大通寺を後にしようとした我々が目にしたものは……
なんと、かつて長篠城を包囲していた武田方の五砦のひとつ!
鳶ヶ巣山砦(とびがすやま とりで)でした。
↑長篠城の現地看板より。
長篠・設楽原合戦時、長篠城は、武田方の久間山砦、中山砦、鳶ヶ巣山砦、姥が懐砦、君ヶ伏床砦といった5つの砦から包囲されていました。
(看板では陣地と記載)
今いる大通寺もかつては馬場信房の陣跡ということで、長篠城を包囲していました。
川の向かいに見える諸砦と、狼煙(のろし)とかを上げ合いながら連絡をとっていたのでしょうね。
ということなら、やはりここは鳶ヶ巣山砦まで行かなければなりますまい。
ということで、鳶ヶ巣山砦までの旅の始まりでした。
↑まずは鳥居強右衛門磔刑地。
長篠城の対岸にあり、ここで磔刑にされたとか。
現在では新東名高速道路が間近に通っているものの、ココは以前と変わりありません。
↑JR飯田線・鳥居駅。
この鳥居駅の名前は、鳥居強右衛門から名付けられました。
強右衛門はこの周辺では奥平さんより英雄です。
ところでこの日、やたら目立つ鳥居強右衛門祭りというのぼりがありましたが、どんなお祭りなのだろう?
↑ そして牛淵橋(うしぶちばし)。
ココは長篠城の絶景スポットです。
また中央構造線というのが通り、長野県の零磁場(ぜろじば)と同じ様なパワースポットだということはあまり知られていません。
さて、いつものように長篠城を眺めていると、矢印↑のところに誰かいますね…
↑ なんとバーベキューしている人達を発見!
こちらに向かって手を振っています。
かつて武田軍が攻め上ったであろう長篠城のふもとでバーベキュー、いいなあ。
↑我々も手を振って応戦しますが、向こうはこっちが武者だということに気づいているのだろうか?
勝鬨も地形的によく響く場所でもありました。
落ちないように注意!
↑ さらに今度は長篠城の向かって左側の川を見てみると…
なにかゆっくりしたものが近づいてきます。
あれは?
↑ なんと、カヌー!
波がほとんど無く、穏やかな流れなので、カヌーの練習?に適しているのでしょう。
長篠は、こうしたノンビリした雰囲気が漂うところです。
↑ さて、そんなこんなでようやく辿りついた鳶ヶ巣山砦。
現地には看板と慰霊碑、そして天正時代のものであろうと思われる杉の倒木があります。
ココに陣を敷いていた武田信実(信玄の弟)は、酒井忠次率いる奇襲隊によって壊滅。
砦も落ちてしまい、背後を絶たれるカタチになってしまった武田勝頼は、織田・徳川連合軍と戦うしか道がなく、長篠・設楽原合戦へと突入していったそうです。
↑ 鳶ヶ巣山砦は広く、先端まで行くと長篠城や大通寺まで見渡せます。
現在は畑地となっていますが、かつてココにも武田軍がいたのですね。
↑現在では木々が生い茂っているものの鳶ヶ巣山砦からだと、長篠城の様子が手に取る様にわかります。
当時もこんなカンジで見張っていたのでしょうね。
やはり現地に立つと、歴史本やドラマでは表現されていないコトなどがよくわかります。
↑ということで新緑が美しい5月の長篠・設楽原。
歴史祭りもいいですが、史跡巡りもまた楽しいものです。
参加された侍大将様、ハマン様、えみりー様、あといつもお世話になっている方。
有難うございました!
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