アメリカは現代の十字軍 | 気になるニュースチェックします。

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イスラム国が日本に刃を向けました。
日本人二人を拘束し殺害警告をしました。

日本の安部首相名指しで、進んで十字軍に参加したとして
イスラム教徒の家を破壊し、女性や子供を殺害するのに得意げに
1億ドルを提供したということで、身代金を要求しています。

イスラム国は日本の支援が、われわれの女性や子供を殺害すると指摘しました。
日本政府は、非軍事分野の支援なので、それには当たらないとしています。
そもそもイスラム国が生まれた経緯は、なんだったか知っていますか?

やたら過激派、過激派と報道していますが、、、
確かにイスラム国のやっていることは、許しがたい行為です。
人間憎悪の塊になったら、卑劣なことも理不尽なこともやってしまうのかもしれない。

米英が大義ある戦争と呼んだイラク戦争、日本も明確に支持しましたね。
あのとき、日本が戦闘をしたわけではありません。
人道支援を行ったのです。

それでも米国に味方したことに変わりはない。
今回も得意気に2億ドルをトルコやレバノンを支援するために日本政府の差し出すお金は
イスラム国としては許しがたい行為だったのでしょう。


米英は大義あると言って、イラク戦争に踏み切った。
次々に病院に運ばれてくるけが人の山、痛みに泣き叫ぶ子供たち、、、
2003年3月20日大量破壊兵器があると言って、米英はイラクを攻撃
しかし、大量破壊兵器などどこにもなかった。
この戦争でイラクの死者は10万人を超えるといいます。

戦争は何もかも破壊し尽くす、、、、
廃墟になったイラクとシリア、、、、
プッシュのいう平和なんてどこにもない。
ブッシュは平和を約束したのに、、   

この絶望感と憎悪を糧に勢力を拡大してきたのがイスラム国です。
イスラム国のビデオ声明には、日本は進んで十字軍に参加したとあります。
十字軍とは、主にカトリック諸国が聖地エルサレムをイスラム教諸国から
奪還することを目的とした遠征軍のことです。

つまり宗教の名を借りた侵略軍のことを十字軍といいます。
キリスト教側にとっては「聖戦」でも
イスラム教国側にしたら「侵略」です。
侵略する側は「聖戦」なんて言葉を使って、正義の戦争に人々には思わせているけど
侵略される側はたまったもんじゃない。

イスラム教国側では、十字架は侵略のシンボルとして忌避されています。
ブッシュがイラクを攻撃したことについて、中東諸国の人々はこう言っています。
「アメリカ軍は現代の十字軍」



★消えた人物 菅生事件

 1952年8月13日大分地方裁判所でいよいよ裁判が始まりました。
 公判はほぼ一か月に一回のペースで行われました。
 忠愛に預けたとされるダイナマイト24本、雷管18個、導火線2巻き、、、
 裁判官たちの心証は悪かった。

 さらにつぎから次へと繰り出される証人たち、、、
 警察官、山本幸雄は秀生らが忠愛宅に預けたとされるダイナマイトを家宅、捜索で
 押収したときのもようを詳細に証言した。

 「二階、の部屋に入って、竹の棚の下に導火線一巻とダイナマイト10本
  雷管18本がありました。
  それらは木箱に入っておりました。
  それからダイナマイト14本は包装紙にくるんでやはり棚の上に置いてありました」

 事件当夜、まるで映画のように警察にとって都合のいい証拠がこんなに
 発見されているのには、弁護団もクビをかしげた。
 
 10月28日からは菅生村で実地検証と尋問が行われています。
 警察車両から後藤秀生、坂本久夫の駐在所爆破容疑組と後藤守、藤井満の牛密殺容疑組
 それに雷管を持っていたという爆発物所持容疑の阿部定光の5人がぞろぞろ降りてきた。

 尋問ではいずれも秀生と坂本の駐在所爆破を裏付ける一方的な内容だった。
 警察官の小林幸夫の証言
 「当時雨が降る中をしゃがんで駐在所の方をみちょったら、二人が駐在所の方に来たので
  近所の人かなと思ったのんです。
  そのうち駐在所の門燈が消えておかしいなと思っていたら、マッチをするのが見えち
  火のついたシューと音がするのを持って、駐在所の方に行ったんです。
  それからドカーンとなっち、こりゃ駐在所襲撃だとおもっち、追いかけちいったんです。
  逃げるところを追い越しち捕まえたら、それが後藤秀生だったんです」

