あの戦国の現場へ行こう!



夏休み最後の日曜日となった8月28日。



この日は、愛知県一宮市で行われた、【尾張一宮武将隊といく !1日まるごと歴史体験ツアー】に

出陣してきました。



通常の歴史祭りではなく、史跡散策の活動です。






あの戦国の現場へ行こう!-一宮バスツアー02


↑ 今回のクライアントは、(株)JTB中部様。



郷土史と甲冑パフォーマンスの専門家である歴史ヶ丘。



そして旅行業務のプロであるJTBのコラボ企画です。



今回は大型バスを借りきって、愛知県の北の玄関口である一宮市の戦国史跡を案内します。



今回は定員40名のところ、ほぼ満員状態での散策となりました。



案内する我々もキアイが入りますね。



ちなみに今回の武者は、



(左) 山内一豊 BY 鵜方



(右) 兼松正吉 BY みかわのひで



という設定。





あの戦国の現場へ行こう!-浮野古戦場02


↑まずは、浮野古戦場。



織田信長が尾張統一をかけて戦った戦場です。



相手は同族・岩倉織田氏。



この戦いで、山内一豊の父・盛豊は岩倉方として出陣して敗北。



以後、山内氏はしばらく衰退の道をたどるんですね。



あと、この戦いで、岩倉方の弓の名手・林弥七郎と、



信長の鉄砲の師匠・橋本一巴が一騎打ちを行いました。



中国の三国志(西暦二百年前後)や日本でも源平合戦の頃は一騎打ちが普通に行われていました。



しかし、戦国時代は集団戦法。



皆でいっせいに戦うんですね。



その乱戦の中に行われた弓、鉄砲の一騎打ちです。



また、前田利家の弟・佐脇良之が大ケガをしたのもこの戦です。







あの戦国の現場へ行こう!-浮野古戦場01


↑ 今では首塚と案内看板が建てられています。



周辺は田んぼ。



当時から湿地帯だったのでしょう。



だとしたら、地形はそのまま残っていますね。



ところで、一豊BY鵜方は、なぜかこの合戦だけは、やたら詳しい。



説明はオマカセです。







あの戦国の現場へ行こう!-浅野公園03

あの戦国の現場へ行こう!-浅野公園02


↑続いては、浅野公園。



豊臣政権五奉行のひとり・浅野長政が尾張にいた頃に住んでいた屋敷です。



現在は公園になっています。



屋敷といっても、周囲に堀を巡らせ、入口を内堀で狭め、枡形虎口を形成したプチ城。



見るべきところが結構あります。







あの戦国の現場へ行こう!-浅野公園01


↑ 中でも未だに残っている物見台の跡など、ココだけでもかなりディープです。



でも普通説明が無いとわかりませんよね。



なのでそのへんを詳しく解説。






あの戦国の現場へ行こう!-妙興寺01


↑ そしてお次は妙興寺報恩禅寺 (みょうこうじ ほうおんぜんじ)。



偵和四年(1348)に創建された、尾張屈指の古刹です。



あれ?



これって、戦国と関係あるの?  (・∀・)



という声も聞こえてきそうですが、大ありのお寺なんですね。



まず、犬山城主・成瀬氏の寄進した門があります。



また、この妙興寺に、戦国時代の剣豪・上泉信綱が逗留しており、エピソードが残っています。



ある日のこと。



乱心者が子供を人質にとり、立て篭ろうとしました。



乱心者は刀を持っています。



上泉信綱は素手で立ち向かい、【無刀取り】という神業で、乱心者を取り押さえたといいます。



それをコッソリ見ていた、柳生宗厳は、柳生新陰流のヒントを、この無刀取りから得たそうです。







あの戦国の現場へ行こう!-妙興寺02


↑ ところで、真剣白刃取りと、無刀取って、よく一緒に思われますが違います。



ということで、真剣白刃取りと、無刀取の実演です(ホント)



20分の1の超スローモーションでしたので、わかり易かったと思う。



形勢逆転のほうが、無刀取でしたね。







あの戦国の現場へ行こう!-妙興寺03


↑ ハードな無刀取りを見た後は、抹茶で一息!



