父がくれた時間 | 風の日は 風の中を

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~職場や学校で不安感に悩んでいる方へ~
「不安とともに生きる」森田理論をお伝えしたいと思いブログを書きはじめました。
2011年9月からは、日々感じたこと、心身の健康などをテーマに日記を綴っています。

4日前、74歳の父が救急車で病院へ搬送されました。
治療のかいなくお別れのときが、せまっていることを医師から告げられたのが昨日のことです。

目覚めない父の顔をお湯に浸したタオルで拭きました。そうすることで自分自身が少し癒された気がしました。

倒れてから一度も目を開けない父とはこのまま言葉をかわせないまま別れていくことになりそうです。
それでも、付き添っている時間の中で父からの大きな贈り物を受けとることができました。

父は簡単な遺言を形にしていました。それは自分の葬儀を妻(私の母)の信仰するキリスト教の教会で行ってほしい、ということでした。

母以外の家族は信仰をもっていません。
葬儀の形式を指定することで父は、母と一緒に歩んだ人生を肯定する気持ちをあらわしてくれたのだと思います。
それは、伴侶を失って一人になる母を間違いなく支えてくれると思うのです。

家族に対し愛情をもっていても、うまく表現できない場合もあります。
父は不器用な人でした。それでも人生の最後にこうして表現してくれたことに感謝します。

この遺言により教会の牧師が病室を訪ねてくださいました。
そのとき父のために聖書の言葉の説明があったのです。

私は、このブログに、おもに森田正馬さんの言葉をかいてきました。
森田療法は仏教の考え方の影響を受けています。
しかし、今回きいた聖書の言葉とも共通するところがありました。
森田先生が『自然』と呼んでいるところを『神』におきかえてみると、同じことを教えてくれていると気づかされました。
また人間は生きている限り不安とともに歩む存在だと指摘しているところも同じです。

母や私が、心の拠り所にしていたものに対し父が頷いてくれた・・・そういうように感じられました。