10.ドリョク | 携帯小説サイト-メメント・モリ-

10.ドリョク

「シヅオ…」

「隣、いーか?」

「うん」

シヅオが私の隣に来て、橋の高欄に身を凭せた。

「川の側は風がきもちーな」

「うん」

「ヒナが、出てったのが、5月の頭だから…」

指を折って、数えながらシヅオは言う。

「三ヶ月、と半分ちょっとくらいか」

「うん」

そう、私が頷いた。
風がふわっと吹いて。私の首を撫ぜた。

八月も折り返しを過ぎて。
残る暑さは、夜だってそう変わりはないのだけど。

そよぐ風の冷たさは、私の心に優しくて。

凄く、泣きたくなった。


「俺さ、ひと月、、、や、ふた月前?くらいから。仕事始めた」

「うん」

「なんか、めんどくせー、とか思うけど」

「うん」

「意外と、楽しくやってる」

…たのしく…。

「あのさ、俺さー。馬鹿だからさ」

「・・・」

「なんか、いろんなこと良くわかってなくてさー」

「うん」

川の向こうを見つめるシヅオを横目でちらりと見遣って。
でも、その横顔は、私の知っているどのシヅオとも違っていて。

「ヒナが出てった時も、ふざけんな、位にしか思ってなくて」

「うん」

「10マン、くれたろ?」

「うん」

「あれも、らっきーってな具合に使って。使い切った」

「大事に使ってって言ったのに」

「うん、ごめん」

「…」

私の知っているシヅオは、こんなに素直に謝ったりしなかった。
たった、三ヶ月と半分ちょっと。人はこんなに変われるのだろうか?

