テロの泥沼に落ち込むのも | 気になるニュースチェックします。

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日本人人質事件、国家には国民を救う責務があるのだから
一日も早く救出してほしいですね。
日本政府はまだイスラム国と直接交渉はしていません。

安部首相もテロに屈しない、全力で、、、と口では言っているけど
本当にその気があるんでしょうか。
これが他人ではない、自分の身内が人質になったらどうするんでしょう。

一応日本の首相なんだから、それも安部首相名指しで声明がきたのだから
イスラム国と直接交渉するくらいの気構えがあってもいいと思います。
人の命がかかっているのだから、、、
ヨルダンを頼っているだけじゃなく、、、、

安部はアメリカと協力してといっていますが、イスラム国の敵はアメリカでもある。
そんな国と協力したらますますイスラム国を刺激する。
何でもかんでもアメリカ、アメリカはもうやめたほうがいい。
だから日本もテロの標的になるんだよ。


テロの泥沼に落ち込むのも安部政権のやり方にかかっている。



★市木は現職警察官 菅生事件

「もしかしたら市木春秋はこの人物の偽名ではないか、、、」
 浄土真宗南林寺住職、田北憲章46はそう考えた。
 坂本はここの僧侶をしていたのです。

 幼いころ両親に生き別れた坂本はずっと南林寺で暮らしていたのです。
 住職の田北も熱心な共産党のシンパです。
 田北の檀家は竹田市や隣町の緒方町一帯に多かった。

 そして檀家をまわっているとき駐在所爆破を耳にした。
 その緒方町の豆腐屋の息子の行方が3~4年前からわからなくなっているという。
 豆腐屋の息子は警察官だった。

 そこで田北は戸高ミトを訪ねた。
 豆腐屋の息子の苗字は戸高という。
 ミトは息子は大分に行ったきり3年ばかり連絡をくれないという。

 どこにいるのかもわからないという。
 息子の名前は公徳、きみのりと教えてくれた。
 写真はあるかと聞くと、紋付き袴姿の公徳と文金高島田の新妻の結婚記念写真を
 みせてくれた。

 こうして写真を手に入れ田北は寺に戻り、手紙を書いた。
 戸高公徳、、、、警察官
 
 市木の写真を探していたのは、共産党や弁護団だけではなかった。
 大分合同新聞の記者、朝来野元生25もその一人でした。
 朝来野が菅生事件とかかわりを持つきっかけとなったのが、昨年開かれた
 判決公判の取材でした。

 判決後連行されていく後藤が「犯人は市木だ市木をさがしてくれ」
 と叫んだ声が今も耳に残っている。
 そして市木を探す決心をするのです。

 また大分新聞の福永修26も市木の行方を追っていた。
 旧知の二人は奇しくも同じライバル同士で、それぞれ密かに市木を追っていた。
 しかしお互いそれを知る由もなかった。

 朝来野が「市木は警察関係者では」と疑惑を深めていたのに対し
 福永もまた警察関係者を本ホシだとにらんでいました。
 控訴審を担当した柳田裁判長は、9月には結審したい意向で、朝来野は市木探しを
 早くしなければ、判決が出てしまうと焦っていた。

 そして、駐在所爆破とともに消えた市木は、警察が送り込んだスパイだとの疑念は
 日増しに強くなっていた。
 朝来野は的を警察官にしぼり、「大分県警職員録」から市木春秋の名はもちろん
 偽名に近そうな名前を含めてチェックしていく。

 さらに退職者なども労をいとわず丹念に名簿をチェックしていく。
 
 共産党にとってマスコミ=権力だった。
 報道した毎日新聞の記事をみれば、警察と新聞がグルになっているとしか考えられない。
 それは今現在も同じですね。
 大手新聞ほどあてにならない、どうでもいい記事を書いてジャーナリストだなんて
 言っているんだから、顔から火が出ないのが不思議、、、
 
 第3回公判から共産党の機関紙赤旗は、積極的に菅生事件を取り上げるようになった。
 「こういう事件があったのか」
 この記事を遠く東京の地で驚きをもって読んでいた記者がいた。

 原寿雄、共産党通信社の記者だった。
 
 10月半ばを過ぎて、保釈された後藤秀生が大分に戻ってきた。
 その秀生は「真犯人は市木春秋だ、警察のスパイだ」と各地で訴えてまわった。
 大分新聞の福永は秀生にぴったりくっついて、市木の取材に余念がない。

 その福永が大分新聞の社会面に注目すべき記事を報じた。
 「市木は偽名の警察官か」
 「ベール剥ぐ、次回公判、弁護団証拠物件握る」

 
 「市木春秋は警察官で、今は警視庁に栄転している。
  市木がいた松井製材所の元同僚に写真をみせたところ、間違いないとの
  証言を得ました。」
 
 興奮気味にこう語った弁護側は、市木真犯人説を主張した。
 朝来野は戸高公徳の写真を手に入れていた。
 それを後藤にみせ確信する。

 「よくやりましたね、大変だったでしょう」
 
 翌朝の大分新聞は社会面のほぼ全面を菅生事件の記事で埋め尽くした。
 「菅生事件の謎の男」
 「市木のベールをはげば」
 「本名は戸高公徳」
 「警察の謀略か」

 菅生事件の謎の男、市木春秋は本名戸高公徳32、れっきとした警察官だった。
 大分新聞と大分合同新聞のスクープは、すぐに東京に伝えられた。
 新聞に本名が出た以上もう隠しておく必要はない。

 南林寺の住職田北が入手した戸高の結婚写真を公開する時期が迫っていた。
 党幹部の志賀義雄は、記者会見で犯人は現職警察官と発表
 それに実在する動かぬ証拠の戸高の結婚写真
 「9月28日の公判で弁護団が「市木は現職警察官」と発表した3日後
  転出届を出しています。
  ところがいまだに転入しておらず、行方不明になっています。
  警察大学校の寮にまで住んでいたということは、警察が犯人隠匿を図っていると
  いうことなんです」

 この日を境に大分の片田舎の山村で起きた駐在所爆破事件は、全国の注目を集めた。
 記事もローカルから全国版に変わった。
 東京の新聞、ラジオを巻き込んでの戸高公徳捜しが本格的にはじまったのです。
 

 坂上遼著消えた警察官