足助城を後にした我々は、足助城とセットにしやすい松平郷へと向かいます。
松平郷とは?
徳川氏の前身・松平氏発祥の地です。
徳川家康はもともと『松平』姓。
家康は桶狭間合戦時には、松平元康と名乗っていました。
ということで家康は松平本家9代目当主。
初代がこの松平郷から発祥したということですね。
三河ゆかりの戦国の地なだけに、ゲリラ・ライヴでも最適な場所です。
↑ 松平郷はいろいろと見所がありますが、今回我々が目指すのは松平家墓所がある高月院(こうげついん)。
松平郷の一番奥にある寺院です。
それまでにゆかりの場所を散策しました。
↑ まずは松平東照宮。
松平氏ゆかりの東照宮ですね。
ココもお参りします。
↑ ところで松平東照宮は、かつての当主の館跡です。
城郭研究では、【城】として研究されています。
現在も周辺には当時のものといわれている石垣や水堀が残っています。
↑ また松平郷には、家康の産湯井戸もあるんです。
家康は岡崎城で生まれており、岡崎城にも産湯井戸が有ります。
しかし松平郷からもこの井戸の水を岡崎城へ運んだとか。
そしてこの産湯井戸がある場所は、現在、3つも井戸があるんですね。
たぶん、松平郷の水源みたいなところだったのでしょう。
↑ そして松平初代・松平親氏(ちかうじ)公の銅像へと進みます。
家康が松平氏の9代目。
この親氏さんが初代というワケですね。
もともとはこの地には、在原(ありわら)氏という豪族が住んでいました。
そこへ関東からやってきた僧侶が婿養子となり、還俗して武士となります。
それが親氏さんなんですね。
↑ しかしツッコミどころが多いこの銅像。
なぜか、ダヴィンチ入ってます。
それかテルマエ・ロマエ?
家康の先祖はタヌキではなく、西洋人みたい。
ところで気になるこのポーズ。
なんといっているのでしょう?
(1) 『ナマ中、もう一杯!』
(2) 『お前はすでに死んでいる』
(3) 『ば~ん!』
(4) 『ゼロ災でいこう、ヨシ!』
↑ さて、我々は本来の目的である松平家の墓所へ向かいます。
この墓所には、初代・親氏や二代・泰親の墓があるんです。
以前は木々が生い茂っていた墓所でしたが、キレイに伐採されていました。
↑ 参拝の図。
もともと我々は、ハヤリのコスプレイヤーや、歴士、歴女ではありません。
純粋な戦国ファンなのです。
だからゲームに出ない武将や、ゲームには無い戦国時代にも想いを馳せます。
墓参も大事な任務ですね。
ということで、今回は足助城と松平郷を巡った甲冑ゲリラ・ライヴでした。
私は尾張一宮武将隊の出陣や、個人的なクライアントのイベントにも出ます。
しかしもともとは戦国ファン、郷土史家なので、出陣の合間をぬって、ゲリラ・ライヴで歴史に浸っているんです。
ということで、今回はヒサシブリに、純粋に郷土史レベルの史跡を楽しめました!
参加者の尾張一宮武将隊・第一期生の隼人佑殿、ハマン治部殿、豆しば殿。
また参加してくれた、ゴエモン殿、安綱殿。
裏方スタッフのAsami殿、カメラマンのエミリー殿、
誠に有難うございました!
ところで今後は、こういった甲冑ゲリラ・ライブの楽しみも広げていきたい。
というか、参加したい方、大歓迎です!
『そんなコト言っても、甲冑持ってないよ~』
(T▽T;)
と思う方もいると思いますが、甲冑は歴史に浸るためのツール(道具)。
私のところにはレンタル甲冑もありますし、甲冑の下に着るインナーさえあればOKでしょ?
なので、あなたも究極の史跡めぐり、【甲冑ゲリラ・ライヴ】に参加してみませんか?
そして共に歴史に浸り、歴史を楽しめたらなと思っています!
これからは甲冑タブーの夏ですし、その後は秋の歴史祭りラッシュ。
でもその後のイベントオフシーズンなどに、こういった歴史の楽しみを広げていけたらなと思います。
ということで、
次はあなたの参陣、お待ちしておりますぞ!