第四の妻。カインのお母様と呼ばれ、文教祖にとっては妻同然だった。後に妻となる鶴子さんとの寝室まで共にした崔元福女史。それに耐えたことで勝利したとされた真のお母様と呼ばれる鶴子さん。ナント!その関係は勝利したとされる後でも続いていた現実。

http://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-11982325505.html

http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-534.html#comment_list

火の粉を払えブログコメント欄より。


略)

西川先生の離教理由が、

「西川先生の子供が文鮮明教祖様の種であったので離れた」 

という説と、単なる 

「文鮮明氏による指令が悪くて 西川先生が造った心情組織が壊されて、居場所が無くなった」 

とする説と、2つあるようです。

是非、↑この件 情報収集 お願いします。
本当に、悔やまれます。
よろしく、お願いします。

  • [2015/01/26
  • 最下層・甘えん坊 (元?)

西川先生の離教理由

西川先生の話を直接聞いた主人の話によると、

アメリカ宣教に文さんと崔元福さんとの3人で行ってた時、
夜な夜な崔さんのお部屋に泊ってた文さんに
恥ずかしいからそんなことやめてくださいと進言したそうです。
崔さんは文さんとのこどもを中絶した経験もあるそうです。
おそらくアメリカで。。。

当時西川先生のアメリカでの人気は文さん以上で、それに嫉妬した文さんが、先の秘密を知ってるという理由から、全ての地位からしりぞいて「おやすみしなさい」という命令があってそのまま身をひいたということです。

ほかにも理由があったかどうかはしりません。
ご本人がそうおっしゃったそうですから。
  • [2015/01/26
  • mama

家庭の恥部

>西川先生の離教理由 
にもあるように、渡米しても姦通はやめられなかったということ。

崔元福さんは中絶したそうですが、中絶されなかったのが隠し子の朴サムエルで、朴普熙氏の養子として育ちました。梨花女子大出身の金永雲さんが産んだ息子だそうです。
韓鶴子さんが渡米するまで、やりたい放題でした。
そのような隠し子数名が文氏の没後、アメリカで財産分与を巡り訴訟を起こそうとしたことがありました。まだ解決していないのでは?
ラスベガスの献金も、そんなところに流れていくのでしょう。

1800双までは明らかに妾が存在しています。
イエスの妻、孔子の妻(鮮文大学初代総長 李ギョンジュン)、仏陀の妻などにしてもらった女性は、みな妾でした。
文氏が手を付けたのは6000双の婦人にまで及ぶのではないかと、噂されています。

例えば、前ヨーロッパ会長、現日本総会長の宋龍天婦人もその一人。もし文氏のお手つきがなければ、この会長が教会で出世したかどうか。そこまでの能力もない夫が出世している家庭には、そのような恥部(教会では誇りになるのかな?)が存在しているようです。

また、この明らかな
姦通をもって「血統転換」と、最もらしく語るのですから、後に続く信徒が同様のことをするわけです。

「自分と交われば日本の罪が贖われる」と、不倫を唆す悪辣幹部は、教祖の模倣をしていると言えます。
  • [2015/01/26
  • cosmopolitan

韓民族のさが?

>中絶されなかったのが隠し子の朴サムエルで、朴普熙氏の養子として育ちました。梨花女子大出身の金永雲さんが産んだ息子だそうです。

朴サムエルさんは、アメリカの統一神学校の教授として教えた金永雲先生の子ではなく、文先生の最初の奥さんのいとこにあたる崔スンファさんの(1964年からアメリカ留学してそのまま永住、アメリカ名Annie Choi)の息子さんのはずです。朴ボーヒ氏の夫人が妊娠したように見せかけて数ヶ月過ごして、朴家の子として出産届けをしたようですね。(ちゃぬさんのブログ参照) 金永雲先生もほぼ一生独身で過ごされたようなので、その背景を知りたいとは思っていますが。

崔スンファさんはちかごろアメリカのジャーナリストを通してはっきりその事実を話していますが、文先生と関係を持ったその他の女性たちが口をとざしているので、シックたちに全貌をはっきり示すことができないのが現実です。きれぎれの情報をつなげていけば、ほぼ明白なのですが。

朝鮮半島にすむ民族は歴史上たえず存続の危機に脅かされていたので、子孫を残すための欲・能力が強くなってしまった、文先生もその顕著な例かなと思っています。。。教会幹部を初め,他の人の例もたくさんありますよね。私を含め日本人はそういうことを知らないで入教してしまいました。
  • [2015/01/27
  • 千尋

Re:韓民族のさが?