「でさー。使い切って、どうしようもなくて、ケンタローんとこ電話かけて」

「ハタヤさん、びっくりしたろうね」

「うん。すぐ飛んできた」

「忙しいのに」

「うん、夜中の三時だったな。次の日仕事とか言ってた」

「うわ…ハタヤさん優しい」

「うん。来るなり。凄い剣幕でいろいろ問い詰められて」

「うん」

「なんでヒナが出てったんだ、とか聞かれてさー」

「なんて言ったの?」

「俺が殴っちゃったからかな?とか。したら殴られてさ」

「あー…」

「そりゃ、もうぼっこぼっこよ。あいつ、空手やってたからさ」

「うん、知ってる」

「そうそう、んでさ、『死ね!!』って言われた。」

「え?嘘、ハタヤさんに?」

「そう、あのケンタローが。「死ね」って」


ハタヤさんは「死ね」って言葉が大嫌いで。
絶対に使わない事を私は知っていて。

そうでなくてもあの、温厚で。いつも優しいハタヤさんが
そんな風に人を罵るのは、想像さえ出来なかった。


「『お前なんか、生きてる価値もない、俺が殺してやる』って…」

「…」

「俺、とんでもない事したんだな、ってそこで初めて気づいてさ」

「うん」

「地べたに頭擦り付けて、必死で謝ってさー」

「ハタヤさん、優しいから。許してくれたでしょ」

「いんにゃ…謝る相手が違ぇって言われた」

「・・・」

「ほんでも、許してくれたんかな。宿貸してくれて。面倒見てくれて」

「うん」

「最初は、甘えて、だらけ切ってたんだけどさ」

「うん」

「オフクロんとこ電話するって言われて、渋々仕事探し初めてさ」

「え、お母さんのところ、連絡してないの?」

「するわけねーべ。あっち再婚してうまくやってんのに」

「・・・」

「んでさ、仕事探し始めても、全然みつからんでさ」

「うん」

「そんで今、やっと小せぇ引越し屋受かって。勤めてる」

「おめでとう」

「さんきゅ…。あーまあ。なんだ。最初は、さ」

「うん?」

「最初、一週間くらいして、辞めてーって思ってさ」

「え。」

「だって、すっげーキツくってさ。ヤクザみてえな先輩に絡まれるし」

「うん」

「したらさ。俺ら、ボスって呼んでる人が居んだわ」

「ボス?」

「うん。ボス。で、俺ボスに『辞めてぇ』って言った訳さ」


シヅオの声があまりに真剣だから。
ここで私は、相槌を打つのを、やめた。


「したら、飲みに行こう!っつってさ。うぜーとか思ったんだけど」

「こう、酒が入ると、いろいろ話すじゃん?自分の事とかさー」

「したら、ボスもさ、俺の話をうんうん、って聞いてくれてさ」

「自分の事、話してくれて。女房子供に手を上げて逃げられてるとか」

「後悔してることとか、いろいろ。俺じゃ上手く話せねー、けど…」

「なんかさ、それ聞いてたら、さ…」

「親父になったとき、俺の姿見て子供はどう思うんだろ?とか思って。」

「実は、俺の親父も酒飲んじゃあ、俺やらお袋やら殴って。どうしようもなくて」

「結局、酔って田んぼに落っこちて死んだけど、さ」

「俺、親父みてーには絶対ならん。とその頃は…思ってたわけさ」

「でも、現実、俺は。親父とそうかわんなくってさ」

「ケンタロんとこはさ。親父さんすげーかっこよくてさ」

「ナントカカントカ、ってすげえ肩書き持ってて」


私が、公認会計士ね、と答えると。ああ、そうそうと、シヅオは頷いて。


「あいつ親父の自慢するじゃん?子供みてーに。よく」

私が、こくん、と頷く。シヅオも、合わせたようにこくん。と頷いて。

「でもって、あいつもすげえイイ奴で」

まるで、まぶしいものを見つめるみたいに、遠くを見つめた。

「俺、自分がヤんなって。あー。もう俺だめだー。って思って」


でもさ。と、シヅオは続ける


「ボスがさ、俺は大丈夫。まだ若いから大丈夫だ。絶対大丈夫だ。って」

そう、言うんだよ。

だから、俺さ。

必死こいて、なんか、必死こいて。

なんとか、生きてやろうって思ったんだ。


そんな、シヅオの言葉が。 胸に、刺さった。

「ヤクザみてえな先輩とも、話してみたら結構気があって」

だから、今は。結構楽しい。
そう言って、笑うシヅオの顔が、すごくまぶしく映った。


わたし、私は。何て馬鹿だったんだろう。


私が離れたからシヅオが良くなった?
私が毒虫だった?

そんな、事じゃない。

シヅオは、努力したんだ。
努力して、這い上がっているんだ。

私は?
私は、ずっとここに沈んだままにいるの?

淀んで暗いところで、自分が醜いと知りながら
誰かが自分を消し去ってくれることを望んで


青写真が見えた

私は、このまま。サクラお姉ちゃんの脛を齧り続け
サクラお姉ちゃんから、疎ましく思われて捨てられて

家族も、友達もそうしてどんどん無くしていって

独りで、町の隅で空き缶を拾いながら生活をするのだ。
そんな、青写真。


―――イヤ、だ。

「俺、ヒナのこと、好きだった」

シヅオの、そんな言葉。
過去形?って笑って聞いたら

「うん、なんかさ。俺、多分甘えてて。ヒナじゃだめなんだと思う」

ヒナと、俺じゃ。甘えて、甘えて。ダメんなるんだと思う。

シヅオは、そう言った。

「俺、もっと強くなりたいから」

ありがとう、ヒナ。
今までごめん。

シヅオは、確かにそう言った。

人は。ねえ。人は。

こんな風に変わることが出来るんだって。

シヅオは私に教えてくれた。



「ありがとう。シヅオに、会えてよかった」



私だって。そう、私だって変わることが出来るのだ。
生きている。私の心臓は、動いている。

ばたつかせて足掻くための、手足がちゃんとあるじゃないか。


「そろそろ、帰ろう。サクラねーさん、心配してたぜ」

「うん!!」

シヅオの言葉に、私は、笑顔で頷いた。





ヨシノお姉ちゃん。ごめんね。
私、強くなるから。

だからどうか、お願いだから。
安心して、眠ってください。




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