※神話的表現多くなっています。
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プロローグ ~北風の神、ボレアス~
厳粛な沈黙が破られ、オリンポスへの候補者を歓迎する天上の合唱が響き渡った。
21歳の陽気なケルビム(聖書に出てくる天使)がザグレブのリンクに浮かぶ白いビロード雲の上を絶妙で柔らかな動きで縫うように滑っている。
風に描かれた軌跡の中、その両翼はあり得ない跳躍の後も保たれている。
フィギュアスケートのオリンポスの神々は新たな住人を迎え入れる扉を今まさに開こうとしていた。
マドリレーニョ(マドリッド出身)のボアレスの誕生である。
ギリシャ神話の冬の神。あるいはハビエル・フェルナンデス。
仲間にとって危険極まりない名前。
リンクは新鮮なクラシシズムに溢れていた。
ライムライトの躍動的な旋律が氷の舞台にチャップリンのホログラムを映し出しているようにみえた。
足りないのは黒い山高帽とステッキだけ。
衣装のこだわり、メイク、ジェスチャー、トランジション…全てが名優チャーリー・チャップリンが映画で印象的づけた不器用な叙情性。
それは観衆の心を奪った舞台のシーンだった。
最初の閃光は4回転トゥループ。
サッカーの試合でキックオフからオーバーヘッドシュート。もしくはトランポリンの最初の試技で3回宙返り半ひねりをするようなもの。
他者へ遠慮の無い大胆さ、魅力的なまでの無謀さ。生来の純粋な個性と才能。
会場中が大歓声に包まれた。
次の4サルコウ+3トゥループを決めた瞬間、再びウォーッ!と一層高い感嘆の声が上がった。
会場の観衆はわが目を疑った。
4サルコウが彼の名刺に加わるにはまだ時期尚早だったからである。ミスの危機はうまくコントロールされていた。
2013年のヨーロッパ選手権でこれほどの高難度を誰もが予想だにしていなかった。
その場に居合わせた観衆はほとんど無意識に手拍子せずにいられなかった。
その果てしない“旋風”は彼の大きな利点であり何の遠慮もなかった。
大胆さはその報いを手に入れた。
コンビネーションの乱れがあったにもかかわらず、気高い演技を傷つけることはなかった。
フリープログラムは割れんばかりの拍手で幕を閉じた。
ハビエルは信じられない様子で息を切らしていた。
テレデポルテの解説者、冷静沈着なパロマ・デル・リオが完全に熱狂状態に陥った。
“ブラボー、ブラボー、ブラボー…”とうわごとのように繰り返した。無理からぬことだ。
スペイン国旗が振られ抱擁しあう観客たち。
友人たちはハビが何か大きなことを為すだろうと確信していた。そしてその通りになった。
合計274.84で金メダル。
フローラン・アモディオをフリーで追い上げ逆転した。
輝く新星。
しかしながらこの凍てつく天体では不遇な星回りの中にいた。
その煌めく石は我が国フィギュアスケート史上最初にして最高のものだった。
そもそもその歴史すら存在してなかったのである。
※少年時代~モロゾフ師事編へ続く
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