 同じく警察官の渡辺義人の証言
 「駐在所のほうで爆発音がしたので、国道に出ていったら溝に男が落ちちょったんで
  それが犯人だろうと思い、溝に飛び込みました。
  抵抗するんでもみ合った末、捕まえたら坂本久夫だったんです」

 さらに吉田警部補は爆破直後の駐在所内部のめちゃくちゃな状態を詳細に報告した。
 それからも次々と証人が登場する。
 年が明けてからも公判は続いた。

 そしていよいよあの市木春秋の存在を浮き立たせる場面
 市木はなにをするためにやってきたのか。
 市木はいつごろからいなくなったのか。
 裁判官たちはこれまで市木という人物の存在に関心をよせることはなかった。

 ところが秀生たちは爆発のあった当夜、忽然と姿を消した市木こそが
 事件の真相を知る人物にちがいないと確信していた。
 法廷に立った工藤祐次は中学三年生
 
 市木とはだれか
 松井製作所にいた人です。
 工藤は明確に答えていくが、市木の名前が出てもそれはどういう人物かと裁判官から
 問いただされることはなかった。

 そして工藤の母、八重子47が出廷した。
 市木に会ったことはあるか
 「家が豆腐を製造している関係で、近所の松井製材所から薪を分けてもらうとき
  よくあっていました」
 
 市木はいつごろ来て、いつごろいなくなったか。
 「来たのは覚えていませんが、事件があった日に会ったきりその後はぜんぜん
  あっていません。」

 駐在所に爆発物をなげこんだのは、誰だと村の人は話しているか。
 「市木さんと秀生さんともう一人の共産党の人、3人が投げたと言っています」

 二人が刑務所に連れていかれたのに、市木だけが連れていかれなかったのは
 不思議だとは思いませんでしたか。
 清源は問いただした。
 
 忠愛の姉25の証言
 「弟を連行したあと、夜明けまで警察官は家にいました。
  その中の一人の警察官が今大芝居をやったとか、活劇をやってきたと
  いうようなことを申します。
  それでなにかあったのですかと聞いたら、駐在所に大変なものを投げ込んだ。
  しかしその人は逮捕されたと言いました。
  それで何人逮捕したのですかと聞いたら、3人といいました。
  ところが年を取った警察官が2人だったと申されました。」

 さらに範子は祐次から聞いた6月2日のことを証言した。
 「6月2日の午前1時か2時ころ祐次は坂本さん、後藤さん、市木さんに連れられて
  中学校の方に行ったそうです。
 その日は雨が降っていたため祐次は気が進まず、3人より少し遅れてついていった。
 3人が駐在所の前までいったころ、警察官がワーと飛び出してきて逮捕したので
 祐次は一目散に逃げかえったということです。
 祐次が3人についていく途中、農協や中学校の小溝に鉄兜を被った警察官が
 たむろしていたため祐次の足がにぶったということです」

 この範子から聞いた話には後日談があり補足した。
 「しばらくして祐次が言うには、以前話した自分が後藤ら3人について行ったというのは
  思い違いで、後藤さんと坂本さんは他所に会議で行っていて、祐次は市木さんと
  二人で行き彼らと会ったと言っていました。」

 また松井製材所の社員、池田の証言
 市木はちょいちょい仕事を休み別格の待遇であったという。
 6月1日、大分に行くと言ってバスに乗りその後は行方不明になったという。
 また松井のこうじょうの事務所に住む夫婦は
 「市木は腑に落ちぬ。
  あいつは警察の回し者であったか、共産党員であったかわからん」
  と、 言っていて市木の存在がこれほど取沙汰されているというのに
 臼杵裁判長は市木の存在について検察側に質そうともしていない。

 市木の存在についてはその後も地元の住民に聞いていくが、誰もが知らないという。
 市木を知っているのは、松井の家族や従業員と秀生一部の人間だけで
 住民のほとんどは知らない。
 不思議な人物というよりほかない。
 
 
 坂上遼著 消えた警官より