デューク・エリントンを 目指した秋吉敏子 | 横沢洋!おそうじ片付け長野県松本市より

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はじめまして
おそうじ片付け隊ホームサービス松本店の横沢洋と申します。
長野県松本市でハウスクリーニング・片付け・リフォーム業をしております。
趣味はJAZZ音楽鑑賞です。以後、宜しくお願い致します!!


「デューク・エリントンを
目指した秋吉敏子」

ヨコです。
拙宅ブログに
お越し頂きありがとうございます。


今日は、久しぶりに
敏子・タバキン・バンドが
聞きたくなりましたのでご紹介です!


秋吉敏子さん。
最近のニュースと云えば、
83歳でブルーノート東京でライブ
4日連続公演も満員だったこと。




秋吉敏子といってもご存知ない方が
いらっしゃると思います。

満洲で、日本人の両親の元に生まれ、
敗戦後に大分に引き揚げ、

別府の駐留軍キャンプでジャズの
ピアニストとして演奏を開始した女性

1956年、26歳で単身渡米して、
日本人で初のバークリー音楽院
で奨学生になりました。




サックス奏者のルー・タバキンと結婚。
「秋吉敏子=ルー・タバキン」の
ビッグバンドを結成します。

アメリカのジャズ専門誌ダウンビートで
ビッグバンドは批評家投票で5年連続1位。
グラミー賞ノミネート回数14回


「もっとピアノが上手くなりたい」を
理由に、2003年、73歳でバンド解散。



渡辺貞夫さん若かりし時に、
「日本を出て、バークリー音楽院行き」
をアドバイスします。


彼女は、バンドの運営もするかたわら
普段、娘と夫君タバキンの母・妻。

バンドの作曲・練習・メンバー集め、
果てはバンド・メンバーの食事まで
公民館長のような仕事ぶりでした。


日本の雅楽の様なアンサンブルを
産み出す作曲が好きです。


秋吉敏子・タバキン・バンド
照明を落としてお聴き下さい。




【 Toshiko Akiyoshi "Memory" 】


紫綬褒章、旭日章、NHK放送文化賞など、多数受賞