁してください」と言っているのを何度か聞いた事があった。幼かったその時はまだ意味がよく分からなかったが成長するにつれてその意味も分かるようになった。昼は店の仕事や家事をクタクタになるまでやらされ、夜には容赦なく父の相手をさせられ、まるで奴隷のようだと感じた。そして一日中父に傅(かしず)いている母を見て女とはなんと損な生き物なのだろうと思ったとの事だ。

 そんな両親を見て美弥子は結婚には全く夢を持たなくなった。男に頼らず自分の力でのし上がって生きていく方が余程自由で良いと思ったとの事であった。美弥子は会社で出世をしていずれは父の様な男達の上に立つのだとも言っていた。だが世の中はまだまだ男社会、美弥子の望む様な出世は中々手に入れられなかった。男と同じように仕事が出来ても駄目なのだ。同じならわざわざ女を選ぶ必要は無いのだから。男の倍の仕事が出来てやっとちょっと仕事が出来るくらいに思われる程度なのだ。だから美弥子は使える手は何でも使って上に上り詰めようとしていたのだ。

 だが、そんな美弥子も限界を感じていたのかも知れない。今まであらゆる事を利用して昇進のチャンスを掴もうとしていた。実際、この会社で女性が課長になったのは美弥子が初めてなのだ。大いなる出世である事は間違いない。だが美弥子の望みはその程度ではない、少なくとも重役クラスまでは上り詰める予定だったの。

「あなたみたいに、平凡だったのなら諦めもついたかもしれないのに」

美弥子は女の顔を撫でながらそんな事を言ったりもした。女にはその言葉はあなたのように不細工だったら良かったのにと聞こえた。それなら男に頼るしかないと諦めたのにと――美弥子には大学時代に同じように出世を夢見た友達がいたようである。女もその女性には会った事がある。だがその女性は早くに出世を諦めてその会社の重役夫人となって悠々自適な暮らしをしている。

「やっぱり彼女の方が賢明だったのかもね。でも、私の中に結婚という二文字は無かったのよ。でも、このままじゃ終わらないわよ」

美弥子はまるで気付いていない、女の中にどす黒いものがどんどん鬱積していっている事に。美弥子の一言一句が針となって女の中に流れ込む。それは放出される事も無く積もっていく。針の塊がチクチクと女の体の中から内臓のあっちこっちを刺し貫く。

 あの時、窓から外を見ていた美弥子にブロンズ像を振り下ろした時、心の中に積もっていた泥が噴出したような気がした。身体中を刺していた針が一気に外に流れたように見えた。真っ赤に染まった顔で振り向いた美弥子の顔を何度も何度も殴った。美しい顔が潰れていく様に快感を覚えた。美弥子を殴ったブロンズ像は美弥子が会社から貰った自慢の品だった。

「このブロンズ像は会社に貢献した証なの。女性でこれを貰ったのは私だけよ」

美弥子はしょっちゅうそう言っていた。だから凶器はあのブロンズ像とずっと決めていた。美弥子の自慢や女を卑下する言葉にもう限界が来ていたのだ。そんな事も気付かないで部屋の鍵まで預けていた美弥子はなんて愚かなのだろうと思う。殺人者を家に招き入れていたのだから。

 美弥子を殺した感覚は今もこの手の中に残っている。その事に後悔はない。当然の報いだと思っている。要らないものは排除するに限る、美弥子がいつも言っていた言葉だ。女はその通りにしただけだ。

 なのにまた見える。今も電車の窓の自分の顔の横にあの美弥子の顔が――。

 

 

   <善意-37へ続く>