じつはこの後、一宮市指定文化財である、豊臣秀吉の肖像画を拝見させていただきました。



普段は非公開で、もちろん写真撮影は不可。



歴史ファンなら、どこかで見たことがある肖像画ですが、ココに原本がありました。



ツアー参加者の特典でした。



この肖像画を見れただけでも、ツアー参加費をペイできそうな価値でした。








あの戦国の現場へ行こう!-笹のみ01

あの戦国の現場へ行こう!-笹のみ03


↑ お昼は一宮市時の島にある、【笹のみ】でランチ。



このツアーは低料金なのにランチ付きというウレシイ企画。



個人的には、手作りこんにゃくが美味しかったです。



ハラが減っては戦も史跡巡りもできませぬからな。








あの戦国の現場へ行こう!-138タワー01


↑ そして午後からはいよいよメイン。



写真は138タワー。



標高138メートル、 (いちのみや = 138) というタワーです。



でも、



『この鉄筋タワーと、戦国は関係ないだろ!』  ( )`ε´( )



という声が聞こえてきそうですよね。



しかし!



実は関係大アリ!



現在の岐阜県(美濃)、愛知県(尾張)に、歴史ファンはとても多いです。



でも、この138タワーが戦国と関係ある事に気づいている歴史ファンは少ない。



これが体験できたことも、今回のツアーのポイントですよね。



どういうことか?







あの戦国の現場へ行こう!-138タワー02

あの戦国の現場へ行こう!-138タワー03



↑ じつは360度、ぐるりと北尾張の戦国を見渡せます。



北は、岐阜城と国境・長良川。



東は犬山城、小口(於久地)城方面、そして平地にぽっかり浮かぶ小牧山。



南は、名古屋城、清洲城と、濃尾平野。



西は墨俣一夜城と、大垣城、そして関ヶ原方面。



そうなんです。



この138タワー展望台は、北尾張、そして美濃の戦国史跡を天空から眺めている気分になれるスポットです。



歴史ファンは、古いものにしか目がいかないのが普通。



新しいもの、近代的なものをケムたがる傾向がありますが、



でもこうして近代的なタワーに登って見ると、当時では見ることができなかった風景を一望出来るんですね。



しかも、138タワー展望台にも、そういったパネルが設置してあります。



ココは歴史ファンの穴場スポットです。







あの戦国の現場へ行こう!-黒田城01


↑ そして黒田城跡。



現在は、一宮市立黒田小学校になっています。



学校の敷地内に、一豊とウマの銅像、そして詳しい案内看板が建っています。



普通、歴史ファンが黒田城跡を訪れて、チェックするのはコレだけ。



でも?



今回の参加者の方々は、黒田城が押さえていた鎌倉街道、そして岐阜街道を見ることが

できました。



特に岐阜街道は、家康が関ヶ原に向かう時に使った街道です。



これもまたツアー参加の特典ですな (=⌒▽⌒=)






あの戦国の現場へ行こう!-木曽川資料館01


あの戦国の現場へ行こう!-木曽川資料館03


↑ そして一宮木曽川資料館では、江やお市の方の銅像の話を中心にうかがいました。



あと、この資料館は、とにかく北尾張の戦国関連の展示資料が豊富なんですね。



普段でも入場無料なので、気軽にまた行ってみたいです。



しかし!ココでももうひとつ参加者特典が!








あの戦国の現場へ行こう!-木曽川資料館04

あの戦国の現場へ行こう!-木曽川資料館02


↑ なんと甲冑試着体験!



甲冑も毎年9月に行われる、【山内一豊祭り】で使用する本格的なもの。



カブトと胴だけでしたが、雰囲気を味わうにはこれで十分!



もっと味わいたい方は、歴史祭りに出ましょうね。



これも参加費に込みのウレシイ企画です。








あの戦国の現場へ行こう!-お別れ


↑ そんなこんなで、あっという間に夕方。



我々、尾張一宮武将隊は一宮駅で降り、名古屋駅まで向かうお客様をお見送りです。



今回のツアーは8月という事もあり、暑かった。 (;^_^A



でもその暑さもあまり気にならないくらいのツアーだったのです。



まず、甲冑にて、お客様をディープな戦国史跡にご案内できたこと。



そして嬉しいことに、今回の参加者の中に、アメブロガーの方が複数参加していたこと。



普段、パソコンの向こうでオハナシをしている方とリアルに会う。



トリハダが立つくらい、感激でしたね。



そんな感情の中、一日を過ごしていると、暑さなんてどうでもよくなってくるから不思議です。



そしてまだまだ今回巡った史跡は、愛知県の戦国史跡のほんの、ほんの一部。



またこんな企画があったらディープに皆さんを御案内したいですね。



ということで、



今回のクライアントの(株)JTB中部様。



参加者の皆様。



ありがとうございました (=⌒▽⌒=)




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