千尋さんへ
修正していただき、ありがとうございました。

裏話では崔スンファさんよりも、サムエル、セミに絡んで金永雲さんの名前が必ず出てきます。実に闇の話題です。

金永雲さんが産んだのは、セミの方でしたか。

あるいは、アメリカの隠し子、サムエルとセミは同一人物か?
同一人物にして隠し子の数はできるだけ減らしたいという工作なのか?

隠したい話に加え、地球の裏側のことですから、この件もこちらでは情報が錯綜しているということでしょう。
  • [2015/01/27
  • cosmopolitan

訂正します

西川先生がアメリカ宣教してたときに、
文さん一行が世界巡回に来て、

そういうことを韓国だけではなくて
アメリカまで来てもやるので、
恥ずかしいからやめてくださいと
おっしゃったそうです。

すみませんでした~
  • [2015/01/28
  • mama

http://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-11984176808.html

http://www42.tok2.com/home/seekseek/9.html#furin

32 :ランナー:2004/10/11(月) 14:56:05:00
Subject: 文龍明の性格
(以下の記事も加えておきます。)

略)


統一教会の公式見解に、文師及び弟子の金元弼師の結婚歴を並べて見ると統一教会の矛盾が一目瞭然である。

ちなみに、教会では、文師の1回目と2回目の結婚に関しては一切原理的な公式見解がない。

矛盾しているのだから、原理どおりになるはずがないからでしょう。
金元弼師に関しても、明らかに1960年前に子供を産んでおきながら、結婚式は1960年にするなど矛盾というか
工作が見られる。

原理的には、1960年に初めて家庭的摂理を出発できると言っているのに、それ以前の結婚はいったい何を意味するのであろうか?

統一教会信者完成までの路程

1.統一原理を理解させ、真理ではないかと思わせる

2.再臨論で文師があたかもメシヤであるかのようにごまかし信じさせる
(※東の国=中国、韓国、日本と限定したり、中国は共産化云々とあるが、1920年にはまだ共産化されていない、その国は2つに分断されなければならないといいながら、分断されたのは、文師の1回目の結婚後の1948年だったり・・・メシヤが韓国に来るという論理的な根拠は全くない)

3.文師の路程と称し、重要な部分や都合の悪いことを一切排除した歴史や多額の費用を投入して呼んだ著名なゲストが関わっている活動を紹介する


4.この時点で、文師がメシヤであることを信じさせ、入信させる

5.入信したら最後、真理だと思わされえいる原理を巧みに用いて、アベル・カイン(リーダーの言うことは間違っていても信じ、従わなければならない)を徹底的に叩き込む。また、文師の沢山の美談や説教を読ませる。

6.基準が低い(=文師をメシヤとして受け入れる、信じる度合いが低い)メンバーには、文師の2度の結婚の失敗の話や、血統転換の儀式などの重要なことは教えない。

7.文師をメシヤだと何の疑いもなくなってしまえば、原理の矛盾点を指摘されようが、教会のネガティブな話を聞こうが、何か深い理由がるのだとかサタンだとか勝手に自分で納得してしまうようになる。


Re: 無題 itiro - 2003/06/19(Thu) 21:47 No.9

結婚について
崔元福先生との重婚状態について書いていない


1954年より1978年ごろまでセンセーは基本的に崔元福先生との事実上の結婚状態の上にほかの女性との結婚をしている

つることの結婚も

事実上重婚状態

ここでラケルとレアが果たせなかった女性としてのヤコブの勝利を得るためであったとの事後説明がついている。


崔という名前へのこだわり カインの末裔 - 2003/06/21(Sat) 16:56 No.49

itiro さんへ、いつもお聞きしたいことがあったのですが、連絡できなかったので、今回、投稿させていただきます。

<崔元福先生との重婚状態について書いていない
<1954年より1978年ごろまでセンセーは基本的に崔元福先生との
<事実上の結婚状態の上にほかの女性との結婚をしている
<つることの結婚も事実上重婚状態
<ここでラケルとレアが果たせなかった女性としてのヤコブの勝利
<を得るためであったとの事後説明がついている。

上の記述は、私も事実だと複数の方々に確認していますが、

年代は、1978年でなく、

1983年ぐらいまでではないでしょうか?

