やっと終わりましたねー。ちゃんちゃん♪
中国記と書いてきましたが、オンエアが
終わったところでもう一度旅を振り返りたいと思います。

最初にスタジオでVTRを観たとき、『なんて大人気ないの
かしら』と顔から火が出る思いでした。

泣いて笑って走って叫んで…子供か!と。
年だけは立派に24歳なのに。ハァ~ン。生き恥~(笑)


今回の旅で、そんな24歳の一番の敵は言葉の壁でした。


言いたいことは沢山あるのに、言葉もジェスチャーも通じなく
て、スムーズにコミュニケーションが取れない事で焦って
しまい、それで相手をイライラさせているんじゃないかと
いつもビクビクしていました。


(え、えと…)

でも私が諦めたら、そこでこの旅は終わり。
一週間後には日本に帰らなきゃいけない。
この旅を、つまらないプライドや見栄で後悔するようなものに
したくはない。

言葉が通じないからこそ手放しで喜怒哀楽を表そうと、
もう嫌われてもいいからとにかく思った事を伝えようと
思いました。もうね、毎日常に笑顔でハイテンション。
意外としんどいですよこれが…

口数少なく優しいマーさん家族。
年下だけどしっかりしたシャオリー。
103歳のおじいさん、102歳のおばあさん。
色んな人に出会って話をしました。皆飾ってなくて、すごく
自然で優しくて。


(お母さん)

(103歳のおじいさん)

(あったかい食卓)

そんな人達の前では、自然と私も赤ん坊のように素直に
なれました。
毎日必死に話しかけていると、だんだん話しかける事に
抵抗もなくなっていって、不思議な事に何となく言って
る事も分かる(気がする)ようになって来るのです。


(乾杯!)

おかげで初めての中華包丁にも中華鍋にも、恐ろしいターボの
火(←怖すぎる)も克服。
冷めたけど(←納得いかない)料理も作って食べてもらえたし、
すごく嬉しかった。一人じゃこんなに頑張れなかったよ。


(悪戦苦闘中)

やっとコミュニケーションがとれ始め、お互いの事がわかり
かけたところで、無情にも別れはやってきます。

出来るだけ笑顔で別れたくて、前半は意外と頑張れたような
気がしますが…(はて)、サプライズのお土産をもらった時は
もう、胸に込み上げるものをとどめることが出来なくて、
ぐっとこらえてもどうしようもなくて、ただ後から後から
湧いて来る寂しさを、涙を、我慢しようとするしかありません
でした。


(わーん。わーい。でもわーん。)

家から車に向かう途中、お母さんは右手で私のトランクを
持って、左手で私の右手をしっかりと握ってくれていました。
トランクはコロコロと転がす事が出来るのに、お母さんは
道路がぬかるんでいてカバンが汚れるから、と重いカバンを
下ろそうとしませんでした。
私は、トランクを自分で持つ事も、お母さんの手を離す事も
出来なくて、ただ家から車までの短い間、繋いでいる手を
握っていることしか出来ませんでした。
お母さんの手は大きくて、固くて、私が手をぎゅっと握ると、
お母さんもぎゅっと握り返してくれました。
それは強くて温かくて、お母さんの言葉じゃない優しさが
沢山伝わってきて、私はお母さんの方を向けなくなりました。


(見れない…)

私はたぶん、心に感情の容量があるとしたら、それがとても
小さくて、嬉しかったり感動したり驚いたりするとすぐに
容量がいっぱいいっぱいになってしまい、涙が出てしまう。
それは強くなりたい自分と相対するものに感じられていつも
「嫌だなァ」と思っていました。

でも今回の旅では自分のそう言う部分があるからこそ沢山の
人の優しさを感じられたし、自分から産まれる色んな感情にも
気付く事が出来んだたと思います。

強くてクールな大人になりたいとずっと思ってきたけれど、
今回の旅でちょっとだけ、嫌いだった自分の幼さも、なくし
たくない大事な部分だと受け入れられました。

色んな人に会った。様々な人と人との関係を見た。
見て、触れて、考えて考えて…行動して。
ゆったりとした時間の流れの中で、濃密な日々を過ごしました。

私は、今回の旅を決して忘れたくありません。
帰国した私のトランクには、荷物以上のものが沢山詰まって
いた気がしました。

大切にしながら、自分らしく成長したいものです。

もーまず母そしてマーさん家族を含め中国の人日本の人
世界の人ブログを読んでるくれてる人この世に生きてる人、
いや生きてない人もこの際人じゃなくてもいいの、
なんでも、なんでも、みんな、ぜーんぶに

謝謝!!(以上!)


(みんなありがとう)

(頑張ったけど…バランス悪い…設計ミス笑)

(容量オーバーの結果…なぜか先生爆笑)