ヤコブの21年路程(1960年から1981年)とするには、長すぎると思った記憶があるのですが。

それから、確か、元福先生が目の治療で、日本経由で韓国に帰られた時から重婚状態がなくなったと思います。

その時に元福先生と直接話した方から聞いたところによると文師夫人が嫉妬で服を挟みで切ったり座布団を蹴飛ばしたり、お子さんたちが、元福先生の座る座布団を隠したりしてどうしようもない状況になったので返されたと言っており、文師夫人の相当な批判をしていたそうです。

その当時は

「真のお母様の勝利とは女の嫉妬でカイン型の妻を追い出したことか」
などと一緒にいた古参の幹部が説明していたのが、

妙に印象に残りました。

この辺の問題には、非常に関心がありますので、色々教えて下さい。

西川先生に聞いた時には、西川先生も文師と元福先生との関係からメシア性を疑い始めたと語っていました。

第一次世界巡回の時のお話だそうです。文師の最初の妻、

そして元福さん、

さらに西川先生の本名などが、

なぜ崔という名前であるかというと

西川先生によれば文師は、韓国では崔という名前は、鳳凰に王冠がかぶさった名前で崔家に救世主が生まれるという言い伝えが長くあったため文師は自分のメシア性を示すために崔という名前の女性や側近にこだわったそうです。


~~~~~~~転載終わり。

文教祖の6人の妻(1)最初の妻 崔先吉女史 が告白!文鮮明教祖の性の祕密

文教祖の6人の妻(2)金鍾和の涙と怒り(第二の妻)

文教祖の6人の妻(3)社会秩序紊乱(びんらん)罪で懲役5年

文教祖の6人の妻(4)金明煕女史への囁き、殺し文句は「理想相対に会いたくないですか

西川先生の離教理由!

文教祖が、夫人以外の女性と儀式をしていたのをノックせず入った時に見ていた久保木氏

お母様の妊娠中に朴サムエルの母と不倫していたお父様

セミについて
セミと言う新たな隠し子がいるのか?と以前ネットの中ですが調べてみました。サムエルはサミーとも言われていたようで、サミーは韓国人からはセミと発音に置き換えられるようです。その辺は分かりずらいのですが・・・・、
サムエル=サミー=セミ ということで、同一人物を指しているようです。

崔元福女史は、1954年~1983年までカインのお母様として文教祖の夜の相手もしていたということになる。
とすると・・・かなりダブりすぎだろう~!!!

教会史から隠蔽されているもの 
原理的には、1960年に初めて家庭的摂理を出発できると言っているのに、それ以前の結婚はいったい何を意味するのであろうか?

統一教会信者完成までの路程

1.統一原理を理解させ、真理ではないかと思わせる
2.再臨論で文師があたかもメシヤであるかのようにごまかし信じさせる
(※東の国=中国、韓国、日本と限定したり、中国は共産化云々とあるが、1920年にはまだ共産化されていない、その国は2つに分断されなければならないといいながら、分断されたのは、文師の1回目の結婚後の1948年だったり・・・メシヤが韓国に来るという論理的な根拠は全くない)
3.文師の路程と称し、重要な部分や都合の悪いことを一切排除した歴史や多
額の費用を投入して呼んだ著名なゲストが関わっている活動を紹介する
4.この時点で、文師がメシヤであることを信じさせ、入信させる
5.入信したら最後、真理だと思わされえいる原理を巧みに用いて、アベル・カイン(リーダーの言うことは間違っていても信じ、従わなければならない)を徹底的に叩き込む。また、文師の沢山の美談や説教を読ませる。
6.基準が低い(=文師をメシヤとして受け入れる、信じる度合いが低い)メンバーには、文師の2度の結婚の失敗の話や、血統転換の儀式などの重要なことは教えない。
7.文師をメシヤだと何の疑いもなくなってしまえば、原理の矛盾点を指摘されようが、教会のネガティブな話を聞こうが、何か深い理由がるのだとかサタンだとか勝手に自分で納得してしまうようになる。
1957・1・8 崔先吉女史と離婚(ファミリー1998年11号)


婚姻中に次から次へと女を作る文鮮明教祖さまなのです。
もしかして、文教祖さまは、タイ○ー○ッズと同じセッ○ス依存症だったのかもね?!どこかのつぶやきで、孝進さまもそれらしいと言っていた人がいた・・・事実は?